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奥富 宏幸
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新年のごあいさつ [2021年01月03日(Sun)]
新年明けましておめでとうございます。

今年は年男。牛歩戦術ならぬ、牛飛戦術といきたいところです。



昨年は本当に人類にとって、まさに「緊急事態」が起こりました。

人、モノの移動が制限される一方で、情報とお金の流れは新しい動きが見えてきました。ビジネスにおいても、航空、飲食、旅行、重工業など、対面、接触、移動を伴うもの、万人受けするものは危機的な状況に陥りました。



一方で、日本電産、ユニクロ、ニトリなどの大企業のようにリスクを分散し、多品種少量生産の仕組み化を極限まで研ぎ澄ませる会社は元気でした。中小企業でも、ネット、AI,クラウド、小商圏、専門性の高いものは、業績を伸ばしました。



今年に入り、コロナウイルスの感染拡大が収束するかはまだ分かりません。

今までのビジネスのやり方が通用しなくなる中で、結局、これからどうしていけばいいのか?その答えは誰にも分からない。世界中の人が、見えない「不安」に苛まれています。いつ収束するか、仕事は続けられるのか、会社は存続できるのか、不安でしかない。解決の糸口が見えない。誰かに、何かにすがりたいという空気が蔓延してきています。



そんな中、より「本物」が求められると思います。



似たような商品・サービスは他社との違いを出せずに埋もれてしまいます。人が、会社、サービス、人に対して、「本物」だと思うためには、信用が必要です。



信用を得るには実績が必要。目に見える数字と、信用に足る人と世界観が必要です。そのためには、多くの人を共感させる言葉の力が必要になります。経営者であれサラリーマンであれ、自分自身が社会というキャンバスにどんな絵を描いていきたいのか、考えていきましょう。与えられた職場・役割で、日々リーダーシップマインドを持って行動していきましょう。



*

今年は丑年ですが、どんなものになるでしょうか?


牛(丑)は、十二支の第二番目ですが、十二支の選定と序列について、朱熹は動物の日々の活動時間から決められたとしています。23:00から1:00は子の刻で、鼠は最も活発に動き回ります。1:00から3:00は丑の刻で、牛が反芻する時間です。1日の反芻時間は6〜10時間で、1分間に40〜60回もかんでいるらしいです。すごい!


その一連の変化があった鼠年を考えるならば、丑年の今年はまさに反芻。コロナウイルスを通して、人間の生き方・働き方を反芻する一年になるでしょう。脱兎のようなスピード社会の中で、牛歩のごとく、一歩一歩着実に結果を出すことを考えていきましょう。



この混沌とした2021年を乗り越えるためのキーワードは、「信念の反芻」です。

それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします。



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月とチーズに関係はあるのか? [2020年12月28日(Mon)]
デンマークの実存主義哲学者である、キルケゴールは言いました。



「月がチーズでできていても、それが私に何の関係があるのか!」

確かに、何の関係もございません。はい。





でも、よくよくこの言葉を眺めてみると、何とも言えない余韻を残します。すごいインパクト、そして詩的でとても繊細です。



キルケゴールは、「今ここにいる私」が何より大事で、自分にとっての真理を追究しました。そして、なんだかんだ言っても最後は人間は死ぬのであり、絶望しかないと言い放ちました。



そんなキルケゴールですが、彼が月とチーズを選んだのには、深い理由があるように思えてなりません。しかも、月→チーズという順番です。世間を騒がせているアメリカのトランプ大統領なら、



「チーズが月でできていても、それが私に何の関係があるのか!」



と言いそうなものです。この違い、分かりますか?





キルケゴールは、まず始めに、思考を384,400km先まで飛ばして、目の前にあるチーズに視線を落としています。思考半径を極大化することで、創造力や創造力をめいいっぱい広げたのではないでしょうか?彼だけでなく、読み手の思考半径も広げました。



自分中心ではあるんだけど、考えの及ぶ先をどこまで考えるのか?しかもその考える先は、まさに「月とスッポン」のように同じ次元で比べようのないもの。その思考のプロセスの違いが、仕事や人生で大きな差を生むように思います。



  • 本屋は本を売る。
  • クリーニング屋は衣服をきれいにする。
  • 学校は授業を教える。
  • 会社は働く場所である。


これらを「チーズ」とすると、「月」にあたるものは何なのでしょうか?
そして、あなたは「月」に行きたいですか?



年末年始は静かに過ごす方が多いと思いますので、
そんなことをじっくりと考えてみてはいかがでしょう?
肥った豚よりも痩せたソクラテス [2020年12月14日(Mon)]
「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」


以前、東大の卒業式典でスピーチをした方が、過去の総長が使ったこの言葉を引用しました。



当時は、この言葉が新聞やテレビでかなり大きく報道されたので、覚えている方もいるかもしれません。



元々は、ジョン・スチュアート・ミルの

「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。
同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。」



から来ています。



ミルは質的功利主義である、「ただ生きるのではなく、善く生きる」ということ。このことの真理を探究することを彼は説きました。



それを過去の総長が違った解釈をして使い、その誤用をスピーカー、さらにはメディアがそのまま世間へ垂れ流ししてしまいました。



しかし、このスピーチの一連の問題を見ると、不確かなあやふやな情報の中で生きる私たちがいかに危険な状態にいるのかが分かります。情報の真偽、オリジナルかコピーかも分からないまま、その情報を消費している、という認識に立ちながら、自ら情報を獲りに行く必要があります。




アメリカの大統領選も、まさにネットによる世論操作を駆使し、情報を制したものが勝者になりました。真の勝者であるかは別として。日本も構造的には同じ状況にあります。



そういう世界で生きている中で、撒かれた餌に食いついて現実の苦悩から逃げるのも一つですが、スキゾなスタンスで「嫌いなものを好きになる」「違うものを受け入れる」方が、得られる結果の純度が高いように思います。



今流行りのアニメ的に言えば、「満足した鬼より不満足な人間になれ」です。


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自粛との向き合い方 [2020年05月11日(Mon)]
「緊急事態宣言」が5月末まで延長されましたが、早ければ今週には解除される都道府県もあるかもしれませんね。

宣言をいつまで伸ばすかも考えるべきことですが、やはり検査体制と医療体制の強化を優先させながら、経済を早く回すことが必要だと感じています。

連日のメディア報道のあり方も問題です。


「ロックダウン」「オーバーシュート」など今まで聞いたことがないような言葉を連呼し、パチンコ店の行列や「自粛警察」といった面白そうなワードを選んで、コロナの悪影響ばかり報道しています。

各国の対応の比較や、客観的データをもとにした冷静な分析などを行う番組がもっとあっても良いと思いますが、メディアもコロナウイルス禍を自己同一化してしまっているために、一歩引いた視点での建設的な議論ができていないのかもしれません。



毎日、感染者数が報道され、不安感も増大するのも分かります。

しかし、それは不安に自分が取り込まれているだけであって、必要な情報を自分から取りに行くことで、ずいぶんと楽になると思います。



ところで、最近は、SNSでもメディアでも、


「ステイホーム」
「お家で過ごそう」


と、みんなで自粛しよう!という動きが広がっています。
GWは自粛に我慢できずに外出する人も増えたようですね。



ステイホーム、
ステイホーム、
ステイホーム・・・



「禁止への侵犯」ではないですが、人は「やめろ!」と言われるとむしろしたくなる欲求がありますね。

その欲求を抑え、何とか自粛モードを乗り切ろうとYouTubeなどで発表されていますが、
皆さんは何か考えましたか?

面白いアイデアがあれば、ぜひシェアして下さい。



私はこんなことを考えてみました。

今回のコロナ騒動で何が一番辛いかと言えば、今までできたことができないこと、自己決定権が制限されること。


行動も会話も制限される・・・ であるなら、

今の自粛期間を「海外留学」と考えてみてはどうでしょう?



異国の地では、何かもかもが初めての経験です。
留学当初はどこに何があるのかも分からず、行動範囲は非常に限定されます。


そして、「自宅で留学する」ために名前も変えてしまいましょう。

例えば、ダニエル・クレイグとか。



「今日から自分はクレイグだ!」と宣言してみるといいです。

周りの人にも名前を変えるようお願いしてみましょう。


家族から、テレワークで会社の同僚から、

「クレイグ、今日の調子はどう?」
「クレイグ、このレポートをつくっておいて。」

と言われるのです。



クレイグとして生きてみると、緊急事態宣言前の状態が違う世界に見えてくるのではないでしょうか?



どうせなら、使う言語も変えてしまいましょう。

海外では日本語が通じないように、自宅ホームステイ期間中は、使用する言葉の語尾に必ず「コロナ」をつけるのです。


「おはようコロナ」
「今日は何食べるコロナ?」


といった具合に。


何を馬鹿なことを言っていると思うでしょうか?


でも、そうこうしているうちに、「コロナ」という言葉も抵抗なく自然と使えるようになる自分に気づくと思います。


もしかしたらコロナウイルス自体ではなく、コロナウイルスという言葉に、翻弄されている部分もあるのではないでしょうか?

4つのシゲン [2020年03月31日(Tue)]


資源には、4つのステージがあると考えます。


一つ目は、文字通り、「資源」。

地球上にある自然や生物、水、石油などの有限の天然資源です。

これらは地球上にある公共物なので、人間だけのものではありません。



しかし、人間には、無限の独占欲、所有欲があり、私物化していきます。
限度が過ぎれば、森林伐採や二酸化炭素の排出、地盤沈下などを引き起こしていきます。
それが「私源」です。



さらに、人間の欲求が肥大化すれば、ごみが増えます。海洋プラスチックごみ、

埋め立て地に収まらないごみ、原発事故で汚染された土。

これらは自然に分解されずに負の遺産として、長期間地球を痛めます。
生物を死に向かわせる「死源」です。「死源」をなくすのは簡単なことではありません。



ただ、人間には困難を乗り切る智慧や協力し合える心があります。
それらをうまく使えれば「私源」や「死源」を減らし、

「資源」を維持することも可能なのです。
社会問題を解決していくための思考の源である「思源」を増やすことが、
大人子供限らず、誰にでも求められるものになります。




今回のコロナウイルス禍だけでなく、多くの社会・経済・環境問題は、
巨視的に見ると共通しています。


米中の貿易摩擦。
イギリスのEU離脱。
海洋プラスチック問題。
・・・


それは、過剰消費と資本の独占に目がくらんでしまったグローバリゼーションの顛末。



何千年も前から、人は領土や国を奪い合い、植民地化を繰り返してきました。


自分(自国)にない資源や資本を他人(他国)から搾取することは、

人間の性とも言えます。


人類の文明の発展が農漁業、商業、工業、情報通信業の恩恵を受ける中で、
ビジネスの規模の拡大がよりスピーディーにできるようになりました。



時間をかけて育ててきた資源(自然、建物、人材)の価値も、
グローバリゼーション化の競争の元、近視眼的な利益の前では薄れてきてしまいました。


お金を稼ぐ手段も、物々交換、安い労働者の使用、大量生産、プラットフォーム化、

マネーゲームとリアルなものからバーチャルなものへ移行してきました。


目に見える実物から、目に見えない記号を使う世界への進行が進んできたとも言えます。



今回の新型コロナウイルスの感染拡大などの大惨事が起きると、
人は一時、目覚めます。


「今までのビジネス、ライフスタイルは、どこか行き過ぎていたのではないのか?」


と。


災害は戦争と違って、全員が被害者です。そこにはお金は絡んでいません。
そして、自国だけで問題を解決するのは難しくなります。


同じ世界規模の問題でも、各国でCO2排出量の削減目標を掲げる、

とかいうのとは次元が異なります。


問題解決の緊急度と経済不況の影響度が今までのどの災害よりも

長期化する可能性があります。



そういう意味では、今回のコロナウイルス禍は、

もしかしたら地球からの最後通告なのかもしれません。



自国ファーストでこのまま動くのか、世界各国が協調して、

資源を共有し、適正に再配分する枠組みをつくっていくのか。


国民も自分の損得だけを考えて、資源の独占に走るのか、

智慧を絞って資源の最適利用を考えていくのか。


その選択が、問われているのだと思います。



仮に自国ファーストの方向で進んだとしても、国が国民を一様に監視するシステムでは

限界があり、いずれ国民がストや暴動を起こし、結局国の崩壊につながるのではないでしょうか?


名画とサブスクの似て非なるものとは? [2020年02月20日(Thu)]

現在、国立新美術館で「ブダペスト展」が開催されています。


シニェイ・メルシェ・パール《紫のドレスの婦人》は新聞や広告などの
メディアで度々紹介されているので、目にした方もいるのではないでしょうか?



私は絵画には明るくありませんが、個人的に惹かれる作品があれば
時々購入しています。


名画というのは、作者の死後に評価が高くなり、
高額で売買されることが多いですね。



時間の流れの中で、たくさんの人が作品の目に見えない価値を
言語化していく中に作品の存在意義を見出そうとしているのです。


それは、まさに「作者の死」によって、作品が作者の手を離れた瞬間から

作品が買い手を選んでいるとも言うことができます。



絵画に限らずですが、数百年、数千年もの間、
一つの作品が何人もの手に渡る。


そして、時には歴史の荒波に飲まれ、暗闇に葬り去られても、
存在する。


その奇跡に感動を覚えます。



買い手が保有した作品は、美術館や博物館で展示され、

さらに多くの人にその作品の存在と価値を与えることもあれば、

表舞台には出ずに長い間ひっそりと眠っていることもあるでしょう。


それでも、その作品は確かに存在しています。


いろいろな人の努力や思いによって、名画や名品は生き続けています。



作品は買い手が所有しているということになりますが、
より大きな、より長い視点でみれば、その作品というのは、
社会全体で所有しているとも言えます。



それは、その作品を残し、次の代に遺す・託すことが
今を生きる者の自然な使命感として現われるのではないでしょうか?




所有とよく比較されるのがシェア、共有です。


最近は、シェアリングエコノミーの中で

ビジネスをすることが当たり前の考えになっていますね。


「空間」「移動」「スキル」「モノ」「お金」などをシェアすることで、
遊休資産を活用したり、新しいビジネス機会を創出しようとするものです。



特に最近話題になっているのが、「サブスク」です。
いわゆる定額課金サービスですが、日々進化しています。


アマゾンで毎月定額を支払えば映画や音楽が見放題というものですが、
トヨタが自動車のサブスクなんかも始めています。


個人的には車はサブスクをするよりも、

相乗りサービスやレンタカーをもっと充実させればよいと考えます



サブスクは利用者からすれば、好きな時に好きなものを使うことができ、
モノが増える問題を回避できるので、コスパも高いと考えるでしょう。



歌は聴き放題、映画やドラマは見放題、服や時計を勝手に選んでくれる、
良いこと尽くめのように思います。



ただ・・・


サブスクを頻繁に利用するようになると、「捨てる」「始末をする」という
考えがだんだんと薄れていくでしょう。


「最後まで見届ける」という人間が本来大切にしてきた価値観が

社会の中でだんだん見えなくなってきています。


目に見えないものの価値こそ、社会全体で所有しなければいけません。



名画にもサブスクにも、所有感が湧かない、捨てるという考えがない

という共通点がありますがその意味合いは全く異なるのです。



もしあなたが、名画を月額100万円でサブスクするようなビジネスを

考えているのであれば、真の強者になり得ません。




真の強者であれば、もっと別の方法でフェルメールの作品を世に残します。

それは何だと思いますか?

孤独な人は強い [2020年01月24日(Fri)]

昨日、仲間との飲み会ありました。



あるセミナーで知り合った仲間です。


セミナーと言っても、巷に溢れているような

似非講師が情報弱者を食い物にするようなものではありません。



サラリーマン時代は、上司や会社の愚痴を言い合い、

「憂さ晴らし〜!」なんてやってましたが、

今はそういう飲み会には全く行きません。


時間とお金の無駄でしかありません。




自然な流れで集うことになったこの飲み会。


私としては「何か」新しいものが生み出される予感、
というか確信があって参加しました。



年齢、職業も全く違う人たちがなぜ平日の夜に
わざわざ会うのか?



それは、同じ景色を見たいから。



話す内容が、現状への不満ではなく、
未来へのアイデアや決意が出てくる場。



常識に囚われない考えや、
深い洞察力。知的でユーモアな話。



ちょっとおかしなことを言えば、


「そんなの無理だよ!」

「理想ばかり言って!」

「○○があればやるけどね。」


日常では、そんな言葉に囲まれている私にとって、
その飲み会は、共通の大きな目的に向かって、
でも一人ひとり進む道は違うことを確認する場。



人はいつも孤独を感じて生きています。



でも、その孤独は、


寂しいとか、
誰かに構って欲しいとか、


自分と同じ辛い状況を味わわせたいとか、
足の引っ張り合いやいがみ合いをしたいとか、


そんなことから来るものではありません。



低い次元で依存しあう、そんな孤独は御免です。



高い志を持って、一人ひとりが葛藤と矛盾の中で、
自己否定を繰り返す。



その過程で、時に集い、それぞれの胸の内を明かす。
そして、いっしょに何かできそうなことがあればビジネスにしていく。



同じ想いを持った仲間がいる。



そう思えるだけで、孤独という言葉さえも、
全く違った見方になるのです。



もはや、会社も社員も相互依存する構造は、
役所や規制に守られた企業、ブラック企業しかありません。

それも解体されるのは時間の問題です。



新しい仕事やビジネスというのは、
誰かに用意されるものではなく、


同じ志を持った仲間が自然と集まり、

自然と出来上がるものになる、


そんな時代になっているのです。

審美眼を高めよう [2019年09月13日(Fri)]

今の世の中に求められるものの一つに、

一人ひとりの審美眼があると思います。



広辞苑によると、


【審美眼】
美しいものと醜いものを見分ける能力。


とあります。



あなたは、自分の審美眼を磨いていますか?





先日、新宿にあるはじめての焼き鳥店へ行きました。


安くて美味しい赤提灯も好きですが、
たまにはちょっと高級なお店にも行くようにしています。



このお店は駅からも結構遠いのですが、
ほとんど全ての席が予約で埋まっていました。



こじんまりとした店内は、

照明や一枚板のカウンターもこだわりを感じるものでした。



おまかせで食べた焼き鳥は、一品一品素材が素晴らしく、
今まで食べた焼き鳥の概念が変わるほどのおいしさでした。



食事に合わせるお皿も素晴らしく、

それぞれの品を際立たせていました。



店主が備長炭で焼く所作もある種の美しさを感じました。



全てが一流、一級品のお店でした。



そういう一流、一級品のモノに触れると、
自分の美的感覚や感性が鋭くなります。


それが審美眼です。



ドイツの文豪ゲーテは審美眼について

次のような言葉を残しています。


========================
審美眼というものは、中級品ではなく、
最も優秀なものに接することによってのみつくられる。

ゲーテ
========================


審美眼は、非日常の体験からだけではなく、
自然の移ろいや人々の日常の中にもたくさんあります。


つまり、


「何を美しいと感じることが出来るか?」


というあなたの「心の器」にも関係してくるのだと思います。


ですので、あなたの中にモノや情報が溢れているのであれば、
まずは断捨離をして、不要なものを捨てることをオススメします。

余計な雑念も断捨離できれば、なおいいですね。



審美眼を鍛えて、あなたが思う”美しさ”を増やしていきましょう。
シンプルに自分の目指すべき人生に集中できるようになります。

ブログの移行作業中 [2015年10月30日(Fri)]
CANPANでブログを始めたのが、2009年の9月。

それから6年間、自分が経験したこと、感じた事、
取り留めのない事を書いてきました。

が、この度、オネスタのホームページ内に引っ越すことにしました。
現在、その移行作業中ですが、ほぼ終わりに近づいてきました。

外部ブログと内部ブログには、メリットとデメリットがありますが、
デザインの自由度、ブログの知名度、将来的なコンテンツ資産の管理、
SEO対策などを検討して、そろそろ内部ブログに移行してもいい時期だと判断しました。


ブログって、誰に見られるか分からないので、
これでも結構気を遣いながら文章を書いているんですよ。
内容はともかく・・・

伝えたい事や本心をオブラートに包みながら、
文章の構成や言葉づかいを考えるのは
自己表現の良い訓練になります。

何だかんだで、よく続いているな。
感心、感心(笑)。

他人の土俵に乗らない勇気 [2015年10月28日(Wed)]
今日の日経に、
イギリスの教育専門週刊誌「Times Higher Education」が
発表した世界の大学ランキングの中で
日本勢がトップ100の中に東京大学と京都大学しか入らなかったという記事がありました。

我が母校も500位以下らしいです。。

政府は、日本の大学の中にスーパーグローバル大学なるものを選定し、
トップ100に10校の目標を掲げているようですが、どこか違和感。

記事に書いてあったように、ランキングに参加しないで、
独自の方法で世界にアピールするのも一つだと思います。
卒業生や在校生その他関係者にSNSを含め、
いろいろな場面で広報してもらう方法もあるんじゃないかな〜。

あとは、日本またはアジア独自のランキングを作るとか。

ランキング上位に入ることが目的ではなく、どんな大学にしたいのかを
とことん突き詰めていってほしいなぁ。
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