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奥富 宏幸
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「過剰」は死を意味する [2019年09月05日(Thu)]

人は簡単には死ねない。



でも、心のどこかで今までの自分をリセットしたい
という思いがある。 

その欲求を満たすために、


余分な買い物をする。
食べ過ぎ、飲み過ぎる。
ノウハウや情報を過剰にインプットする。

  

飽くなき所有欲と自己顕示欲に駆り立てられるのである。

そして、どこかの時点で我に返り、後悔する。


「どうして、こんなことをしてしまったんだ・・・」


「分かっているけど、またやってしまった・・・」


そんな言葉を繰り返す。



その一連の行為は、
「過剰」による死を経験することでもある。

  

簡単に死ねないので、
「過剰」による死を求める。



即物的な痛みと快楽は、
一度味わうとなかなかな手放せない。


  

以前、マレーシアの空港でステーキとフレンチフライを、
表現は悪いが、養豚場のブタのように食い荒らす欧米人がいた。

  

明らかに食べきれない量の食事を
「食糧」としてか見ていないのだろうか、
残った食事は、何の”尊厳”もなく捨て去られていた。


彼らにとって、それが「死」を経験する儀式のようでもあった。




一方で、私がホームステイしたフィリピンの家庭では、
家族全員が揃って、白米、魚、もう一品という質素な食事を毎回頂いた。


普段は滅多に食べないマンゴーやメロンを外国から来た
私のために惜しげもなく出してくれた。


客人のための「心からのおもてなしの一品」だったのかもしれない。

ホストファミリーのお母さんが、


「もっと食べなさい」と何度も私に言ってくれた。
その言葉にとても”愛おしさ”を感じた。



同じ食事でも、彼らは「生」を自然と感じる場なのだろう。



生きることは死ぬことでもあるし、
生きることは善く生きることでもある。


あなたは、どちらを選んで生きていますか?

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