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京都フォーライフ〜「自信」と「誇り」をもって働くために〜
NPO法人京都フォーライフの公式ブログ
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雨の日の出勤に思う[2026年07月06日(Mon)]
梅雨の季節を迎え、雨の日が続いています。
今年は特に大雨による警報の発表や、電車・バスなど交通機関の乱れが目立ち、「今日は無事に来られるだろうか」と心配になる日も少なくありません。
そんな日でも、従業員(利用者)の皆さんはそれぞれの状況を自ら判断しながら出勤してきます。
電車の遅延や道路状況の悪化により到着が遅れる時には、必ず連絡を入れてくれます。
当たり前のように思えるかもしれませんが、その一つひとつの行動の中に、大切なものを感じます。
もちろん、何よりも大事なのは安全です。
危険を冒してまで来てもらいたいわけではありません。
しかし、天候が悪く、いつも通りに動けない状況の中であっても、「今日は仕事がある」「自分には役割がある」と考え、責任をもって行動してくれる姿には深い敬意を覚えます。

福祉施設の現場では、できることやできないことに目が向きがちです。
しかし、本当に大切なのは、その方がどのような思いで社会とつながろうとしているか、ということだと考えます。
誰かに言われたからではなく、自分で考え、自分で決めて行動する。
その積み重ねが「自信」につながります。
そして、「私は社会の一員として働いている」「誰かの役に立っている」という実感が、「誇り」を育てていくのだと思います。

雨の日の出勤は、決して特別な出来事ではないかもしれません。
しかし、その何気ない一歩の中には、自立への挑戦や働くことへの責任感、そして自分の人生を自分で歩もうとする強い意志が込められています。
私たち支援者は、ともすれば成果や結果に目を向けがちです。
けれども、本当に心を動かされるのは、こうした日々の何気ない姿です。
濡れた傘をたたみ、「おはようございます」と事業所の扉を開けるその姿に、私は働く人としての「誇り」を見ます。
梅雨空は、ときに私たちの足を重くします。
しかし、その雨の中を歩いてくる一人ひとりの姿は、むしろ私たちに大切なことを教えてくれます。

「働く」ということは、単に作業をこなすことではありません。
自分の役割を信じ、誰かとの約束を守り、社会とのつながりを感じながら生きることです。
雨の日に見える従業員(利用者)の皆さんの責任感と誠実な姿は、私たち支援者にとっても大きな学びです。
そしてその姿こそが、「自信」と「誇り」をもって働くことの本当の意味を静かに語ってくれているように思います。
永年勤続表彰[2026年06月01日(Mon)]
京都フォーライフでは、勤続10年を迎えられた後、5年ごとにその歩みを讃え、永年勤続表彰を行っています。
この春もまた、20名を超える仲間がその対象となりました。
時を重ねるということは、決して当たり前のことではなく、日々積み重ねてきた努力と、その人なりの挑戦の証です。
それぞれが異なる歩幅で歩みながらも、この場所で働き続けてくださっていることに、あらためて深い感謝の思いが込み上げてきます。

養護学校(支援学校)を卒業し、18歳で社会へ踏み出した当時の姿。
初めての仕事に向き合うあの頃の緊張や不安を思い返すと、かつてのあどけなさはすっかり影をひそめ、今では職場を支える頼もしい存在として、堂々たる風格を漂わせています。
中には、体重が2倍近くとなり、立派な「おっさん」の域に達した方もあります。
その変化のひとつひとつが「ここで働き、ここで生きてきた証」として刻まれているようにも感じられます。

長く働き続けていただけることは、本当にありがたく、かけがえのないことです。
同時に、年月の積み重ねは、身体の変化や加齢に伴う課題とも向き合うことを意味します。
特に、心身に障がいがある方たちは、その進行を顕著に感じます。
50歳を過ぎるころから、加速度的に皆さんの「老化」を実感することとなります。
そして、その年代に達する方たちもまた、加速度的に増えています。

私たちは今、そうした一人ひとりの変化に丁寧に寄り添いながら、
これからの働き方をともに考えていく岐路に立っています。
「できること」を見つめ直し、
「これからも働き続けられる環境」を整えていくこと。
それは単なる支援ではなく、
その人が「自信」と「誇り」をもって働き続けるための、大切な土台づくりです。
これまで歩んできた時間に敬意を払いながら、
これからの時間にも希望を見いだせるように。
私たちは、一人ひとりの歩みを見つめ続け、
新たな課題にも真摯に向き合いながら、
この場所が「働くことの意味」を感じられる場であり続けるよう努めてまいります。
テレビで[2026年05月04日(Mon)]
先日、TVの報道番組で、京都フォーライフの事業運営を紹介していただきました。
その取材があったのは、放送の10日ほど前のことです。
作業場にカメラが入ると、従業員(利用者)の皆さんは、いつも以上に笑顔で、少し緊張しながらも、どこか誇らしげな表情を見せていました。
「テレビに映るんだ」
そんな高揚感もあったのだと思います。作業場の空気は、自然と明るく、活気に満ちたものになっていきました。

従業員(利用者)のKさんは、個別にインタビューを受けることにも 進んで名乗りを上げてくれました。
カメラの前に立ったKさんは、少しも臆することなく、京都フォーライフで働く日々への思いを、はっきりと、そして誠実に語ってくれました。
仕事に向き合う姿勢、仲間との関係、自分に任されている役割、
それらは決して特別な言葉ではありませんでしたが、日々を大切に生きている人の言葉として、確かな重みがありました。

考えてみれば、
「意欲をもって仕事に取り組むこと」
「自分に任された役割を、責任をもって果たすこと」
それは、本来とても当たり前の営みです。
しかし、こうした“当たり前の日常”が、メディアに取り上げられる機会は決して多くありません。
支援の現場、働く現場で重ねられている努力や成長は、静かに、淡々と続いていくからこそ、注目されにくいのかもしれません。

今回の放送は、そんな日常に光を当てていただいた出来事でした。
従業員(利用者)の皆さんにとって、それは単なる「テレビに出た」という経験以上の意味を持っていたように思います。
「自分たちの仕事が、誰かに見てもらえた」
「普段の取り組みが、間違っていなかったと認めてもらえた」
その実感は、静かですが、確かな励みとなり、
“ここで働いている自分”への自信と誇りにつながっていきます。
私たちは、特別なことをしているわけではありません。
ただ、一人ひとりが、その人なりの役割を大切にしながら、今日も仕事に向き合っています。
その姿が、誰かの心に届いた。
今回の放送は、その事実を改めて教えてくれました。

※放映内容は、下記より「YouTube」にて ご覧いただけます

https://www.youtube.com/watch?v=cT4XRXkiU6E&t=206s
半歩だけ[2026年04月06日(Mon)]
過日、“時候の挨拶”よろしく、作業場で何人かおられた従業員(利用者)に向けて、
「すっかり春やね、お彼岸やし お墓参りにいかんなんね」と声をかけたところ、
一人の従業員(利用者)さんに、
「行かへんわッ!」
「怖いこと言わんといてッ!」と、怒られてしまいまいました。
どうやら、信仰している宗教上の理由で、お彼岸のお墓参りは NGだったようです。
お誕生日もお祝いしない, X‘masのイベントも楽しまない,
聞けば、地域企業から請け負った、神社やお寺で授かる「お守り」製造作業への従事にも差支えがあったようです。

信仰や文化の違いは、ときに国と国とを分断し、争いの火種にさえなります。
決して 軽んじることはできません。
私とて、「仏滅の日の結婚式」「友引の日の葬式」「末尾番号が4・9の車のナンバープレート」には、少々抵抗を感じますので、きっと日常を脅かされるほど不愉快だったのでしょう。

他者に理解してもらいにくい文化や価値観を持ち合わせていると、こんなすれ違いがあれこれと起こるものです。
身近な地域で暮らす外国籍の方が多くなった昨今では、日常的に起こるすれ違いです。
多様な方たちが暮らす社会においては、避けることができない課題です。

心身に様々な障がいがある方たちもまた、そんなすれ違いから、言葉にしにくい違和感や理由のわからない恐怖,説明の届かない疎外感を抱かれているのだと思います。
その一つ一つが、静かに心を削っているのかもしれません。
だからこそ、少しだけ立ち止まりたいものです。
誰もが、自分の『自分の当たり前』を、いったん脇に置いてみる、
半歩 歩み寄って、「この人には、どんな世界が見えているのだろう」と 想像してみる。
その小さな歩み寄りが、多様な方々がお互いに暮らしやすい社会を築くんだなと思います。
時代[2026年03月02日(Mon)]
過日、思いがけない再会がありました。
かつて 私が勤めていた施設で、大変お世話になった古紙回収事業社の社長と、偶然お会いする機会に恵まれたのです。
当時 その会社では、さまざまな事情を抱え 働きづらさのある方々を積極的に雇い入れ、「社員寮」というかたちで生活の場まで整えられていました。
縁あって、私が担当していた重度の知的障がいがある方たちにも 就労の機会を提供してくださり、古紙の分別や空き缶の仕分けといった 分かりやすく達成感の得られる作業に、皆さんは驚くほど意欲的に取り組まれていました。
作業が進むたびに表情が明るくなり 「自分の仕事」として誇らしげに手を動かす姿は、今も鮮明に心に残っています。
社長はいつも穏やかな笑顔で そんな様子を静かに見守りながら、「いつも ありがとネ」と声を掛けてくださいました。
その一言には、支援する側・される側といった線引きを超えた 確かな敬意が込められていたように思います。

私が今の事業を立ち上げ 独立してからは自然と疎遠になり、気がつけば15年ぶりの再会でした。
懐かしさに目を細めながら 再会を喜んでくださった社長は 少し間を置いて、現在の状況を語ってくださいました。
「社会全体でペーパーレス化が進んでね。新聞も雑誌も書籍も減って、扱う古紙の量がだいぶ 少なくなった。
あんたに来てもらっていた頃は 80人以上の人に働いてもらってたけど、定年を迎えた人から順番に辞めてもらって、今は20人ほどで 充分足りてるねん・・・」
その言葉には、時代の流れを受け止めながらも、抗いようのない寂しさが滲んでいました。
かつて連携していた施設との付き合いも、今はもうないそうです。

時代が進めば、産業は姿を変え、職業は静かに消えていきます。
それと同時に、そこで働いていた「働きづらさを抱える方たち」の仕事も失われ、また別の場所で、新たな「働きづらさ」が生まれていきます。
かつてはごく当たり前に働き、自分の役割を持ち、家族を支えていた“普通の人”が、時代のうねりの中で職場を失い、いつしか「支援の対象」と呼ばれる側になる。
その境界線は、想像以上に脆く、誰にとっても他人事ではありません。
だからこそ、どんな時代であっても――
自分の仕事を持ち、「自信」と「誇り」を胸に 働き続けることができる場を守り続けること、
そして、誰もが「特別」ではなく、「普通」に働き、生きていくことを支え続けること。
15年ぶりの再会は、懐かしさと同時に、私自身の原点を静かに呼び覚ましてくれました。
この仕事に携わる意味、この道を選び続ける理由を、改めて深く、実感したひとときでした。
仕事場のシンフォニー[2026年02月02日(Mon)]
青果市場での施設外就労に従事している従業員(利用者)のWさん。
先日、作業場の様子を見に行った際、ふと 視線が留まり、私は思わず 彼女の仕事ぶりに しばし くぎ付けとなりました。
無駄のない動きで、次から次へと作業をこなしていく姿。
その所作は あまりにも滑らかで、何か 大きな楽器でも演奏しているかのような しなやかささえ感じられました。
そして何より、その表情からは 「働くこと」 そのものを楽しんでいるような、静かな充実感が にじみ出ていたのです。
そんな驚きに包まれながら、ふと周囲に目を向けてみると、
そこには Wさんだけでなく、他の従業員(利用者)の皆さんが、それぞれの持ち場で、同じように テキパキと作業に取り組む姿がありました。
誰一人として手を抜くことなく、自分の役割を理解し、黙々と、しかし 確かに誇りをもって働いている。
これまで何度も目にしてきた、見慣れたはずの作業風景、
その日は、不思議と それがまったく違って見えました。
一人ひとりの動きが重なり合い、呼吸を合わせるように進んでいく様は、まるで 皆さんが奏でる“シンフォニー”のようで、そこには言葉では言い尽くせない、どこか崇高なものさえ感じられました。

障がいがある方たちの就労支援に携わる私たちは、失敗が起きないように,生産性を少しでも高められるように,という思いから、どうしても 「課題 」や 「できないこと」 に目を向けがちです。
知らず知らずのうちに、「課題」を見つけ出すこと自体が 目的になってしまうことさえあります。
けれど、その日 私が目にした光景は、そうした視点だけでは決して出会えなかった風景でした。
一旦 立ち止まり、「評価」や「分析」から 少し距離を置いて眺めてみたとき、そこには「支援される存在」ではなく、確かに “働く 一人の担い手” として、その場を支えている皆さんの姿がありました。

人は、視点を変えたときに 初めて見えてくるものがあります。
Wさん、そして 青果市場で働く従業員(利用者)の皆さんは、そのことを 静かに、しかし 力強く 教えてくれたように思います。
明けましておめでとうございます[2026年01月01日(Thu)]
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本年が、皆さまお一人おひとりにとって、
穏やかな喜びと 多くの笑顔に満ちた、実りある一年となりますことを、
心より ご祈念申し上げます。

本年もまた、京都フォーライフの事業活動に 深いご理解をお寄せいただき、
変わらぬご支援と 温かなご協力を賜りますよう、
何卒 よろしく お願い申し上げます。
本年も有難うございました[2025年12月31日(Wed)]
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本年も、数えきれないほど多くの皆さまのお力添えに支えられ、
京都フォーライフは 大きな実りを感じる一年を 重ねることができました。
日々の活動の一つひとつの背後に 皆さまのご理解とご支援があったことを、
改めて 深く実感しております。

地域企業での就労が困難な、重い障がいのある方たちと
雇用契約に基づく就労をともに築いていく
「就労継続支援A型事業」を取り巻く環境は、年々厳しさを増し、
運営の健全性が 一層 厳格に求められる状況となっています。
その影響は、誠実に運営を続ける事業所にとっても 決して小さなものではなく、
この流れは 今後も続いていくことが見込まれます。

そのような状況下において、京都フォーライフは
事業の持続性を確かなものとするため、
収益性と安定性を備えた 自主事業の確立に 力を注いでまいりました。
地域企業や関係機関の皆さまの温かなご支援のもと、
コーヒー焙煎加工事業やカフェ運営において 増益を図るとともに、
在宅高齢者のご自宅を訪問し、食事の提供と安否確認を行う
「高齢者配食サービス事業」という 新たな取り組みにも 挑戦しています。

また、受託事業においても、協力企業の皆さまより
途切れることのない作業のご提供をいただき、
一層の収益向上と 雇用の安定につなげることができました。
この一つひとつが、働く仲間たちの安心と誇りを支える 大切な礎となっています。

新しい年も、地域企業での就労が困難な重い障がいのある方たちの
「働く場」と「雇用」を守り続けるとともに、
地域の中で より多くの方々に 必要とされ、信頼される事業所であり続けられるよう、
日々の活動を 誠実に 積み重ねてまいります。

本年一年、皆さまから賜りました 温かなご支援とご協力に、
心より 深く感謝申し上げます。
どうぞ 穏やかで 希望に満ちた 新しい年をお迎えください。
グループホームから[2025年12月01日(Mon)]
先日、SMSのメッセージ欄に、京都フォーライフの従業員(利用者) Nさんと同じグループホームで暮らしているという、面識のない方からの相談が届きました。
「何かされた」「何か言われた」という具体的なトラブルではなく、ただ “どうしても相性が合わないので困っている”というものでした。
どこに相談すればよいのか分からず、思いあまってメッセージ欄に記入されたのだと思います。

グループホームに生活する方からの不満や悩みを耳にすることは、今回に限ったことではありません。
年齢も、育ってきた環境も、抱えている障がいも異なる“他人同士”が同じ屋根の下で暮らすのですから、気持ちの行き違いや ストレスが生じるのは、ある意味ごく自然なことです。
「生活に支援が必要なのだから 仕方ない」
「共同生活だから わがままは通らない」
そんな言葉で片づけてしまえば簡単ですが、それだけでは当事者の抱える苦しさを受け止めたことにはなりません。

ふと視野を広げれば、地域社会においても『ご近所トラブル』や『隣人トラブル』は 後を絶ちません。
ときとして ニュースで取り上げられるような 深刻な事態に発展することもあります。
価値観の異なる他人が生活環境を共有することは、障がいの有無にかかわらず、それほど難しく、そしてストレスの高い営みなのだと実感します。
特に、支援を必要としている方ほど、嫌なことや 不安を言葉にすることが難しく、胸の内で抱え込んでしまうことが少なくありません。
“仕方ない”“わがまま”という言葉だけで済ませてしまうには、あまりにも繊細で大切な思いがそこにはあります。

地域で暮らす障がいのある方たちが、せめて 「困っていること」「つらいこと」 を 気兼ねなく相談できる環境を整えること。
それは、支援者としての大きな役割であり、何より安心して生活を続けるために欠かせない基盤なのだと考えます。
今回届いた一通のメッセージは、単なる苦情ではなく、
「誰かに受け止めてほしい」という小さなSOSだったのかもしれません。
フライパン[2025年11月10日(Mon)]
京都フォーライフが運営する『For the life Café』のバックヤードで働く、従業員(利用者)のYさん、
厨房の様子を見に伺ったとき、彼はいつもと少し違う表情で 「これ、あげるわ・・・」と 直径30センチを超える 立派なフライパンを差し出してきました。
どうしたのか尋ねると、「昨日の休日に スーパーで見かけて一目惚れし、思わず購入したものの、帰宅してから 電磁調理非対応の商品だと知った」 とのこと。
「じゃあ 職場で使ってもらおう」と 持ってきたけれど、カフェの厨房も すべて電磁調理器仕様で、どこにも居場所がなくなってしまったようです。

Yさんはグループホームで生活されており、普段の食事は調理担当の方が作ってくださいます。
自分で料理をする機会など ほとんどありません。
それでも、この大きなフライパンを手にした瞬間、
“カフェの厨房スタッフとしての誇り” や “自分専用の道具を持ちたい” という 静かな職人魂が、彼の中で芽生えたのかもしれません。
そう思うと、そのフライパンが ただの調理器具ではなく、Yさんにとって “働く喜び” を形にした 象徴のように感じられました。
だからこそ、それを使えなかったときの落ち込みは、誰よりも深かったのだと思います。

私自身、調理器具を買う機会が少なく、電磁調理に対応していない商品があることを このとき初めて知りました。
売り場では きっと 表示や注意喚起もされていたはず、
もしかすると、店員さんも丁寧に 確認してくださったのかもしれません。
それでも、知的障がいがあるYさんには、その意味を理解するのは難しかったのでしょう。

“暮らしの中の当たり前” が、誰かにとっては 大きな壁になることを 改めて感じた出来事でした。
そして、そんな小さなつまずきが、働く人の誇りや 気持ちを傷つけてしまうこともあるのだということを。
Yさんが差し出したフライパンは、今も厨房の隅で 静かに光っています。
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