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京都フォーライフ〜「自信」と「誇り」をもって働くために〜
NPO法人京都フォーライフの公式ブログ
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答えの出ない関係[2026年03月30日(Mon)]
私が担当している職場は、全体としては穏やかで落ち着いた雰囲気の現場です。
しかし、その中で、私たち支援員を悩ませる関係性があります。
従業員(利用者)のAさんとBさん。
一見すると「仲が悪い」と言ってしまえば簡単なのかもしれませんが、どうにもそれだけでは片付けられない、少しいびつで、複雑な関係です。
表面上は互いに相手のことを悪く言い合い、距離を取ろうとしている二人。
けれど、日々の様子を見ていると、ふと「本当は嫌い合っているわけではないのではないか」「むしろ根底には相手を気にかける気持ちがあるのではないか」と感じる瞬間があります。

Aさんは好奇心旺盛で、人や仕事に強い関心を持っています。
誰かと話すこと、さまざまな作業に触れることを楽しみながら、日々の仕事に前向きに取り組んでおられます。
その一方で、会話に夢中になるあまり作業への集中が途切れてしまったり、周囲の様子が気になってよそ見が増えてしまったりすることもあります。
Bさんはとても面倒見が良く、周囲によく目が届く方です。
困っている人がいれば自然と声をかけ、さりげなく手を差し伸べる姿を何度も目にしてきました。
しかし、その優しさが時に行き過ぎてしまい、口調が強くなったり、自分自身に過度な負担をかけてしまったりすることもあります。

そんな二人が同じ作業に取り組んだある日、ついに小さな衝突が起きました。
BさんのAさんに対する少しきつい言葉。
それに反応してしまったAさん。
結果として場の空気は張りつめ、二人は互いに距離を取るようになりました。
「もうAさんとは話したくありません」
「Bさんがいろいろ言ってくるので、ちょっと嫌です」
それぞれの言葉は、決して嘘ではないのでしょう。
けれど同時に、その言葉の奥には、単純な拒絶だけではない感情が潜んでいるようにも感じられました。
Bさんは「もう関わらない」と言いながらも、日々どこかでAさんの様子を気にしています。
Aさんもまた、笑顔を交えながら「またBさんに言われちゃった」と話す姿があり、どこかまんざらでもない様子が伝わってきます。
時には、Bさんの方から話しかけようとする場面も見受けられます。
「こっち来ないで」と口では拒みながら、その言葉がどこまで本心なのか、私には判断がつきません。

二人の間に積極的に介入することが正解なのか。
それとも、距離を保ちながら見守ることが必要なのか。
どちらか一方が正しいとは言い切れず、簡単な答えは見つかりません。
具体的な支援の形が咄嗟に思い浮かばない自分に、支援者としての力量不足を痛感することもあります。
けれど同時に、こうした迷いや葛藤こそが、「福祉」という営みの奥深さなのだとも感じています。
Aさんにとって、Bさんにとって、本当に必要な支援とは何なのか。
二人がそれぞれ自分らしく、安心して働き続けるために、私たちは何ができるのか。
答えはすぐには見つからないかもしれません。
それでも、考え続け、向き合い続けることをやめない。
その姿勢こそが、支援者としての「自信」と「誇り」につながっていくのだと信じています。
私自身、支援者としての原点をあらためて胸に刻みながら、
これからも日々の現場で学び、悩み、研鑽を積んでいきたいと思います。
言葉の重さ[2026年03月23日(Mon)]
近年、世間ではさまざまなハラスメントが話題に上がっています。
京都フォーライフの事業所においても、言葉遣いや距離感といった、 何気ない行動が相手を傷つけてしまうことがあります。
多くの場合、それは悪意のない言動であり、 指摘されて初めて気づくことも少なくありません。
作業の現場では、先輩従業員 (利用者 )が後輩を思い、 一生懸命に指導しようとする姿をよく目にします。
しかし、その気持ちとは裏腹に、 言葉が強くなってしまい、相手に負担を与えてしまう場面もあります。
相手の受け取り方ひとつで、関係がぎくしゃくしてしまうこともあります。

そうした様子を見つめながら、 私自身もまた、自分の伝え方を振り返る日々です。
相手の気持ちを想像できているか、 支援する立場としてふさわしい言葉を選べているか、自問自答を繰り返しています。
一つひとつの言葉に責任を持つこと。
そして初心を忘れず、丁寧に人と向き合うこと。
その積み重ねが、従業員 (利用者)の「自信」と「誇り」につながっていくのだと感じています。
この春も、京都フォーライフの現場では、 それぞれが学びながら、前に進んでいます。
「恥ずかしさ」の正体[2026年03月16日(Mon)]
以前、ある従業員(利用者)と、私の交友関係について話をする機会がありました。
何気ない会話の流れの中で、その方がふと、こんな言葉を口にされました。
「障がいがある人と一緒に働いているって、恥ずかしくて人には言えないですよね・・・」
その瞬間、時間が一瞬止まったような気がしました。

私にとって、この仕事は恥ずかしいどころか、誇りそのものだったからです。
だからこそ、その言葉は、胸の奥に静かな衝撃として残りました。
けれども同時に、私は思いました。
この言葉の奥には、きっと私の知らない何かがあるのだろう、と。
翌日、思い切って、その理由を尋ねてみました。
すると、その方は少し躊躇いながら、過去の出来事を語ってくれました。
「昔の職場で、障がいがあることを理由に、いじめにあったことがあるんです。」
その言葉を聞いたとき、胸の奥に重たいものが落ちました。
人が人を傷つける理由として、「違い」が使われてしまう現実。
どのような事情があろうとも、人を貶めてよい理由など、この世のどこにもありません。
それでも、その出来事は、その方の心のどこかに影を落とし続けていたのでしょう。
そしてその影は、知らず知らずのうちに、「恥ずかしい」という言葉になって現れたのかもしれません。

人は、それぞれに見えない物語を背負って生きています。
誰もが、自分だけの経験を抱え、痛みや迷いを胸の奥にしまい込みながら、日々を歩んでいる。
だからこそ私は、改めて自分自身に問いかけました。
この仕事を通して、私は本当に一人ひとりの背景にまで心を寄せることができているだろうか。
それぞれが抱えてきた過去や痛みに、きちんと向き合えているだろうか。
正直に言えば、まだ自信はありません。
支援という言葉を掲げながら、実際には見えていないものも、きっとたくさんあるはずです。
それでも、ひとつだけ確かな想いがあります。
私は、この仕事が好きです。
そして、ここで出会った皆さんと共に働けることを、心から誇りに思っています。
人は皆、違います。
けれど、その違いこそが、社会という大きな織物を織り上げているのだと思います。
色も太さも異なる糸が重なり合うからこそ、布は強く、美しくなる。
この場所も、きっと同じです。

誰かが誰かを支え、
誰かが誰かに支えられながら、
ゆっくりと、一つの共同体が形づくられていく。
その中で、いつの日か、
「ここで働いていることを誇りに思う」
そう胸を張って言える人が、ひとりでも増えてくれたなら。
それはきっと、この仕事に携わる者にとって、何よりの喜びでしょう。

まだ道の途中です。
それでも、私は信じています。
人が人と出会い、共に働き、共に生きるその営みの中には、
社会を少しずつ優しく変えていく力が、確かに宿っているのだということを。
そして今日もまた、
その小さな力を信じながら、歩み続けていきたいと思います。
支援は同じ方向を向いているか[2026年03月09日(Mon)]
よくある、現場の風景のひとつだったのかもしれない・・・

ある日、ひとりの支援員から相談を受けた。
「私の支援と、あの人の支援は、何か違う気がするんです」と。
話を聞けば、ある利用者さんへの関わり方をめぐる出来事だったという。
「私のやり方では効果が薄い、と言われました。
でも、とっさに『私の支援と、あなたの支援は違う』と言い返してしまって……」
言葉を重ねるうちに、いつの間にか論点はすり替わり、本来向き合うべきだったはずの「この従業員(利用者)さんにとって、いま何が必要なのか」という問いが、見えなくなってしまったのだという。
私はその話を聞きながら、胸の奥に、かすかな引っかかりを覚えていた。
それは、支援員同士の行き違いそのものではなかった。
――私たちは、「支援とは何か」を、どれほど言葉にして共有してきただろうか。
支援の方向性は共有しているつもりでも、その “意味” や “根っこ” の部分まで、語り合ってきただろうか・・・
そう考えたとき、この出来事は、管理者である 私自身の責任であるのではないか という思いが込み上げてきた。

支援の方法は、人の数だけ存在する。
従業員(利用者)さん一人ひとりに個性があるように、支援者にも個性がある。
相性もある。
厳しい言葉で背中を押されることで力を発揮する人もいれば、穏やかな声かけによって、安心して一歩を踏み出せる人もいる。
さらに言えば、同じ利用者さんであっても、その日の体調や心の揺らぎによって、言葉の受け取り方は、驚くほど変わる。
昨日は励ましになった言葉が、今日は重たいプレッシャーになることもある。
だから、支援は難しい。
正解が一つではないからこそ、迷い、立ち止まり、悩む。
けれど、その難しさの根っこは、本当に「方法の違い」にあるのだろうか。
大切なのは、私たちが「どこを目指しているのか」、ということだ。
従業員(利用者)さんの自立なのか。
安心して過ごせる日常なのか。
小さな成功体験の積み重ねなのか。
それとも、失敗を通じて学ぶ力なのか。
目指す “方向” が共有されていれば、歩き方が多少違っても、支援は大きく揺らがない。
しかし、その方向を言葉にできなければ、方法の違いは、やがて対立へと姿を変えてしまう。

今回の出来事は、支援の違いをめぐる問題であると同時に、「支援を語れていなかった私自身」の問題でもあった。
支援とは何か。
どこまでが支援で、どこからが自己満足なのか。
その問いに、明確な答えはないのかもしれない。
けれど、問い続け、語り続けることをやめた瞬間、支援は、形だけのものになってしまうのだと思う。
支援を語り合うこと。
迷いや違和感を、言葉にして共有すること。
それもまた、支援の一部なのだと、私はあらためて、静かに胸に刻んでいる。
時代[2026年03月02日(Mon)]
過日、思いがけない再会がありました。
かつて 私が勤めていた施設で、大変お世話になった古紙回収事業社の社長と、偶然お会いする機会に恵まれたのです。
当時 その会社では、さまざまな事情を抱え 働きづらさのある方々を積極的に雇い入れ、「社員寮」というかたちで生活の場まで整えられていました。
縁あって、私が担当していた重度の知的障がいがある方たちにも 就労の機会を提供してくださり、古紙の分別や空き缶の仕分けといった 分かりやすく達成感の得られる作業に、皆さんは驚くほど意欲的に取り組まれていました。
作業が進むたびに表情が明るくなり 「自分の仕事」として誇らしげに手を動かす姿は、今も鮮明に心に残っています。
社長はいつも穏やかな笑顔で そんな様子を静かに見守りながら、「いつも ありがとネ」と声を掛けてくださいました。
その一言には、支援する側・される側といった線引きを超えた 確かな敬意が込められていたように思います。

私が今の事業を立ち上げ 独立してからは自然と疎遠になり、気がつけば15年ぶりの再会でした。
懐かしさに目を細めながら 再会を喜んでくださった社長は 少し間を置いて、現在の状況を語ってくださいました。
「社会全体でペーパーレス化が進んでね。新聞も雑誌も書籍も減って、扱う古紙の量がだいぶ 少なくなった。
あんたに来てもらっていた頃は 80人以上の人に働いてもらってたけど、定年を迎えた人から順番に辞めてもらって、今は20人ほどで 充分足りてるねん・・・」
その言葉には、時代の流れを受け止めながらも、抗いようのない寂しさが滲んでいました。
かつて連携していた施設との付き合いも、今はもうないそうです。

時代が進めば、産業は姿を変え、職業は静かに消えていきます。
それと同時に、そこで働いていた「働きづらさを抱える方たち」の仕事も失われ、また別の場所で、新たな「働きづらさ」が生まれていきます。
かつてはごく当たり前に働き、自分の役割を持ち、家族を支えていた“普通の人”が、時代のうねりの中で職場を失い、いつしか「支援の対象」と呼ばれる側になる。
その境界線は、想像以上に脆く、誰にとっても他人事ではありません。
だからこそ、どんな時代であっても――
自分の仕事を持ち、「自信」と「誇り」を胸に 働き続けることができる場を守り続けること、
そして、誰もが「特別」ではなく、「普通」に働き、生きていくことを支え続けること。
15年ぶりの再会は、懐かしさと同時に、私自身の原点を静かに呼び覚ましてくれました。
この仕事に携わる意味、この道を選び続ける理由を、改めて深く、実感したひとときでした。
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