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奥富 宏幸
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孤独とは一人でいることではなくて、生きる姿勢 [2020年09月16日(Wed)]



ネットを介せば、いつでも誰とでもつながることができる現代社会です。このコロナ禍で、会いたいときに会えなくなったことで、孤独を余計に感じる人も増えたかもしれません。



コロナ前は上司や会社の愚痴を言い合い、「憂さ晴らし〜!」なんてやっていた人も今は、そういう飲み会すらできません。オンライン飲み会で時間とお金を使う人もいるのかもしれませんが。





結果を出している経営者やリーダーはいつも孤独を感じながら生きています。否、孤独を感じていない人の方が多いかもしれません。



孤独とは、 寂しいとか、誰かに構って欲しいとか、自分と同じ辛い状況を味わわせたいとか、足の引っ張り合いやいがみ合いをしたいとか、そんなことから来るものではありません。



高い志や乗り越えたい何かがあって、葛藤と矛盾の中で自己否定を繰り返す。 その過程で、自分と他者との違いを洞察し、自分がすべきことを粛々とする。それが、他者から見ると孤独な人として映っているだけです。



真のリーダーは時に同志と集い、それぞれの胸の内を明かします。多くを語る必要もありません。



同じ想いを持った仲間がいる。

そう思えるだけで、孤独という言葉さえも、全く違った景色となるのです。



「孤独とは自立を志向する人間の葛藤から生まれるスタイル。孤独は孤立しない。」

真のリーダーは二項対立ではなく、二項対話を目指せ [2020年03月04日(Wed)]

最近は、SDGs(持続可能な開発目標)という言葉をいろいろなところで目にします。

SDGsのバッジを胸につけている方ともよくお会いしますが、正直冷めた目で見ています。



バッジをつけている方に理由を聞くと、こんな答えが返ってくるからです。


「いや〜、SDGsってあんまり意味がわかんないですよね。でも、会社の方針で・・・」


「今は環境問題とかグレタさんの活動が注目されているじゃないですかぁ〜。まぁ、ブームに乗っかろうって感じです。」



もちろん、こういう方ばかりではありません。


世界的な気候変動や環境問題・社会問題に対して、

他人事ではいられなくなったという緊迫感が
社会・企業・個人レベルで上がっているとも言えます。



日本でも東日本大震災後に、社会問題や環境問題への

貢献・配慮に対する意識が大きく変わってきたように思えます。


エシカル消費、断捨離、ミニマリスト・・・ 枚挙にいとまがありません。



大切なことは、そういう言葉に踊らされるのではなく、

そういう言葉が使われている背景・文脈を俯瞰してみて、
本当に必要なことは何かを見極めることです。


目的と手段を混同しないか、冷静に見る力が問われています。



今の世の中は、行き過ぎた資本主義と保護主義の限界を

薄々と感じている人が増えていると思います。


その中で、「経済性」と「社会性」の両立を目指す動きには共感していますが、
企業のみならず、多くの人が、現代における社会的な価値とは何か

を特定することはできていないのではないでしょうか?



企業と社会をつなぎ、共に成長・発展するためには、何が必要なのでしょうか?



その解は、各社が知恵を絞って考えるべきことですが、
国や権力者が考えたルールに盲目的に乗っかるだけでは、
本当の意味での持続的な成長にはつながりません。



最近では、CSV(共通価値の創造)の考え方も参考になると思います。


企業は社会の中で自己完結できる存在ではなく、
会社と社会が距離を縮め、互いに支えあい、発展していくというもので、
ハーバード大学のマイケル・ポーター教授は、


1. 社会課題を解決する新製品・サービスの創出
2. バリューチェーンの再定義による生産性の底上げ
3. 経営資源の集積と共生による地域発展


という3つの方向性を示唆しています。



かつて企業は、CSR(企業の社会的責任)というものに夢中になっていました。


寄付や社会貢献を通じて自社のイメージを向上しようという、形式的な守りのイメージ。


一方で、CSVは、資本主義の原理に基づいてビジネスとして社会問題を解決する、
という攻めのイメージです。一見、矛盾しているように思える二項対立の価値観も、
全く新しい考え方と理由付けがあれば、ガラっと世界を変えることもできる、

と信じています。



社会価値と企業価値は両立できると信じてみて、何をしていきますか?


これは、常識を疑い、自分で思考を繰り返して、
他社がやっていないことをやる勇気と行動をする、
というシンプルな結論に辿り着きます。


シンプルな結論が故に、多くの人はできません。



できた人だけが、ビジネスで結果を出しています。


そんなリーダーシップマインドを持って、真のリーダーを目指していきましょう!

答えの前には思考がなければならない [2019年09月30日(Mon)]

今日で9月も終わりですね。

明日からは消費税が増税されますが、どのくらい経済にインパクトがあるのか、

全く読めません。その答えを知っている人は誰もいません。


分からないことに対して、あなたはどんなアプローチを取りますか?

google検索で調べますか?誰かに聞きますか?



私は、世の中の流れを見るために、Yahoo知恵袋をときどきチェックしています。
本当にいろんな質問がありますね。


「銀行で40代くらいで転勤したことない総合職はいますか?」


「東洋大学と獨協大学だったらどちらが就職に強いですか?」


といったものから・・・



「千と千尋の神隠しでなぜハクは湯婆のハンコを盗んだのですか?」


といったものまで・・・



時間があるときに、興味のある質問に

真面目にツラツラと回答することがあります。



たくさんの回答者の中から私の回答がベストアンサーになった時に、
ふと思います。



「この人はどんな判断基準でベストアンサーを選んだのだろうか?」


と。




質問をするということは、

何かしらの答えを欲しているということです。



でも、いくら素晴らしい答えを返しても、
質問する人間がその答えをどう理解し、
どう使うかによって、
その答えのカタチも変わってしまいます。



質問の前には、疑問があるはず。

答えの前には、思考があるはず。



なのに、多くの人は、
疑問と思考をすっ飛ばして、
答えだけを探しています。



答えは、質問で9割決まるのです。



あなたは、どんな質問をしていますか?

コミュニケーションは本来シンプルなもの [2019年09月11日(Wed)]

家庭でも会社でもコミュニケーションが大切ということは分かっています。


でも、そもそも「コミュニケーション」ってどういう事なのでしょうか?


誰かと会話をすること?
その会話を頻繁にとること?
質と量のどちらが(どちらも)大事なの?
相手に対する自分のあり方なの?




最近は、社会の中での孤立が問題になっていますね。


SNSなどで一見たくさんの人とつながっているように見えますが、
そのことが人々の幸福感につながっているかと言えばむしろ逆方向に感じます。


何かに急かされているかのような気がするのは私だけでしょうか?



約8年前にフィリピンでのホームステイを経験しました。


そこで、家族の強い絆や幸福感は、


「家族で共有する物理的時間がとても長いこと」
「Face-to-faceのコミュニケーションをとっていること」


と強く結びついていると改めて感じました。


家族とのさまざまの共有行動が、

子どもにとっての幸福感やあるいは人間にとっての幸福感に
どのような影響を与えていると思いますか?


ある調査では、家族と何を一緒にしてる時(家族で何を共有している時)に
幸福感を感じているのか調べた結果、以下のような順位になりました。



1.夕食を食べる

2.料理を作る
3.掃除をする
4.食料品の買い物
5.ショッピング
6.外食
7.親戚訪問
8.スポーツをする
9.スポーツ観戦
10.散歩
11.旅行
12.ドライブ
13.映画をみる
14.音楽鑑賞 


旅行やドライブ、親戚訪問といった非日常的なイベントだけでなく、
食事や料理、食料品の買い物、掃除といった日常的な時間を共有する場合に、
幸福感が高いという結果に何となく納得しました。


皆さんはどんな時に、幸福感を感じますか?



コミュニケーションには、「伝達する/会話する」と「共有する」と

いう概念があります。


メールやSNSを使えば、すぐに頻繁に会話することはできます。
ビデオ通話やZOOM、スカイプを使えば相手の顔を見て話すこともできます。


でも、同じ場所で時間や行動を共有することの中に、
相手も自分も心の機微を感じ取ることができたりするものです。

用件を伝えることだけがコミュニケーションではないはずです。


会いたい人と会っていますか?


話したい人と話せていますか?



コーチングもFace-to-Faceで時間を共有するコミュニケーションです。 

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「それぞれの針路」 T.O さん (30代) 〜通訳の仕事を通して、コミュニケーションの橋渡しを支援する〜 [2011年02月18日(Fri)]
【過去〜現在】
■留学のきっかけ:
大学を卒業後、通訳になるという目標を持ち、日本で通訳の養成学校に通っていましたが、2年が経ったころ、行き詰まりを感じました。
それを一番近くで見ていた両親が「留学」を勧めてくれました。留学すると決心してからは、気持ちが楽になり、前向きに考えられるようになりました。

イギリスの大学院進学前の英語コースで半年、その後1年間、大学院で国際関係論を学びました。


■留学から得られたもの:
得られたものとして真っ先に浮かぶのが、たくさんの友人です。10年以上経った今でも連絡を取り合っています。


■現在の仕事について:
主に翻訳・通訳をしています。


■現在の仕事に行き着いた経緯:
現在の仕事に就く前は、留学関連の仕事をしていました。約3年間勤めましたが、留学をする前と同じようになんとなく「行き詰まり」を感じるようになりました。

向いてないのではないか、このままで良いのだろうか、など。そこで、今度は自分で自分を後押しし、転職を決めました。運良く現在の仕事に就くことが出来、大学の時に抱いた、「通訳になりたい」という夢を実現出来ました。


■現在の仕事から得られたもの:
「通訳になりたい」と簡単に口にしていたことを今はとても恥ずかしく思っています。今は翻訳の仕事が多いのですが、やはり言語を扱う場合は、よほどの語学力に加え、さまざまな知識がないと誤訳につながりかねませんし、特に通訳の場合は一度口に出してしまうと取り返しのつかないことになります。今は難しさを痛感しているところです。
大変なこともありますが、やはりコミュニケーションの橋渡しが出来たと感じられた時はとてもやりがいを感じます。「ありがとう」と言われた時に喜びを感じます。

【現在〜未来】
■私の目標・夢:
通訳・翻訳者としてのスキルを向上していくことです。元来怠け者なので、ついつい日頃の勉強を怠ってしまうのですが、自分のペースで、でも着実にレベルアップしていけたらいいな、と思います。

自分が目標としていることに到達するにはまだまだいろいろなことが足りません。まずはもう一度目標を定め直し、その目標を達成する、あるいは近づくためには何が必要なのかを考え直さなくてはいけないと思います。


■尊敬する人物:
尊敬している人はたくさんいます。それぞれ尊敬すべきところがありますので、少しずつでもその尊敬する部分に近づければ良いと思っています。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
「行き詰り」という言葉がとても印象的です。
行き詰るということは、現状に満足できず、何かしたい、でも何をすべきかはっきりしない状態です。自問自答を繰り返し、混沌から創造に向かってエネルギーを溜めている瞬間。

そんなとき、時には両親、時には自分自身に後押しをされ、通訳の仕事をしたいという想いを実現しています。


通訳の仕事は、単なる語学力だけでなく、外国のことはもちろん、日本、そして日本人についても深い知識・教養が求められるのでしょう。語訳が許されないと話しているところは、プロフェッショナルであることを感じます。

ユニクロや楽天で社内公用語が英語になるなど、今後、英語をはじめとした外国語を使ってのコミュニケーションはごく当たり前のことになるでしょう。私も以前は英語を仕事でも使っていましたが、現在はほとんど使うことがなくなりました。研がない刀は錆びてしまいますが、少しでも語学力は維持していかなければいけません。
「それぞれの針路」 建宮 実和 さん (35) 〜「他者との対話」を地域医療と自分の生き方に織り込む〜 [2010年12月30日(Thu)]
前職の最後の勤務の日。みんなと。(前列左から2人目)
【過去〜現在】
■現在の仕事について:
100床程度のちいさな地域密着型の病院で、内科病棟の看護師をしています。単純に転職斡旋会社に紹介された病院ですが、国際医療ボランティアを行っているNPOシェアの本田徹医師が勤務しており、病院が山谷地区にあるため、高齢の生活保護者で独居の患者さん、40〜50代の路上生活者が多く見受けられます。NHKで放映している「無縁社会」の世界、日本の「貧困問題」を目の当たりにしています。


■現在の仕事に行き着いた経緯:
今年の春まで、東北大学病院のICUに勤務していました。看護師になって12年、うち8年、ERとCCU、ICUをいったりきたりしました。

大学は脳死移植医療、生体移植医療を行っていたので、移植待機している患者さんの意思決定のプロセスを一緒に過ごしたりしました。緊急性を要することもある現場で、いざという時に頼りにしてもらえる看護師でありたかったし、そのための技術や知識も得て、人脈もあって。仕事はそれなりに過酷でしたが充実していました。

だけど、その一方で、自然なかたちで死ぬことができない現実に疑問を抱くようにもなりました。大学病院に入院、ICUに入室、「できることをすべてして欲しい」と家族から頼まれた、ということは、こちらとしては可能な限り器械や管を着け、リスクが高くてもメスを入れて救命する、という解釈になります。

無論、それで助かればいいので、ずっとやってきたのですが、自分の家族のことなどを考えだすようになったら、どうすればいいのかわからなくなってしまいました。

どんなに器械に頼って薬剤をつかっても、必ずいつかは終わりがやってきます。死なないようにすればそれでいいのか、生きてるってどういうことなんだろ?何をしたらいいんだろ、とか、あらためて考えだすようになって、リスクの大きな手術もせざるを得ない、という状況に至る度、抱えているジレンマがどんどん大きくなり、このままずっとICUにはいられないと感じるようになりました。辛くて辞める人も多かったので、なかなか一般病棟に出してもらえなかったし、働けないほど無理な感じではなかったので、ただ自分が我慢弱いのかもと思いながら仕事はこなしてました。

そんなとき、春に秋田の友人の家に遊びにいったら、友人の家の隣に住んでいるおばあちゃんが、ニコニコして山菜を届けてくれました。

その笑顔がほんとうにキラキラ眩しくて。生きてるひとはこんなに美しいんだって。自分が毎日看ている患者さんとのギャップに、ハンマーで頭を殴られたようなショックを受けました。自分は他者に対して、毎日いったい何をしているんだろうと。

自分のやっていることがとてつもなく傲慢なことに見えて、すごく気持ちが揺らいで。以来、仕事が休みの日に、特に悲しくもないのに涙が止まらなくなったり、外に出られなくなったり、あまり自覚はなかったのですが、プチ鬱みたいな状態になってしまいました。

「死なせちゃいけない、なおさなくちゃいけない」のが正しい、どんなにリスクがあってもそうしなくちゃいけない、その「正しさ」を求められる現実に必死で、自分の気持ちやからだがおいてけぼりになっていたような気がします。でも、いつか必ず終わりが来るなら、その正しいやり方にどれくらいの意味があるのだろうと。

何にとって、誰にとって「正しい」のかしらと。

自分の気持ちやからだに嘘や無理がない、そんなやり方。
それは自分だけじゃなくて、患者さんにも無理をさせたりしないやり方につながるのではないかと考えるようになりました。

そんなとき、友人の西村佳哲さんが、ファシリテーターのためのワークショップに誘ってくれました。人と対話して、人の見方を捉えなおすことができ、とても豊かな時間を過ごしました。多様性を認めあいながら、共生する在り方を知った、というか。

矛盾や葛藤も悪くない、と、なんだかとてもほぐれた感じがしました。答えのわからないことはたくさんあるけれど、他者との対話を通して見えてくるものがあると思います。他職種間のチーム医療にも、ひとりの看護師として他者の生き方を支援するにも、ファシリテーションは役に立つんじゃないかと思って、もっと知りたくなって、周囲に説明して思いきって大学を辞め、上京しました。

Be Nature Schoolという場所で、中野民夫さんをはじめとする講師陣、諸先輩方に教えてもらって…というか、お互い世界は違うけど、ともに愉快に学んでいます。

現在は地域密着型の小さな病院で働きながら、地域医療のネットワークに参加して事例を共有しながら学ぶ会を立ち上げたり、東大の臨床倫理セミナー(誰もが参加できる、医療倫理や死生学について考える会)に通ったり、青学のワークショップデザイナープログラムに通ったりして、現場実践と理論を行ったり来たりして、いろんなチャンネルをのぞいています。どの世界も、答えはないけれど、対話を通して参加者各人のなかに何かが積み重なって満たされていく感じがしています。
何かってなんなんだろ。

いまは看護師人生の、いわば芋虫期→さなぎ期みたいなところにいるのかな。自分の内側におこる出来事をそのまま感じたり、出会うことをじっくり味わったりする時間をすごしています。

「様々な情報はあふれているけれど、要は誰に出会えたかが全て」と教えてくれた人がいますが、まさにその通り。いろんな葛藤があっても、たぶん、自分の内発性でドライブする生き方のほうが、いのちを含んでるし、生きてる、に近い。

こんな年になってからの、そんな勝手な決断を許し、応援してくれたり気にかけてくれる人たちがいることに、本当に感謝です。


■現在の仕事から得られたもの:
(苦労・悩み)誰も悪くないのに、現実は厳しくて哀しいし、はかなくて切ないこと。

(喜び・楽しさ)日々のちいさな幸せが嬉しいし、たのしいし,愛おしく思える。
人も自然もいまここでおこっていることすべて、偶然なのに必然で、奇跡的で豊穣。
それから、自分の感受性次第で,世界の見え方がかわることを興味深く思う。

【現在〜未来】
■私の目標・夢:
女に生まれたからにはやっぱり母になるのが夢。

生活するために仕事が必要であることは確かなのですが、仕事の対価として得たいものについてはいまだ考え中。感謝されたい訳でもなく,自己実現したい訳でもなく…。
他者と経験をシェアして関係性を育めあえる自分のデザインを、いろいろとトライ&エラーで模索中。


■座右の銘:
「すべては正しい時に、正しい場所で起こる」
「人生の悲劇は苦しいことにあるのではなく、なにを見落としたか、にある」
「矛盾と同居できる人は美しい」 
「弱さを絆に」

すべて、本を読んで印象に残ったフレーズです。


■印象に残った本:
ジュリアン・シュナーベル監督映画 「潜水服は蝶の夢を見る」 
ミヒャエル・ホフマン監督映画 「厨房で逢いましょう」
ミヒャエル・エンデ著 「モモ」 
サン・テグジュペリ著 「星の王子様」 
松浦弥太郎著 「今日もていねいに」 
西村佳哲著 「自分の仕事をつくる」 
川口有美子著 「逝かない身体」
向谷地生良著 「安心して絶望できる人生」「技法以前」
木村秋則著 「奇跡のリンゴ」


☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
今年最後の「それぞれの針路」です。

美和さんとは、Be Nature Schoolというファシリテーションスクールでいっしょになったのがきっかけです。第一印象は物静かでシャイな女性でしたが、話をしていくうちに、それは大きな誤解であることが分かりました^^;

おそらく今までに多くの人と出会い、濃密な時間を過ごしてきたのでしょう。出てくる言葉は、とても思慮深く、洞察力に富んでいます。

私も性格的によく考え(時に考え過ぎ)、奥行きのある対話をすることが好きな人間ですので、美和さんの言葉一つ一つが妙に響きます。

しかも自分と向き合い、働き方や生き方に対して、「答えのない答え」を探究している姿は、現在、暗中模索している私と重なり、強く共感できます。多忙を極める中、アンケートに協力してくれてありがとう。

美和さんの言葉にあるように、「何を成し遂げたか」よりも、「誰と出会い、何を感じたか」に光を当てた生き方を目指したいです。


みんなでマイケルジャクソン追悼。。。のつもり。


ICUはこんな場所
「それぞれの針路」 Ralph 龍生 Lampman さん (32) 〜魚を通して川や自然の大切さを人々に訴え、漁業問題の解決に貢献したい〜 [2010年11月21日(Sun)]

ヨセミテ国立公園にて筆者と

【過去〜現在】
■留学のきっかけ:
私の留学経験です。

・南オレゴン大学(1997−1999年、環境学)
・フンボルト大学(1999−2003年、環境科学)
・オレゴン大学(2009年−現在、魚類学・大学院)

前期の大学受験をプレッシャー負けして全て落ちてから、これからどうなるのか、どうしようかと途方に暮れていた時期に、母から『アメリカに行ってみたら?』という何気ない投げかけに、『そうだ、やってみようか』と素直に開き直って、挑戦してみることにした(母にはいつもこの頃、歯向かっていた反抗期だったにも関わらず)。

おじいちゃんが亡くなる間際に自分に言い残してたことが、『アメリカに行きなさい』という言葉だった。その当時はなんでそんな事言ったのだろう、と理解に苦しんだけれど、彼のあの時の言葉も今になれば多少なり影響があったような気がします。

アメリカから7才の時に日本に移入してきた自分は日本が好きになり、永遠に日本で過ごしたいと思っていたのだが、世界を見るのは今だと決意して、自分を評価してくれなかった日本を見返す意味でもあっちで頑張ってやろうと張り切っていたのは覚えています。


■留学から得られたもの:
何から何まで全てが決められてる日本と違って、アメリカの大学は日々のスケジュールから取る授業まで、自分で決められるので独立心をとても大切にしています。

大学では先輩後輩という上下関係もないので、留学している日本人も年の差に関係なく和気藹々とみんなで楽しく過ごしていたのを覚えています。

英語力が多少劣っていても、努力すればいい成績を上げられるので、その分、努力の大切さは身にしみるほど感じました。ずっと長いこと日本語でしか話してこなかった母とも対等に英語で話せるようになったのは今でも覚えています。


■現在の仕事について:
フンボルト大学を2003年に卒業してからはオレゴン州で米国農務省森林局の水産生物学者として5年間勤務しました。

伐採等の森林で行われる活動が淡水生物に影響が及ばないようにコンサルトをしたり、絶滅危惧種の鮭を保護するための川の回復作業に取り組んでいました。地元の小中高学校の生徒を相手に魚や川についての実地見学講座をしたり、ドライスーツを着て魚を川の中で数えたりという調査も仕事の重要な任務でした。(地域に根付いたサケ資源再生プロジェクトへのしっかりとした基盤を固め、ついには国際的にも評価の高いRiverprize賞をはじめ、数々の賞を受賞するきっかけとなった“サユースラ川流域パートナーシップ”では、陰ながらも重要で欠くことのできない任務と役割を果たしたと自負しています。)

林業が中心だった昔と比べて、最近では水産生物や野生生物の管理がとても重要視されています。社員構成は様々な科学・分野を専門にする人達が選り取り集まっているので、毎日学ぶことも多いです。


■現在の仕事に行き着いた経緯:
フンボルト大学時代に森林局の夏の仕事のインタビューをキャンパスで受けて、第一希望の土壌科学の仕事は取れなかったものの、水産生物の仕事ならあるよと言われて、全く経験のない分野だったけれども、いい経験になるだろうと思ってやってみることにしました。

仕事内容は森林内での魚保護の為の100%の肉体労働でした。魚の保護は実際にこうやってやるんだ、といういい実地体験になりました。魚類学は自分の専門分野ではなかったために、上司や同僚にいっぱい質問をして出来るだけ学ぼうと一所懸命頑張ったのを覚えています。

例え勤務時間を越えても、一人で残って作業に取り組んだこともよくありました。そういった取り組みが評価されたのか、次の夏には正社員のインターンとして戻ってこないかというお誘いを受けました。少し迷いましたが(魚が専門じゃなかったこと等もあって)、でも仕事内容はやりがいのあることばかりで、例え専門じゃなかったとしても、今から学んでいけば自分も立派な水産生物学者になれるはずだと決意しこの仕事の誘いを喜んで受諾しました。


■現在の仕事から得られたもの:
アメリカの国家公務員として働いていることもあり、自分の英語は少しずつ上達はしているものの、まだまだネイティブの域には到達していないので、周りから自分はどう見られているんだろうという自意識は昔から強く持っています。

それから、アメリカには反政府主義の人が多く(特に田舎町には)、そういった人達は政府機関がやることは全て『悪』だという先入観があるので、そういった考えを持った人達に自分たちが取り組んでる事を説明して理解してもらうには相当な努力と辛抱が必要です。そういった地元の人達と心を開いて対話と理解が出来るようになった時の感慨はその分この上ないです。

毎年、夏に稚魚の調査、冬に産卵調査をするのですが、その時にコホ・サーモン(銀鮭)の数が増えていると、今までやってきた事が報われてよかったという喜びを感じます。

絶滅に瀕しながらも、2年前に見た稚魚たちが海を渡ってまた同じこの川に戻ってくるというライフサイクルに自分が少しでも貢献が出来たかと思うと、心がほっとします。

オフィスの中で朝から夜までコンピュータと睨めっこする仕事が多いこのご時勢で、森林の中で魚と戯れながらやれる仕事が出来るという事にとてもありがたみを感じます。(でも、もちろんオフィスの仕事も50%位ありますが…)


【現在〜未来】
■私の目標・夢:
魚は自然のままのきれいな川がないとやっていけません。そういう意味で魚を守るという事は自然のままのきれいな川を保護する事でもあります。

向上と開発をモットーにしてきたこの近代社会はこういった自然の役割や大切さを見下してきた感があります。そういった意味で魚を通して川や自然の大切さを人々に訴える事が出来れば自分としても本分です。

他の生物に自分たち人間は生かされているということを少しでも認識してもらうために、自分の出来る範囲でやれることを幅広くやって行きたいと思います。米国と日本の両方で育ち、英語も日本語も話せる自分は、サイエンスとポリシーにおいて見受けられる2国間のギャップを埋めること、そして太平洋を挟んだ国の間にまたがる漁業問題の理解と解決に向けて貢献していけたらと思っています。

仕事はお金のためには絶対したくないです。自分の人生の半分以上をやりたくないことをして過ごしたくはないです。でも、そうせざるを得ない人も世界には沢山います。そういう意味では自分の好きな事、やり遂げたい事に繋がる仕事が今出来るという事は自分が置かれている環境が恵まれていると思います。

でも、少ないチャンスをどれだけ活かして、どれだけ自分の行きたい方向に突き進むかはチャンスだけじゃできません。人一倍努力が必要だと思います。努力とチャンスが初めて合流した時に人は夢に少しずつ近づくのだと思います。

今自分に足りないものはたくさんあるのですが、大学院生として研究している今特に足りないと感じるのは『時間』です。やりたいこと、やり遂げたいことは今はっきりしているのですが、それを成し遂げる時間が足りないように感じます。でも、時間は全ての人に平等に与えられているので(お金は平等でないにしても)、今ある時間を有効に利用するのみです。

■座右の銘:
意志あるところに道は開く (Where there is a will, there is a way)
声のないものに声をあげる(Give voice to those who cannot speak)

■尊敬する人物
奥富宏幸: 大学生時代の青かった自分、兄弟がいなかった自分にいろいろな意味で人生について幅深く教えられました(彼にそのつもりはなくても)。人生を熱く生きる事の大切さ、今という時間はまたと来ないということを彼から学びました。

■印象に残った映画:
ジェラミー・モンロー(Jeremy Monroe)が作った『RiverWeb』という作品です。研究中に舟での事故で若くしてなくなった中野繁(日本の水産生物学者・生態学者)の生涯を通して魚の神秘そして科学の可能性を人々に訴えかけています。これを見ると、真っ先に外に飛び出して川の中に潜りたくなりますので、くれぐれもご注意ください。

■ホームページ:
私について
大学院のプロジェクトについて


☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
Ralphは、アメリカで出逢った親友の一人です。

Ralphとの思い出は数知れず。Ashlandの山のトレイルを星空の下いっしょに走ったり、寮でのみ語り、ヨセミテ公園やサンフランシスコへ旅に出たり。

アメリカと日本の血を引き、凡人には理解できない言動と独特の「間」を持つユニークな人物。日本のような「同質」の社会では適応できないだろうから、自分の夢の実現に向け、これからもアメリカでのびのびと周りを白けさせ(笑)、ホッとさせていってほしいです。

半分お世辞だとしても、「尊敬する人物」に私を挙げてくれてちょっと嬉しいなー^^ いつか、Omar'sでまた飲みたいね。

Ralphのことは、他の記事でも紹介しています。
「それぞれの針路」 上野 真 さん (33) 〜誰もが平等を享受できる世の中にペンを通して貢献する〜 [2010年11月18日(Thu)]

【過去〜現在】
■留学のきっかけ:
アメリカ滞在期間は計5年半くらい。3年が学部生で、残りが大学院です。専攻は大学・大学院とも国際関係学で、主に国際関係学の理論(実証主義とそのアンチテーゼ)、異文化コミュニケーションを学んできました。

きっかけは、ずばり受験とバイト失敗! 高校の頃、偏差値しか自分の物差し持ってなくて、しかもそれがソコソコだったもんで、「将来は楽勝♪」くらいに思ってました。

バイトも同じで、「ガードマンの仕事なんて楽勝じゃん♪」みたいに思ってたら、見事に鼻っ柱折られた訳です、ハイ。

要は天狗、井の中の蛙、何チャラの何チャラ大海を知らず状態で、それが高校卒業間際になって、超現実として「自分、このままじゃマジヤバい」と。

今だから笑って言えるけど、でも実は立ち直るのに1年半もかかってる軟弱者ですw


■留学から得られたもの:
留学で得たもの・・・。一つや二つじゃないです。それが「留学」だから得られたのかどうか・・・。

でも、断言できるのは祖国を離れ、見知らぬ土地でいろいろな人と接し交わり、ときに喜び合い、ときに悲しみ合い、怒鳴り合った経験がなければ今の自分は有り得ないという事。月並みですが、貴重です、財産です。あぁ、ひと言でまとめると「アイデンティティ」の獲得でしょうか。


■現在の仕事について:
現在は小さいながらも出版社を経営中。経営と言っても、ただ仕事まわしているだけです。テーマは何気に硬派で「男女共同参画」いわゆるジェンダーの問題や人権問題など。

歴史も実は古く、1979年から。大海を漂う枯れ葉のように浮かばず、決して沈まない・・・大きな需要はないかもしれませんが重要なテーマだと思いますので、細々と、でも絶やすことなく続けていきます。


■現在の仕事に行き着いた経緯:
人の生きる道って、いくつもの支流が流れ込んで、だんだん大きな川(は言い過ぎか)になって、最後は海へ還るみたいな感じかと。

なもんで、今の仕事に行き着いた経緯もたくさんの支流があるのですが、ひと言でまとめると文章を書くのが好き、本が好きという言葉に尽きます。

特にカタメのテーマ(人権やジェンダーなど、社会と人、人対人に関する検証、考察など)が好きで、大学(院)の勉強も一貫して同じ内容を勉強してきました。

僕は不器用だし賢くもないので、「自分が好きと思えるもの」以外をする能力はありません。これまで2度出版業界周辺で転職しましたが、

この業界からは離れられないなぁと、仕事が忙しくなる度に思います。要は好きなんです、この仕事。人を知り、世の中を知り、おかしい事におかしいと言い、素晴らしい事をそのまま素晴らしいと言う事がそのまま仕事になるのは嬉しいです(もちろん、おかしいと思う事でも仕事のためと、目をつぶる事多々ですが)。


■現在の仕事から得られたもの:
苦労! 締切が・・・とか、筆が進まない・・・とか!? 自分は経験が未熟なため、まだまだこれから。経理・総務関連の作業は苦労というか苦痛です。

今の仕事でどんなことに喜びや楽しみを感じるか。
人と対話し、その人のライフストーリーなりを原稿化する事。社会を「人権」あるいは「平等」という視点から俯瞰し、「これはどうなの?」と思う事を調べ原稿化し、世に問う事。
仕事を通して「自分」と「自分をつくっているモノ」を知る事。


【現在〜未来】
■私の目標・夢:
将来の夢は誰もが平等を享受できる世の中にペンを通して貢献する事。人権やジェンダーにかかわる問題を掘り起こし世に、自分に問う事。

そうした問題に関わる人たちを取材し本にまとめる事。その他ライフワークとして写真を撮りますが、結局これも仕事(というか自分のゴール)の延長線上になっています。

仕事をする目的は自分の暮らしを成り立たせながら、上記のゴールを実現する事。デザイン・印刷に関する知識や経験が皆無であるのはもちろん、ライター・編集者としての経験も浅いので、まずは本業である原稿執筆・編集のスキルアップをしなければ。会社経営についても労務や税務の知識、会社運営のノウハウなど、勉強・経験を積んでいかなければいけない事が山盛りです。


■座右の銘:
"Stand By Me"


■尊敬する人物:
大学院時代に出会った教授です。


■ホームページ:
http://www.boriko.com/


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真とは、アメリカの片田舎で逢いました。

同じ時期に、日本からアメリカへ留学し、同じ大学を選び、何人かいる日本人の中で友人になり、そしてその関係が今も続いています。


本当にすごいことだと思います。


帰国して約10年が過ぎ、お互い学生時代に夢見ていたことそのままを今現在しているわけではないですが、苦悩と新たな気づき、後退と前進を繰り返しながら、自分の歩く道をつくっている気がします。


真が書いた言葉、

「人の生きる道って、いくつもの支流が流れ込んで、だんだん大きな川になって、最後は海へ還る」

が心に響きます。

人生の”支流”はなるべくたくさんあったほうがいい。
「それぞれの針路」 Y さん(30代) 〜「医療分野での国際協力」という夢に挫折し、家業を継いだ有機農家の苦悩と希望〜 [2010年09月23日(Thu)]
【過去〜現在】
■留学のきっかけ:
私は、当時、日本大学に在学していましたが、1998〜2000年の2年間、アメリカの大学で文化人類学を学びました。

留学しようと思ったきっかけは、国際協力に活かすため。「やってやるぞ」という気持ちで、希望に満ちていました。


■留学から得られたもの:
英語力、友人との出会い、そして、自信です。

いつも自分の部屋に友人が集まり、カレーを食べたり酒を呑んだりしていたこと、アリゾナで見た夕焼けは、忘れることができません。


■現在の仕事について:
個人向け野菜セットの宅配が中心の有機農家です。少量他品目栽培を行っており、1988年より無農薬、無化学肥料の有機農業に転化しました。働き手は家族と研修生です。


■現在の仕事に行き着いた経緯:
以前は看護師をやっていて、海外で緊急医療援助をするのを理想としていました。緊急医療援助を理想とした理由は、援助などの外部の関わりは最小限にして、現地の人達自身で物事を進めて行く方が、その人達にとって幸せではないかと思ったからです。

しかし、自分には救命・外科系は無理だと思い、現地の人達自身で物事を進めて行くことに配慮した保健・公衆衛生の活動を夢にしました。

その後、看護師としての自分の力量不足を痛感し、病院勤務を辞める。後に、保健・公衆衛生で具体的にどういう活動をしたいかというイメージがなかったことに気付きました。

自分は「人に喜んでもらうこと」がやりがいだが、国際協力に限らず、農業でも同じことが出来るのではないかと思い、有機農業を継ぐことにしました。

有機農業に夢を持ってやり始めたわけではないため、新規就農者の一生懸命さに後ろめたくなることもあります。自分自身、有機農業にもっと興味が湧けばと思っています。


■現在の仕事から得られたもの:
「農業をするにあたってのモチベーションをどう高めるか、どこにやりがいを見出すか」、日々悩んでいますが、現在、それが少しずつ分かりつつあります。

作った野菜を「おいしい」と言って食べてもらえること、

食べている人たちの生活を支える一部になっているのを実感すること、

自然の中で、四季の移り変わりを感じて生活していけること、

に喜びや楽しさを感じます。


【現在〜未来】
■私の目標・夢:
お客さんと「顔の見える関係」を作ることです。

将来的には、農園を継いで、自分自身で経営することです。そのために1年間、有機農業について学び、2年目には経営理念を持って経営を始め、お客さんとの交流を深めていきたいです。


■座右の銘:
「相手の立場に立ってものを考える」


■印象を受けた映画:
映画『フォレスト・ガンプ』 おごらず、いつも一生懸命なフォレスト。自分も何事にも前向きに一生懸命でいたいと思いました。


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Yさんとは、アメリカで知り合いました。寡黙な中にも内に秘めた強い意志を感じられ、どこか私とも共通するものを感じていました。

看護師になると目標を達成しましたが、自分の力量不足を知り、現在は、家族が経営する有機農業に携わっていますが、もがいている状況が想像できます。

そういった経緯も、現在家業を継ぐことを選択したものの、不安や葛藤と闘いながら、日々、自分の生きる道を模索している自分と重なるところがあり、共感できるところが多いです。

Yさんとは、今後もお互いの近況を報告し合うことで、それぞれが自分の目標を実現するモチベーションの一部になればいいなと思います。
「それぞれの針路」奥富 宏幸 (筆者) 〜家業とライフワークの両立を模索〜 [2010年08月02日(Mon)]


【過去〜現在】
■留学のきっかけ:
最初に勤めていた会社では、自分のやりたいことが見つからず、小さいことにこだわる上司や、半強制的に参加しなければいけない飲み会などに疑問が出てきて、何かモヤモヤしていました。日本の大学ではサッカーに夢中で真剣に勉強しなかったことや、父親が自営業をしていたこともあり、一度海外でビジネスを学びたい、英語を使って何か仕事をしていきたいと思っていたので、留学を決意しました。

そして、アメリカのオレゴン州Ashlandにある南オレゴン大学の大学院で経営学を学びました。最初の3カ月は語学学校で英語を学び、その後大学でビジネスの基礎科目をいくつか取った後、大学院へ行きました。夏学期もフルにとり、計2年間で何とか卒業することができました。


■留学から得られたもの:
いろんな価値観を持った人がいることを実感し、環境適応能力が身につきました。寮生活をしたとき、ルームメイトがアメフト部の巨漢で内心とても焦りましたが、少しずつ打ち解けていくといい人だと分かりました。

大学院では日本人が私一人でしたので、いつもプレッシャーを感じていましたが、こんなに勉強できる環境を与えてくれたことに感謝もしていました。

26歳の誕生日に、留学生仲間がこっそり誕生日会を企画していて、30人以上の友人が祝ってくれたことは今でも忘れられません。


■現在の仕事について:
現在は、実家で、古紙や機密文書などを回収・加工する仕事をしています。祖父の代から85年以上続く小さな会社で、地域密着でやってきました。現在、私は営業、マーケティング、経理、人事などの仕事を幅広く学んでいる段階です。

既存事業と並行して、今までの経験を活かしてコンサルティング事業も始めました。さらに、ボランティアでキャリアデザインの支援を行うことも始めました。


■現在の仕事に行き着いた経緯:
今までいくつかの会社を渡り歩きましたが、サラリーマン生活をずっと続けていくか疑問を持ち始めていました。転職するたびに、仕事の量・質ともに増え、やりがいはありながらも、プライベートな時間が削られ、心にゆとりがなくなったり、息苦しさを感じていました。まるで、ジェットコースターのような短い時間の刺激を得るような感覚でもありました。

昨年、ドイツに半年以上駐在した経験が、サラリーマン生活に終止符を打つ大きな転機でした。
ヨーロッパでの生活は非常にシンプルです。日曜日はお店がほとんどやっていません。また、モノをとても大事に使います。

私が住んでたアパートは築100年近くだったと思います。自転車は、頑丈で少し高価なので、みんな自分でメンテナンスして何年も使います。数千円で買えるからと放置しておくようなことはしません。

週末は、家族や大切な人と公園でのんびりしたり、カフェで話し込んだり、バーで飲んだりしています。私は、平日、週末関係なく、朝から晩まで働いていました。少し不便だけど、どこか人間らしいライフスタイルは 自分にとって、本当に大切にするべきモノを再認識させてくれました。

父の高齢化で実家の会社をたたむか売るかを決めることになり、仕事内容・収入・健康・プライベートの時間の優先度をもう一度考えてみて、実家の仕事を継ぐことにしました。

3月に行ったフィリピンでのボランティアも自分の考えをさらに固める良い機会になりました。数日間でしたが、村でホームステイを経験し、家族で共有する物理的時間がとても長いことと、Face-to-faceのコミュニケーションをとっていることが、とても印象的でした。私の人生観は、「シンプルで少し不便、でも家族との時間を大切にする人間らしい生活」へ、最終的には収斂されていくのだと気付きました。


■現在の仕事から得られたもの:
父親や家族との意見の相違は日常茶飯事です。お互い、言い分があるのですが、なかなかサラリーマン時代のように、相手を受け入れながらコミュニケーションするのが難しいです。家族なので、時には、情に流されて気を遣ったり、時には感情的になったり。外資系の大きな会社から小さなオーナー会社へ転身したので、人間関係の構築が一番大変です。

一方で、精神的に少しゆとりが出てきたように思います。仕事はもちろんハードですが、自分に与えられる裁量が大きくなり、選択・決断することも増えましたので、いい意味、自分自身で生活をコントロールすることができます。また、満員電車に揺られるストレスもなくなりました。ホワイトカラーから半分ガテン系になったので、以前より自然や景色の変化に敏感に気づくようになりました


【現在〜未来】
■私の目標・夢:
キャリアデザインで迷っている人に対してアドバイスを行ったり、生活や仕事の質の向上に少しでも役立つことができるような活動に携わっていきたいです。

人とのつながりを実感でき、人の自立や夢の実現を後押しすることが私の生きがいです。仕事や生活の中で直面するさまざまな問題を解決するための手段として、相談者と共有できる「場」を作り、自ら方向性を見いだし、主体的に行動することを支援していきたいと考えています。

家業(もともとの事業)、家業(新しい事業)、ライフワークと3足のわらじですが、当面は家業に注力する必要があります。いずれは、ライフワークに費やす時間を確保し、相談者に対する独自の手法の確立していきたいです。また、様々な分野で活躍する人たちと交流する機会も増やしていきたいです。


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過去〜現在、現在〜未来について、感じたことを思うがままに書くことは、自分を見つめなおし、”針路”を発見する良い機会となります。自分のキャリアストーリーを共有したい方は、ぜひご連絡くださいメガホン
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