誰かが誰かのゴミ箱になっている[2013年01月04日(Fri)]
「誰かが誰かのゴミ箱になっている。
私が、身近な人の不満・愚痴のはけ口なれるのであれば、それでいい。
それが自分の使命なので。」
★この言葉を聞いて、かなり心に刺さりました。
私も同じようなことを意識することがありますが、心の波が安定はせず、ときにははけ口になってもらう人がいます。
話は変わりますが、文字通りの”ゴミ”というものも、誰かによって集められ、誰かによって処分されるのですが、多くの人はあまり関心がないように思えます。
「追跡!私の「ごみ」―捨てられたモノはどこへ行くのか?」という本があります。
自分の家から出たごみが、最終的にどのように処理されるのか、著者が自ら歩いて環境問題を考え実践していく本です。
アメリカでの話ですが、日本の状況とそう変わりはありません。この本を読むと、私たちのごみが一体どのようなかたちになっていくのか、知らないことがあまりにも多いことに気づかされます。埋め立て処理されたごみの山が、その後何十年にもわたって有害物質を排出し続けていることや、「プラスチックごみ」は、製造過程では多くの有害物質を出し、分解に時間がかかり、多くの海洋生物を死に追いやっている問題なとを取り上げています。これは、原発問題にも通じるものがあります。
「ゴミはどこかへ消えてなくなるものではない」「誰かが誰かのゴミ箱になっている」ということを意識するだけでも、変わることがあるように思います。




