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奥富 宏幸
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断・捨・離 [2011年05月16日(Mon)]
ちょっと前に話題になった「断捨離(だんしゃり」

「断」: 入ってくるいらない物を断つ
「捨」: ガラクタを捨てる
「離」: 物への執着心から離れて「自在」の空間へうつる


不要なモノを断ち、捨てることで、モノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようという考えです。


古紙のリサイクルは「捨」の部分で、社会に役に立っていると言えます。

モノを捨てる行為というのは、

「とにかく自分の視界から汚いもの、不要なものを消したい!あとは知らない。」とか、

「掃除や引っ越しなど、何かきっかけがあって、住空間も気持ちもきれいサッパリしたい。」


といった感情から生まれます。わたしたち消費者は、

【つくる → 買う → 使う → 捨てる】

というプロセスの中で、「買う」こと(=手に入れること)と、「使うこと」にエネルギーを注ぎます。

関心度の強さでいえば、 「買う」>「使う」 という人も結構いるんじゃないかと思います。で、買ったら数回しか使わずに捨ててしまう。


「つくる」ということについては、手作りのこだわり商品や、自分がつくることに関わった商品などについては多少の思い入れや愛着がありますが、「捨てる」ってことについては、ほとんど無関心なんです。

というか、「買う」ための起爆剤、動機づけにしようと、「捨てる」ことに対しては、負の感情、冷めた感情を持つことが多いのかもしれません。


でも、捨てられたものは、その先がまだあるんですね。

「追跡!私の「ごみ」―捨てられたモノはどこへ行くのか?」の一節にこうありました。

『イヴァン・クリーマは、小説『愛とごみ』で、回収作業員たちは自らを「窒息しかけている世界の治療師」と称していると記している。』


捨てる以外にもリサイクルするという選択肢もあります。

 【つくる → 買う → 使う → (捨てる) → リサイクル → 再生】 

つくること、捨てること、そしてリサイクルすること ― 自分が関わる直接的な行為から少しだけ意識を広げてみると、見える世界も変わってくるのかなと。

大量に集められる古紙、そしてそれらをリサイクルする現場を日々見ていて、そう感じています。

親子連れ、小さな会社の社員、一人暮らしのお年寄り、いろいろな方が当社に来ますが、古紙をリサイクルする「場」で同じ時間を共有しているだけでも、何か少し安堵の気持ちが湧いてきます。
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