価値を"創る"のではなく、価値を"探す"[2011年01月31日(Mon)]
インターネットの発達は、今まで私たちが、時間とエネルギーを要したものを一瞬にして近づけました。物理的距離という制約を取っ払ったおかげで、商品やサービスの基本的な「価値」は、ほぼ同じものになりました。
しかし、規模の経済で優位に立った企業や、他者が真似できない独自の技術を持った製品を持つ企業を除いては、価格面での差別化が難しくなってきており、よく、
「商品やサービスの価値を高めて差別化しよう」
と言われています。
Value Engineering(価値工学)では、
価値=機能÷コスト
と定義しています。機能が一定ならばコスト(価格)が安ければその商品価値は高いと考えていますが、最近の価格破壊で商品価格は下がったが、それによって商品価値は上がった例は現実にはほとんどありません。
通常は、価格が上がっても下がっても商品価値そのものは変わらない、と考えるのが妥当です。つまり、VEの価値概念は常識的なものではないのです。VEでは機能のコスト(価格)を重視しており、その機能はいくらに相当するか、と考える指数としての位置づけです。
商品やサービスの価値を機能とコストだけで見ると、画一的で創造性に乏しいアウトプットが出てくることがあるのでないでしょうか。
そこで、品質や機能といった商品・サービスそのものの価値ではなく、購入したり使用する過程の“経験”から得られる価値である、「顧客経験価値」というものを考えることもあります。品質以外の要素で差別化できる期待効果があります。
そこでしか得られない経験や感動を提供できれば、顧客に「多少余分にお金を払ってでも買いたい」と感じてもらえるとんがった差異化要因になります。
私も、前職で、ある大手企業の新サービスを検討する際に、顧客経験価値を活用したことがあります。顧客経験価値をどのように構造化し(とても細かい作業)、日々の業務プロセスにどのように乗せていくかが、課題ではありますが。
そんな風に考えていくと、ふと「価値」って何だろうと考えます。
今までは、作り出すモノに「価値」を付与することを前提としていますが、
今あるモノに「価値」を見出せる工夫をし、さらに「価値」を高めていく
という方向性もあるような気がします。
先週参加したワークショップのゲストである西村佳哲さんの言葉がとても印象的です。
世の中には、誰かがつくった素晴らしいものが沢山ある。映画であったり、洋服であったり、音楽であったり。かけがえのないモノは多々ある。
だけど、たとえば感性豊かなモノが増えることより、感性の豊かな人間が増えることの方が、よほど素晴らしくて価値のあることだ。美しいモノが増えることより、日常の中に美しさを見いだせる人、美しさに心をひらく人が多い方が、素敵ではないかなあ。
詳細は、さらにこちらから。
しかし、規模の経済で優位に立った企業や、他者が真似できない独自の技術を持った製品を持つ企業を除いては、価格面での差別化が難しくなってきており、よく、
「商品やサービスの価値を高めて差別化しよう」
と言われています。
Value Engineering(価値工学)では、
価値=機能÷コスト
と定義しています。機能が一定ならばコスト(価格)が安ければその商品価値は高いと考えていますが、最近の価格破壊で商品価格は下がったが、それによって商品価値は上がった例は現実にはほとんどありません。
通常は、価格が上がっても下がっても商品価値そのものは変わらない、と考えるのが妥当です。つまり、VEの価値概念は常識的なものではないのです。VEでは機能のコスト(価格)を重視しており、その機能はいくらに相当するか、と考える指数としての位置づけです。
商品やサービスの価値を機能とコストだけで見ると、画一的で創造性に乏しいアウトプットが出てくることがあるのでないでしょうか。
そこで、品質や機能といった商品・サービスそのものの価値ではなく、購入したり使用する過程の“経験”から得られる価値である、「顧客経験価値」というものを考えることもあります。品質以外の要素で差別化できる期待効果があります。
そこでしか得られない経験や感動を提供できれば、顧客に「多少余分にお金を払ってでも買いたい」と感じてもらえるとんがった差異化要因になります。
私も、前職で、ある大手企業の新サービスを検討する際に、顧客経験価値を活用したことがあります。顧客経験価値をどのように構造化し(とても細かい作業)、日々の業務プロセスにどのように乗せていくかが、課題ではありますが。
そんな風に考えていくと、ふと「価値」って何だろうと考えます。
今までは、作り出すモノに「価値」を付与することを前提としていますが、
今あるモノに「価値」を見出せる工夫をし、さらに「価値」を高めていく
という方向性もあるような気がします。
先週参加したワークショップのゲストである西村佳哲さんの言葉がとても印象的です。
世の中には、誰かがつくった素晴らしいものが沢山ある。映画であったり、洋服であったり、音楽であったり。かけがえのないモノは多々ある。
だけど、たとえば感性豊かなモノが増えることより、感性の豊かな人間が増えることの方が、よほど素晴らしくて価値のあることだ。美しいモノが増えることより、日常の中に美しさを見いだせる人、美しさに心をひらく人が多い方が、素敵ではないかなあ。
詳細は、さらにこちらから。