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奥富 宏幸
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名画とサブスクの似て非なるものとは? [2021年08月11日(Wed)]
私は絵画には明るくありませんが、個人的に惹かれる作品があれば時々購入しています。名画というのは、作者の死後に評価が高くなり、高額で売買されることが多いですね。



時間の流れの中で、たくさんの人が作品の目に見えない価値を言語化していく中に作品の存在意義を見出そうとしているのです。それは、作品が買い手を選んでいるとも言うことが出来ます。



絵画に限らずですが、数百年、数千年もの間、一つの作品が何人もの手に渡る。そして、時には歴史の荒波に飲まれ、暗闇に葬り去られても、存在する。



その奇跡に感動を覚えます。





買い手が保有した作品は、美術館や博物館で展示され、さらに多くの人にその作品の存在と価値を与えることもあれば、表舞台には出ずに長い間ひっそりと眠っていることもあるでしょう。



それでも、その作品は確かに存在しています。





いろいろな人の努力や思いによって、名画や名品は生き続けています。



作品は買い手が所有しているということになりますが、より大きな、より長い視点でみれば、その作品というのは、
社会全体で所有しているとも言えます。



それは、その作品を残し、次の代に遺す・託すことが今を生きる者の自然な使命感として現われるのではないでしょうか?



*



所有とよく比較されるのがシェア、共有です。



最近は、シェアリングエコノミーの中でビジネスをすることが当たり前の考えになっています。「空間」「移動」「スキル」「モノ」「お金」などをシェアすることで、遊休資産を活用したり、新しいビジネス機会を創出しようとするものです。



特に最近話題になっているのが、「サブスク」です。いわゆる定額課金サービスですが、日々進化しています。アマゾンやネトフリで毎月定額を支払えば映画や音楽が見放題。トヨタが自動車のサブスクなんかも始めています。個人的には車はサブスクをするよりも、相乗りサービスやレンタカーをもっと充実させればよいと思います。



サブスクは利用者からすれば、好きな時に好きなものを使うことができ、モノが増える問題を回避できるので、コスパも高いと考えるでしょう。歌は聴き放題、映画やドラマは見放題、服や時計を勝手に選んでくれる、良いこと尽くめのように思います。





ただ・・・



サブスクを頻繁に利用するようになると、「捨てる」「始末をする」という考えがだんだんと薄れていくでしょう。古来より神事や祭りやなどで、「最後まで見届ける」という人間が本来大切にしてきた価値観が社会の中でだんだん見えなくなってきているように感じます。







名画にもサブスクにも、「捨てる」という考えがないですが、その意味合いは全く異なります。目に見えないものの価値こそ、社会全体で所有しなければいけません。



今この時代に社会全体で共有するものって何なのでしょうか?





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仕事を遊びに、遊びを仕事に [2021年06月16日(Wed)]
最近、思うこと。

それは、 

仕事と遊びの境界はどこでしょう?



コロナ禍で、遊びの中身も変わった人も多いと思います。
  • 家の中でできるもの。
  • オンラインで行うもの。
  • 1人や少人数でできるもの。



よく「仕事と遊びは別だ」と言う人がいますが、仕事の本質は、お金を稼ぐこと、誰かの役に立つことです。じゃ、お金を稼ぐ手段として、例えば不動産投資をしている人は、それが仕事と言えるのでしょうか?


あるいは、親の遺産などの不労所得で暮らしている人々は納税の義務を果たしていますが、それは仕事と言えるのでしょうか?





「遊んで暮したい。」という声もよく聞きます。でも、多くの人は1億円が手に入っても、働くことはやめないのではないでしょうか?



なぜでしょう?



それは、誰かの役に立ちたいから。
何かしらの責任を全うしたいから。



*



仕事と遊びの境目を知りたいのであれば、遊びについて、考えてみましょう。



先週は、私は早朝からフットサルをしました。もうかれこれ20年プレーしています。私たちのチームは平均年齢50歳。
それでも20、30代の子たちに勝つこともあります。若い子たちに、「スゴイおじさんたちもいる」と思ってもらえるのが快感の一つですが、その他にも長続きしている理由はいくつかあります。



遊びは、利害関係なし、上下関係なしの世界です。自分1人でも成立します。一方、仕事は法やルール、人間関係の中で成立するものです。



遊びの要素には、 

  • 非日常
  • 自己決定
  • 追う存在
  • 競争
  • 努力の成果
  • お金に繋がらなくてもOK
  • オリジナルの創造
  • 安心できる仲間
  • 驚き
  • 未来予測

などがあります。



これらを仕事に取り込めないか、考えてみると面白い発見があるのではないでしょうか?

所ジョージさんの言葉を借りれば、「誰の日常にも面白いヒントがたくさんある。」です。

  

デキる経営者やリーダーは、遊びも全力で楽しんでいます。そのことについては、またの機会に書きます。


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世界はフラクタル [2021年06月02日(Wed)]
私の田舎は富山県の五箇山(南砺市)です。合掌造りで有名で世界遺産でもありますが、石川県の白川郷に比べて、知名度も低く、人口も減少の一途。私の従兄弟や知り合いもふるさとを離れてしまった人もいます。



今は若い美大生が和紙の魅力を発信したり、トレイルランニングの大会を開催したり、芸術家やクリエイターの方で移住・滞在している人もいるようですが、街づくりとしては道半ばのようです。私は日本の原風景を感じる小さな山里である五箇山が大好きなので、いつか住めたらいいなと思っています。



*



先日、地方に住む知人から、「田舎町に求められるものは何か」という話がありました。人口が少なく、過疎化に悩む町には何が必要か、といった内容でした。



地域おこしというと、特産品や自然、観光、ゆるキャラなどがよくありますが、それらは他の市町村との差別化にはなりにくい。10年後でさえ、その存在に危機感を募らせていました。その話を聞いて、私は「フラクタル」という言葉を思い出しました。



フラクタルとは、幾何学の概念で、自然界には全体と部分が同じ形になる自己相似性があるという数学理論です。ブロッコリーに似たロマネスコはフラクタル構造をしています。言葉の意味が拡大解釈されていき、異なる事象もより大きな視点で見ると共通項がある場合に、「それって構造的にはフラクタルだね。」などと使うことがあります。



一見、関係のないことに、独自の解釈を入れて新しい意味を見出す。


コロナ禍の今は、不安や閉塞感が広がり、目的や目標を見失いがちです。誰も答えを用意してくれません。そんな時こそ、自ら目的や目標となる旗を立てないといけないですが、旗を立てるヒントとして、フラクタルな構造を見抜くことがあります。



個別の問題をより大きな全体の一部として考え、共通点を見出していくというものです。経営者やリーダー層には必ず求められる力です。



*



冒頭の知人からの相談である高齢化と過疎化が進む市町村の生き残り戦略は、中小企業のそれとフラクタルな構造です。市町村合併は企業再編やM&Aのようなものですし、人口減少は離職者増加と同じようなものです。



町を会社として見立ててみると、町民が社員とも言えます。大企業や旧態依然の企業は、規模を成長のレバレッジとしますが、今元気な中小企業や個人企業家は人を成長の源泉にしています。会社の形と会社と社員の関係も変わってきています。新卒一括採用や終身雇用といったシステム下で硬直的な上下関係だったが、今は通用しません。



一つの会社に属するのではなく、副業やテレワークも認められ、まさにどの会社で働くことができるかという可能性よりも、いつ、どこで、何を、誰と学ぶ機会が重視されてきていると思います。つまり、会社の形は、学校のような形態に変化していくかもしれません。いつでもどこでも誰でも参加できるし、いつでもどこでも誰でも退社できるような。

*



そんなことを考えながら、小さな田舎町に求められるものは何かを考えてみます。



はたらくこと、学ぶこと、楽しむことの境目がなくなってきている中で、田舎町に求められるモノは何か?



例えば、



「町全体を学校とする」



です。



自由に学び、互いに教え合い、新しいテーマを創造できる場です。自治体の財源を国からの借金や税金だけに頼るのではなく、町民がつくるプロジェクト(授業)への参加権によるお金の流れをつくります。人、自然、歴史、技術、芸術、暮らし、旅、食、ビジネスなどのテーマで、リアルとネットで授業を行います。町にある施設や場所、人などのすべてが資源になりえますし、教室・キャンパスになります。



例えば、人口が6,000人だとすると、これはちょっと小さめの大学のサイズです。65歳以上の人が3,000人、65歳未満の人が3,000人くらいの割合でしょうか。彼らは先生にも生徒にもなる権利が与えられます。ダイバーシティーも半端ないです。将棋の段位のように、永世町民になるような仕組みを取り入れたり、町外に住む人や観光客、外国人も授業に参加できるようなビジネスモデルをつくることで、田舎町のポジションが「人生を謳歌する学び舎」へ格上げされるとよいと勝手に妄想してみました。



*



今日のお話で伝えたかったことは、目の前の個別の問題は、もっと大きな問題の一部であることもあるので、その共通項を探していくと、新しい物の見方ができますよ、ということでした。それが、他社との差別化にもつながります。



これは、現代思想の一つである、「まず全体があって、個に振り分けられる」に通じるものです。



他の業界の事例だけでなく、例えば身体のメカニズム、歴史、自然界などからもあなたのビジネスに応用できることがあるのではないでしょうか?



ぜひ、考えてみて下さい。「世界も人間もフラクタル」です。


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大人になるってどういうこと? [2021年03月23日(Tue)]
昨日から首都圏では緊急事態宣言が解除されました。状況が悪化しないことを願うばかりです。


今年は多くの自治体で成人式を中止・または延期しました。人生の大切な節目である成人の日を祝うことができないことは、本当に残念でなりません。


成年年齢が、2022年4月から現行の20歳から18歳に引き下げられます。ということは、来年の成人式は、18歳、19歳、20歳の人がまとめて成人式を挙げることになるのでしょうか?会場の確保や受験シーズン対策が心配です。女性は、振り袖のレンタルをする場合は、早めにしておいた方がよいかもしれませんね。コロナウイルスの収束も願って。





今から約30年前、私も成人式を迎えました。



20歳の私は、大学の夏休みを利用して、ブラジルへサッカー留学しました。私は高校時代も全国大会に行ったわけでもなく、
大学の体育会のチームに入ったとはいえ、ずば抜けてうまいわけではなかったと思います。



それでも、「将来はサッカー選手になりたい!」と強く思い、毎日のように練習していたものです。日本では有名でなかったので、「それなら海外だ!」と思い、ブラジルのプロチーム(とは言っても3部のチーム)に短期留学しました。しかし、現実は甘くない・・・留学中にスカウトの目にとまることもなく、帰国しました。大きな挫折感を味わいました。





今、思え返すと、かなり無謀なことをしたものだと思います。若いから出来たとも言えます。



「自分ならできるはずだ!」
「とにかくチャレンジしてみたい!」



そんな心の声が、行動を後押ししていました。





大人になるとはどういうことなのでしょう?

大人と子供の境目は何なのでしょう?




  • 経済的自立をしている。
  • 家族を持っている。
  • 教育、勤労、納税といった社会的義務を果たす。
  • 自分の感情をコントロールできる。
  • 自分のした行動に対して責任を持つ。
  • 恵まれない人や社会的弱者に手を差し伸べる。


いろいろな見方をすることができると思います。



何歳になったから大人、とは言い切れないのかもしれません。肉体的には大人でも精神的には大人でない場合もあると思います。





大人になるとはどういうことか?

私は、大人になるとは、



「矛盾する価値観や葛藤の中から目的を見つけ、人格を高めていくこと」



だと思っています。「根拠のない自信」が「根拠ある不安」に負けそうになっても、自分の可能性にチャレンジしていきましょう。





成人式を迎えた皆さんだけでなく、私も含め、大人の皆さんにもこんな言葉を大切にしていってほしいと思います。



  • 時間を無駄にしない。1日24時間は、誰に対しても平等。
  • 答は一つではなく、いろいろある。白黒ではなく、グレーなこともある。
  • 本当にやりたい仕事はすぐに見つからない。
  • 仕事は与えられるものではなく、つくるもの。
  • 世の中には不条理なことがたくさんあるが、自分なりの考えを身につけてほしい。
  • 海外を含めいろいろな場所へ行き、多様な考え方を吸収してほしい。
  • 夢中になれることを見つけよう。今日を描いて今日を始めよう。
  • 勉強は大切。本をたくさん読む。映画や絵画、演劇などで、いいモノに触れる。
  • 家族、友人を大切に。困った時は、お互い様。
  • 貯金はコツコツする。でも、将来への投資だと思えるものには思い切って使う。
  • 健康でいられることに感謝を。
  • 自分の人生の役割・使命を探していこう。
  • 今しかできないこともある。




コロナ禍で若者の行動変容が求められています。見方を変えれば、若者が社会を変える大きなきっかけになりうるのです。SNSや動画などを使い、大人には思いつかないような若者なりのやり方で、コロナウイルスの感染拡大を防ぎ、その先にある未来につながるような行動をぜひしていってほしいと思います。


新年のごあいさつ [2021年01月03日(Sun)]
新年明けましておめでとうございます。

今年は年男。牛歩戦術ならぬ、牛飛戦術といきたいところです。



昨年は本当に人類にとって、まさに「緊急事態」が起こりました。

人、モノの移動が制限される一方で、情報とお金の流れは新しい動きが見えてきました。ビジネスにおいても、航空、飲食、旅行、重工業など、対面、接触、移動を伴うもの、万人受けするものは危機的な状況に陥りました。



一方で、日本電産、ユニクロ、ニトリなどの大企業のようにリスクを分散し、多品種少量生産の仕組み化を極限まで研ぎ澄ませる会社は元気でした。中小企業でも、ネット、AI,クラウド、小商圏、専門性の高いものは、業績を伸ばしました。



今年に入り、コロナウイルスの感染拡大が収束するかはまだ分かりません。

今までのビジネスのやり方が通用しなくなる中で、結局、これからどうしていけばいいのか?その答えは誰にも分からない。世界中の人が、見えない「不安」に苛まれています。いつ収束するか、仕事は続けられるのか、会社は存続できるのか、不安でしかない。解決の糸口が見えない。誰かに、何かにすがりたいという空気が蔓延してきています。



そんな中、より「本物」が求められると思います。



似たような商品・サービスは他社との違いを出せずに埋もれてしまいます。人が、会社、サービス、人に対して、「本物」だと思うためには、信用が必要です。



信用を得るには実績が必要。目に見える数字と、信用に足る人と世界観が必要です。そのためには、多くの人を共感させる言葉の力が必要になります。経営者であれサラリーマンであれ、自分自身が社会というキャンバスにどんな絵を描いていきたいのか、考えていきましょう。与えられた職場・役割で、日々リーダーシップマインドを持って行動していきましょう。



*

今年は丑年ですが、どんなものになるでしょうか?


牛(丑)は、十二支の第二番目ですが、十二支の選定と序列について、朱熹は動物の日々の活動時間から決められたとしています。23:00から1:00は子の刻で、鼠は最も活発に動き回ります。1:00から3:00は丑の刻で、牛が反芻する時間です。1日の反芻時間は6〜10時間で、1分間に40〜60回もかんでいるらしいです。すごい!


その一連の変化があった鼠年を考えるならば、丑年の今年はまさに反芻。コロナウイルスを通して、人間の生き方・働き方を反芻する一年になるでしょう。脱兎のようなスピード社会の中で、牛歩のごとく、一歩一歩着実に結果を出すことを考えていきましょう。



この混沌とした2021年を乗り越えるためのキーワードは、「信念の反芻」です。

それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします。



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月とチーズに関係はあるのか? [2020年12月28日(Mon)]
デンマークの実存主義哲学者である、キルケゴールは言いました。



「月がチーズでできていても、それが私に何の関係があるのか!」

確かに、何の関係もございません。はい。





でも、よくよくこの言葉を眺めてみると、何とも言えない余韻を残します。すごいインパクト、そして詩的でとても繊細です。



キルケゴールは、「今ここにいる私」が何より大事で、自分にとっての真理を追究しました。そして、なんだかんだ言っても最後は人間は死ぬのであり、絶望しかないと言い放ちました。



そんなキルケゴールですが、彼が月とチーズを選んだのには、深い理由があるように思えてなりません。しかも、月→チーズという順番です。世間を騒がせているアメリカのトランプ大統領なら、



「チーズが月でできていても、それが私に何の関係があるのか!」



と言いそうなものです。この違い、分かりますか?





キルケゴールは、まず始めに、思考を384,400km先まで飛ばして、目の前にあるチーズに視線を落としています。思考半径を極大化することで、創造力や創造力をめいいっぱい広げたのではないでしょうか?彼だけでなく、読み手の思考半径も広げました。



自分中心ではあるんだけど、考えの及ぶ先をどこまで考えるのか?しかもその考える先は、まさに「月とスッポン」のように同じ次元で比べようのないもの。その思考のプロセスの違いが、仕事や人生で大きな差を生むように思います。



  • 本屋は本を売る。
  • クリーニング屋は衣服をきれいにする。
  • 学校は授業を教える。
  • 会社は働く場所である。


これらを「チーズ」とすると、「月」にあたるものは何なのでしょうか?
そして、あなたは「月」に行きたいですか?



年末年始は静かに過ごす方が多いと思いますので、
そんなことをじっくりと考えてみてはいかがでしょう?
肥った豚よりも痩せたソクラテス [2020年12月14日(Mon)]
「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」


以前、東大の卒業式典でスピーチをした方が、過去の総長が使ったこの言葉を引用しました。



当時は、この言葉が新聞やテレビでかなり大きく報道されたので、覚えている方もいるかもしれません。



元々は、ジョン・スチュアート・ミルの

「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。
同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。」



から来ています。



ミルは質的功利主義である、「ただ生きるのではなく、善く生きる」ということ。このことの真理を探究することを彼は説きました。



それを過去の総長が違った解釈をして使い、その誤用をスピーカー、さらにはメディアがそのまま世間へ垂れ流ししてしまいました。



しかし、このスピーチの一連の問題を見ると、不確かなあやふやな情報の中で生きる私たちがいかに危険な状態にいるのかが分かります。情報の真偽、オリジナルかコピーかも分からないまま、その情報を消費している、という認識に立ちながら、自ら情報を獲りに行く必要があります。




アメリカの大統領選も、まさにネットによる世論操作を駆使し、情報を制したものが勝者になりました。真の勝者であるかは別として。日本も構造的には同じ状況にあります。



そういう世界で生きている中で、撒かれた餌に食いついて現実の苦悩から逃げるのも一つですが、スキゾなスタンスで「嫌いなものを好きになる」「違うものを受け入れる」方が、得られる結果の純度が高いように思います。



今流行りのアニメ的に言えば、「満足した鬼より不満足な人間になれ」です。


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自粛との向き合い方 [2020年05月11日(Mon)]
「緊急事態宣言」が5月末まで延長されましたが、早ければ今週には解除される都道府県もあるかもしれませんね。

宣言をいつまで伸ばすかも考えるべきことですが、やはり検査体制と医療体制の強化を優先させながら、経済を早く回すことが必要だと感じています。

連日のメディア報道のあり方も問題です。


「ロックダウン」「オーバーシュート」など今まで聞いたことがないような言葉を連呼し、パチンコ店の行列や「自粛警察」といった面白そうなワードを選んで、コロナの悪影響ばかり報道しています。

各国の対応の比較や、客観的データをもとにした冷静な分析などを行う番組がもっとあっても良いと思いますが、メディアもコロナウイルス禍を自己同一化してしまっているために、一歩引いた視点での建設的な議論ができていないのかもしれません。



毎日、感染者数が報道され、不安感も増大するのも分かります。

しかし、それは不安に自分が取り込まれているだけであって、必要な情報を自分から取りに行くことで、ずいぶんと楽になると思います。



ところで、最近は、SNSでもメディアでも、


「ステイホーム」
「お家で過ごそう」


と、みんなで自粛しよう!という動きが広がっています。
GWは自粛に我慢できずに外出する人も増えたようですね。



ステイホーム、
ステイホーム、
ステイホーム・・・



「禁止への侵犯」ではないですが、人は「やめろ!」と言われるとむしろしたくなる欲求がありますね。

その欲求を抑え、何とか自粛モードを乗り切ろうとYouTubeなどで発表されていますが、
皆さんは何か考えましたか?

面白いアイデアがあれば、ぜひシェアして下さい。



私はこんなことを考えてみました。

今回のコロナ騒動で何が一番辛いかと言えば、今までできたことができないこと、自己決定権が制限されること。


行動も会話も制限される・・・ であるなら、

今の自粛期間を「海外留学」と考えてみてはどうでしょう?



異国の地では、何かもかもが初めての経験です。
留学当初はどこに何があるのかも分からず、行動範囲は非常に限定されます。


そして、「自宅で留学する」ために名前も変えてしまいましょう。

例えば、ダニエル・クレイグとか。



「今日から自分はクレイグだ!」と宣言してみるといいです。

周りの人にも名前を変えるようお願いしてみましょう。


家族から、テレワークで会社の同僚から、

「クレイグ、今日の調子はどう?」
「クレイグ、このレポートをつくっておいて。」

と言われるのです。



クレイグとして生きてみると、緊急事態宣言前の状態が違う世界に見えてくるのではないでしょうか?



どうせなら、使う言語も変えてしまいましょう。

海外では日本語が通じないように、自宅ホームステイ期間中は、使用する言葉の語尾に必ず「コロナ」をつけるのです。


「おはようコロナ」
「今日は何食べるコロナ?」


といった具合に。


何を馬鹿なことを言っていると思うでしょうか?


でも、そうこうしているうちに、「コロナ」という言葉も抵抗なく自然と使えるようになる自分に気づくと思います。


もしかしたらコロナウイルス自体ではなく、コロナウイルスという言葉に、翻弄されている部分もあるのではないでしょうか?

4つのシゲン [2020年03月31日(Tue)]


資源には、4つのステージがあると考えます。


一つ目は、文字通り、「資源」。

地球上にある自然や生物、水、石油などの有限の天然資源です。

これらは地球上にある公共物なので、人間だけのものではありません。



しかし、人間には、無限の独占欲、所有欲があり、私物化していきます。
限度が過ぎれば、森林伐採や二酸化炭素の排出、地盤沈下などを引き起こしていきます。
それが「私源」です。



さらに、人間の欲求が肥大化すれば、ごみが増えます。海洋プラスチックごみ、

埋め立て地に収まらないごみ、原発事故で汚染された土。

これらは自然に分解されずに負の遺産として、長期間地球を痛めます。
生物を死に向かわせる「死源」です。「死源」をなくすのは簡単なことではありません。



ただ、人間には困難を乗り切る智慧や協力し合える心があります。
それらをうまく使えれば「私源」や「死源」を減らし、

「資源」を維持することも可能なのです。
社会問題を解決していくための思考の源である「思源」を増やすことが、
大人子供限らず、誰にでも求められるものになります。




今回のコロナウイルス禍だけでなく、多くの社会・経済・環境問題は、
巨視的に見ると共通しています。


米中の貿易摩擦。
イギリスのEU離脱。
海洋プラスチック問題。
・・・


それは、過剰消費と資本の独占に目がくらんでしまったグローバリゼーションの顛末。



何千年も前から、人は領土や国を奪い合い、植民地化を繰り返してきました。


自分(自国)にない資源や資本を他人(他国)から搾取することは、

人間の性とも言えます。


人類の文明の発展が農漁業、商業、工業、情報通信業の恩恵を受ける中で、
ビジネスの規模の拡大がよりスピーディーにできるようになりました。



時間をかけて育ててきた資源(自然、建物、人材)の価値も、
グローバリゼーション化の競争の元、近視眼的な利益の前では薄れてきてしまいました。


お金を稼ぐ手段も、物々交換、安い労働者の使用、大量生産、プラットフォーム化、

マネーゲームとリアルなものからバーチャルなものへ移行してきました。


目に見える実物から、目に見えない記号を使う世界への進行が進んできたとも言えます。



今回の新型コロナウイルスの感染拡大などの大惨事が起きると、
人は一時、目覚めます。


「今までのビジネス、ライフスタイルは、どこか行き過ぎていたのではないのか?」


と。


災害は戦争と違って、全員が被害者です。そこにはお金は絡んでいません。
そして、自国だけで問題を解決するのは難しくなります。


同じ世界規模の問題でも、各国でCO2排出量の削減目標を掲げる、

とかいうのとは次元が異なります。


問題解決の緊急度と経済不況の影響度が今までのどの災害よりも

長期化する可能性があります。



そういう意味では、今回のコロナウイルス禍は、

もしかしたら地球からの最後通告なのかもしれません。



自国ファーストでこのまま動くのか、世界各国が協調して、

資源を共有し、適正に再配分する枠組みをつくっていくのか。


国民も自分の損得だけを考えて、資源の独占に走るのか、

智慧を絞って資源の最適利用を考えていくのか。


その選択が、問われているのだと思います。



仮に自国ファーストの方向で進んだとしても、国が国民を一様に監視するシステムでは

限界があり、いずれ国民がストや暴動を起こし、結局国の崩壊につながるのではないでしょうか?


名画とサブスクの似て非なるものとは? [2020年02月20日(Thu)]

現在、国立新美術館で「ブダペスト展」が開催されています。


シニェイ・メルシェ・パール《紫のドレスの婦人》は新聞や広告などの
メディアで度々紹介されているので、目にした方もいるのではないでしょうか?



私は絵画には明るくありませんが、個人的に惹かれる作品があれば
時々購入しています。


名画というのは、作者の死後に評価が高くなり、
高額で売買されることが多いですね。



時間の流れの中で、たくさんの人が作品の目に見えない価値を
言語化していく中に作品の存在意義を見出そうとしているのです。


それは、まさに「作者の死」によって、作品が作者の手を離れた瞬間から

作品が買い手を選んでいるとも言うことができます。



絵画に限らずですが、数百年、数千年もの間、
一つの作品が何人もの手に渡る。


そして、時には歴史の荒波に飲まれ、暗闇に葬り去られても、
存在する。


その奇跡に感動を覚えます。



買い手が保有した作品は、美術館や博物館で展示され、

さらに多くの人にその作品の存在と価値を与えることもあれば、

表舞台には出ずに長い間ひっそりと眠っていることもあるでしょう。


それでも、その作品は確かに存在しています。


いろいろな人の努力や思いによって、名画や名品は生き続けています。



作品は買い手が所有しているということになりますが、
より大きな、より長い視点でみれば、その作品というのは、
社会全体で所有しているとも言えます。



それは、その作品を残し、次の代に遺す・託すことが
今を生きる者の自然な使命感として現われるのではないでしょうか?




所有とよく比較されるのがシェア、共有です。


最近は、シェアリングエコノミーの中で

ビジネスをすることが当たり前の考えになっていますね。


「空間」「移動」「スキル」「モノ」「お金」などをシェアすることで、
遊休資産を活用したり、新しいビジネス機会を創出しようとするものです。



特に最近話題になっているのが、「サブスク」です。
いわゆる定額課金サービスですが、日々進化しています。


アマゾンで毎月定額を支払えば映画や音楽が見放題というものですが、
トヨタが自動車のサブスクなんかも始めています。


個人的には車はサブスクをするよりも、

相乗りサービスやレンタカーをもっと充実させればよいと考えます



サブスクは利用者からすれば、好きな時に好きなものを使うことができ、
モノが増える問題を回避できるので、コスパも高いと考えるでしょう。



歌は聴き放題、映画やドラマは見放題、服や時計を勝手に選んでくれる、
良いこと尽くめのように思います。



ただ・・・


サブスクを頻繁に利用するようになると、「捨てる」「始末をする」という
考えがだんだんと薄れていくでしょう。


「最後まで見届ける」という人間が本来大切にしてきた価値観が

社会の中でだんだん見えなくなってきています。


目に見えないものの価値こそ、社会全体で所有しなければいけません。



名画にもサブスクにも、所有感が湧かない、捨てるという考えがない

という共通点がありますがその意味合いは全く異なるのです。



もしあなたが、名画を月額100万円でサブスクするようなビジネスを

考えているのであれば、真の強者になり得ません。




真の強者であれば、もっと別の方法でフェルメールの作品を世に残します。

それは何だと思いますか?

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