語りえぬものについては沈黙しなければならない [2020年11月16日(Mon)]
日本学術会議の任命見送り問題はなかなか根深い問題です。 この問題は、政府と学術会議との微妙な関係性もあり、立場によって見方が異なりますが、メディアのネット世論操作とも関連して、気になることがあります。 それは、「沈黙」の取り扱いについて。 政府は任命見送りの過程について、日本学術会議も推薦者の選考過程について、「沈黙」しています。そして、メディアや野次馬的な人がいろいろな視点で意見を述べ、ネット上にはあっという間に大量の情報(言葉)が漂います。 そうすると、一般の国民は正しい情報の真偽を見極めることが難しくなり、正しい情報を探す気持ちもそがれていきます。情報の出し手(政府や一部メディア)に意図があろうがなかろうが、大量の情報をネットに流すことで世論を操作することもできてしまうのです。アメリカや中国を見ていてもそれがよく分かります。 本当に恐いのは、正しい情報を出す人も「沈黙」してしまうこと。 谷川俊太郎さんは、「谷川俊太郎の問う言葉答える言葉」の中で、 ぼくらの見栄が言葉を化粧する 言葉の素顔を見たい そのアルカイックスマイルを と記しています。他にもこんな言葉を残してます。 「語ることは私たちを現実に近づけ、同時に私たちを現実から遠ざける」 「初めに沈黙があった。 言葉はその後で来た。 今でもその順序に変りはない。 言葉はあとから来るものだ。」 「詩は言葉を超えることはできない 言葉を超えることができるのは人間だけ」 辛いことがあった日に空を見上げると月がそっと微笑んでいた。 初めて出会った人と目が合い、なぜか愛おしさを覚えた。 自分と相手が大切にしていることを語り尽くした。 そんな時に「沈黙」が生まれます。「言葉」を発する直前の静寂。 その「沈黙」は、自分の言葉を抑圧するための「沈黙」であってはならないのです。 ヴィトゲンシュタインは言いました。 「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」と。 語りえぬものというのは、語りえることを語り始めるに先立つ沈黙、あるいは、語りえることについて語り尽くした後の沈黙なのだと思います。アルカイックスマイルが増えることを願って。 |