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読書「美術館をめぐる対話」西沢立衛著 [2011年01月04日(Tue)]

新年明けましておめでとうございます。
心を新たに、また1年間という限られた時間と大切に向き合いたいと思います。

2010年年末が忘却の彼方に消えてしまう前に断片を記録します。

年末、地元に帰って、自習室(と勝手に呼んでいる)へ。時を忘れて本を読める喜びを噛み締める!!!今年、建築界のノーベル賞プリツカー賞を受賞されたSANAAの西沢立衛氏の「美術館をめぐる対話」を読み進めながら、眠りつつあった、消せない私自身が蘇ってくるようで、久しぶりに生きた心地がしました。やっぱり美術館と建築(都市計画含む)は好きなのです。これはどうしようもないらしい。

とはいえ、最近美術館に行く頻度は下がり、休めるときは誰かに会う、必要なものを買いに行く、インプットに徹する・・・等で、基本的に家で落ち着くようなこともなく過ごしています。アートと対面すると結構消耗するから、社会人になってからは、美術館は私にとって、「元気な日か余裕がある日に行くところ」になったのだなぁと気づきました。美術館がいかに集客をするかという点で、一般に提供される余暇の選択肢の中で競争に勝たないとならない実態を認識する必要があることを、時間のある学生時代を終えた今、ようやく腑に落ちて理解し始めています。でも、アートは必ずしも私を癒さない、それでいいのです。アートは癒しだけのために存在していないのだから当然だし、そうあるべきだし、いつでもそうあってほしい。


私の2010年を締めくくった本からメモ:

◆12〜13ページ:僕の印象では、優れたアートというものはしばしば、「アートとは何か」ということを鋭く問いかけてくるような気すらします。

◆15ページ:機能に合わせて建築をつくることが、本当に使える建築を生むことになるのか

◆15ページ:改修モノは、建物がある程度の古さを保存しているから、新品のアート作品の魅力を鮮やかに感じることができるのだと思います。

◆26ページ:キュレーターの個性、思想によって美術館のあり方は大きく変わる

◆19〜30ページ:(青木淳)建築はモノとして建つものだから、それを見たり体験する人が、結果的にそこから意味を受けとるのは当然のことです。でも、その意味は人それぞれで違っているのが理想だと思うから、どうやって象徴性を消すかということを考えます。特に、美術館は、そこで思わぬことが起きる場所のはずでしょうから、象徴性というところから最も遠い施設なんじゃないかな、と思います。

◆34ページ:人々が集まって音楽を聞いたり、絵を見たりというのは、もっと単純な、例えば神社で村祭りをやるような感じでいいんじゃないかという、そうした発想が僕らにはどこかにあると思いますね。

◆55〜56ページ:美術館には、民間であっても公立であっても、ある公共性というものがあって、それはまさに町の一部で、町の人々が共有する財産です。それは道路とか公園が公共物であるのと同じで、経営的に成功しないからといって道路や公園を廃止しないのと同じで、町の財産としての美術館も、お金をつくる目的で存在するのではなくて、僕らの生活を豊かにするためのものですから、経営や商業とは違う角度での評価も必要ですね。

◆100ページ:「開く」ということは、物を失っていくというだけでなくて、物をつくっていく、ある豊かさを生み出していくことでもある

◆142ページ:(南條史生)その町の文化と認めてもらうには、そこがつくり出した文化と文化装置がなければならない。つくり出すというのは、アーティストをつくれという意味ではなくて、独自の美術館の活動やコンセプトがあるということです。

◆155ページ:(オラファー・エリアソン)成功している美術館とは、自身のあり方について常に懐疑的でありつつ、同時に来館者にも健やかな批評の精神を呼び起こさせるものなのです。

◆210ページ:公共とか集団というものは、考えてみれば、帰属するひとりひとりの主体性や個性、独創性とかが重要だと思うんですね。集まることのメリットを考えると、似たような人が集まるより、個々が違う力をもった人々が集まるほうがいい。集合するということは、個々に個性や主体性があることが前提になっていると思うのです。


西沢氏が携わった金沢21世紀美術館も十和田市現代美術館もどっちも好きだったので、この本に記されているアイディアは、ビシビシ伝わってくるし同意できる部分が多く・・・とはいえ、当たり前なことも多かったものの・・・これまで学んだ沢山のことを少しずつ忘れていくような実感が少しあって少々怖くなりました。自身を前進させるパワーは自身で創るしかないのですな!(随分な乱文ですが、まとめる時間を取ろうとすると更新することすら忘れてしまいそうなので、更新します。)

早速今度は『ザハ・ハディットは語る』を購入!あああ、読むのが今から楽しみで仕方ないー☆
Posted by mzgk at 23:08 | 読書 | この記事のURL | コメント(0)
読書「通勤電車でよむ詩集」 [2010年04月14日(Wed)]

 雑誌で知った小池昌代編著の詩集「通勤電車でよむ詩集」。本の中では朝・午後・夜の電車用に分けて41もの作品が紹介されています。
 詩集社会人になったら通勤電車でこの本を読むのだと心に決めていました。間もなく4月を迎えるというときに、本屋に走り、4月1日はこの本をバックに入れて会社に向かったのです。
 ところが、もともと詩は嫌いでも何でもないのだけれど、中学受験のときからどうも読解できないらしいということは自覚していたのですが、今回は本当に心がぴくりともしないような錯覚に陥り、読み進めるにつれて、どこかでこの自身の鈍感力に絶望してしまうという展開に。詩人が選び抜いた言葉から想像を膨らますことができなかった自分がいることに、なんだかつまらない大人になってしまったように感じてしまい、やはり何事も普段からのトレーニングが大切なものだと・・・反省しました。もちろん時期的に、足が棒になるような戦いの通勤電車の中で心に静寂を保ちながら詩を読み感動するというのは、初めにしたら高度なことだったのかもしれませんが。先日、詩人の谷川俊太郎さんにお目にかかってからというもの・・・、忙しい日々を送ろうとも人間っぽい大人になりたいと思ったばかりだったのです。やっぱりハウツー本ばかりではどこかしら限界がやってくると気づかされた本となりました。もっと自身の気持ちや気づきに五感を鋭くして捉えていかなければなぁ。
Posted by mzgk at 21:11 | 読書 | この記事のURL | コメント(0)
読書「粗食のすすめ」 [2010年02月16日(Tue)]

「粗食のすすめ」幕内秀夫著 新潮社文庫

最近、某女性誌にこの本が紹介されていて読んだのですが、予想以上に面白い本でした。
読み終わった後に本について母親に話したところ、家族のために勉強して食事をつくってきてもらっただけあって「今さら気づいちゃって?」という目で見られてしまいました。当然ながら「食育」は母の方が圧倒的に上手な分野です。

「風土に合ったFoodを食べる」というのは思いの外深く・・・自然界の循環というのはどうやったらこんなに巧いことできあがったんだろう、なんて再び考えてしまいました。そして、これを行動に起こすのは、簡単に思えて実際そうでもなさそうなのです。割と自信のあった私ですが、本にある「粗食度テスト」は高得点ならずでした。耳に入る情報は栄養学的理由よりも経済的事情によるものがあるということも、わかっていたようでわかっていませんでした。どんなことも自発的に勉強したり情報を取りにいかないといけないんだ!ということでしょうか。油断できません!
一方で、日本人ほどバライティに富んだ食事を好き嫌いなく食べる/食べなければいけないなんて珍しいと書いてありましたが、だからこそ、東京という街が世界にも認められる『食』の街になったのではないかしら?とも思いました。
Posted by mzgk at 21:15 | 読書 | この記事のURL | コメント(0)