綿から糸を紡ぐ(後編)
[2013年11月07日(Thu)]
前回までのあらすじはこちら。
…というわけで、「おやイスト」のIさんに、糸紡ぎの教えを乞うことになった筆者。
大槌までのボランティアから広島へ帰ってきた後、即待ち合わせ場所へ。
糸紡ぎの経験がないこともさることながら、面識があるとはいっても、Iさんとは、そこまで深い知り合いというわけではない。
電話口からの印象は優しそうだとは言え、もしすごい気難しい人だったらどうしよう…と内心ビクビクしながらお会いしたのですが…その点は杞憂で、懇切丁寧に糸紡ぎの方法を教えて頂きました。
なお、糸紡ぎの方法は、以下の通りです。
(Iさんに教えていただいた方法に、一部筆者なりのアレンジが入っております。)
1. まずは、綿の実から、種を取り出します。

2. ペット用のブラシ(もしあればカーダー)に綿を乗せて梳くことで、綿をほぐします。


3. ほぐした綿を一つにまとめて、スピンドルの先端にひっかけて、5〜10回ぐらい一定方向に回して、よりをかけます。
よりがかかったら、スピンドルを引っ張り、綿を引き出し、また5〜10回ぐらい一定方向に回してよりをかけ、スピンドルを引っ張って綿を引き出します。


あとは、3.の作業の繰り返しです。
とは言え、ところどころダマになったり、どうしても糸が太くなったり、逆に細すぎて途中で千切れてしまったり、最初のうちは思ったような糸は作れない。
Iさんから「あとは慣れですよ^^」という励ましの言葉をいただき、何とかぺあせろべ当日までには間に合わせるんだ!という思いで、何としてでも人に教えられるレベルまでマスターするんだ!という、試行錯誤の日々でした。
そして迎えたぺあせろべ当日。
お酒を売りたい、それ以上に飲みたいという衝動を抑えつつ、予定通り私はものづくり教室の木綿糸づくりを担当。
当初、ものづくり教室の対象者は、小学生以下の親子連れを対象としていたのですが、それ以上にご年配のご婦人方へのウケがよく、まずまずの滑り出しかな、と思っていました。
しかし、しばらくすると、やはり今まで慣れた日本酒の販売ではないこともあり、なかなかうまく呼び込みができず、何人かは来てはくれるものの、思ったほど糸紡ぎの体験までは挑戦してくれない状況。
おまけに、通りがかりの人に、「あっち(隣の会場で同日に開催していたフードフェスティバル)のブースでも、同じような事をやっていましたよ」とのお言葉まで。
聞いたところによると、向こうはブースを出しているのが知名度・資金力・影響力の面で、悔しいけれども青技交の比ではない某放送局であったり、綿実から種を取る道具(綿繰り機)があったり、綿の鉢ごと販売していたりと、こちらよりかなり先を行っている模様。
「『フード』フェスティバルちゃうやん…」などと思いながらも、一方で、そんな影響力を持っている方々まで、「綿」というのに着目していた、ということに、「そうか。時代は『綿』なんだな」などと、何とも言えないシンクロニシティを感じさせられました。
とは言え、綿から糸を作るデモンストレーションをしてみると、興味を持ってくれる人がちらほら出てきて、ブースの来場者数も尻上がりに上昇。
それと同時に、私の木綿糸づくりのスキルも上昇(笑)
結局は、成功裏のうちに終わった、今年のぺあせろべでの「ものづくり」教室でした。
残念ながら、この「ぺあせろべ」は、今回の30回目の開催で区切りをつける、ということになり、来年度以降は行われない予定。
とは言え、ものづくり教室も、木綿糸作りも、何らかの形で、継承していくことが出来たらと思っております。
(そして、日本酒の販売も(笑))
さて、私が「綿」のものづくりを担当し、「ぺあせろべ」という名の国際交流フェスティバルに参加していく過程で、一人の偉大な人物に、思いを馳せました。
その人物の名は、「モハンダス・カラムチャンド・ガンジー」
非暴力、不服従を信念として、インドを独立へと導いた、「マハトマ・ガンジー」その人です。
(マハトマ、というのは、「偉大なる魂」という意味の、ガンジーの尊称。)
よく誤解されがち、というより、私自身が誤解していたのですが、ガンジーが唱える「非暴力主義」は決して「無抵抗主義」ではなかった、ということです。
イギリスの産業革命により、安価な木綿糸と布が入ってくるようになった余波で、壊滅的な被害を受けたインドの綿産業。
政治的にも、経済的にも、イギリスへの隷属を強いられてきたインドが、経済的な自立と自信を取り戻すことができた要因の一つは、ガンジーが主導した、チャルカ(糸車)とカディ(布)運動でした。
自分たちで糸を紡ぎ、自分たちで布を織り、自分たちで服を作り上げることで、自分たちを支配しようとする国が押し付けてくる、安価な海外製品を不買し、駆逐する。
かくして、偉大なる魂が、暴力を用いることなく、インドを独立へと導いた、という事実は、その偉大なる魂こそが、実は何者にも勝る闘志の持ち主であったと思わせられるとともに、社会的課題を解決する上で、大いに参考となるモデルケースであったと思うのです。
"You should be the change that you want to see in the world."
(Mohandas Karamchand Gandhi, Mahatma 1869-1948)
…というわけで、「おやイスト」のIさんに、糸紡ぎの教えを乞うことになった筆者。
大槌までのボランティアから広島へ帰ってきた後、即待ち合わせ場所へ。
糸紡ぎの経験がないこともさることながら、面識があるとはいっても、Iさんとは、そこまで深い知り合いというわけではない。
電話口からの印象は優しそうだとは言え、もしすごい気難しい人だったらどうしよう…と内心ビクビクしながらお会いしたのですが…その点は杞憂で、懇切丁寧に糸紡ぎの方法を教えて頂きました。
なお、糸紡ぎの方法は、以下の通りです。
(Iさんに教えていただいた方法に、一部筆者なりのアレンジが入っております。)
1. まずは、綿の実から、種を取り出します。

2. ペット用のブラシ(もしあればカーダー)に綿を乗せて梳くことで、綿をほぐします。


3. ほぐした綿を一つにまとめて、スピンドルの先端にひっかけて、5〜10回ぐらい一定方向に回して、よりをかけます。
よりがかかったら、スピンドルを引っ張り、綿を引き出し、また5〜10回ぐらい一定方向に回してよりをかけ、スピンドルを引っ張って綿を引き出します。


あとは、3.の作業の繰り返しです。
とは言え、ところどころダマになったり、どうしても糸が太くなったり、逆に細すぎて途中で千切れてしまったり、最初のうちは思ったような糸は作れない。
Iさんから「あとは慣れですよ^^」という励ましの言葉をいただき、何とかぺあせろべ当日までには間に合わせるんだ!という思いで、何としてでも人に教えられるレベルまでマスターするんだ!という、試行錯誤の日々でした。
そして迎えたぺあせろべ当日。
お酒を売りたい、それ以上に飲みたいという衝動を抑えつつ、予定通り私はものづくり教室の木綿糸づくりを担当。
当初、ものづくり教室の対象者は、小学生以下の親子連れを対象としていたのですが、それ以上にご年配のご婦人方へのウケがよく、まずまずの滑り出しかな、と思っていました。
しかし、しばらくすると、やはり今まで慣れた日本酒の販売ではないこともあり、なかなかうまく呼び込みができず、何人かは来てはくれるものの、思ったほど糸紡ぎの体験までは挑戦してくれない状況。
おまけに、通りがかりの人に、「あっち(隣の会場で同日に開催していたフードフェスティバル)のブースでも、同じような事をやっていましたよ」とのお言葉まで。
聞いたところによると、向こうはブースを出しているのが知名度・資金力・影響力の面で、悔しいけれども青技交の比ではない某放送局であったり、綿実から種を取る道具(綿繰り機)があったり、綿の鉢ごと販売していたりと、こちらよりかなり先を行っている模様。
「『フード』フェスティバルちゃうやん…」などと思いながらも、一方で、そんな影響力を持っている方々まで、「綿」というのに着目していた、ということに、「そうか。時代は『綿』なんだな」などと、何とも言えないシンクロニシティを感じさせられました。
とは言え、綿から糸を作るデモンストレーションをしてみると、興味を持ってくれる人がちらほら出てきて、ブースの来場者数も尻上がりに上昇。
それと同時に、私の木綿糸づくりのスキルも上昇(笑)
結局は、成功裏のうちに終わった、今年のぺあせろべでの「ものづくり」教室でした。
残念ながら、この「ぺあせろべ」は、今回の30回目の開催で区切りをつける、ということになり、来年度以降は行われない予定。
とは言え、ものづくり教室も、木綿糸作りも、何らかの形で、継承していくことが出来たらと思っております。
(そして、日本酒の販売も(笑))
さて、私が「綿」のものづくりを担当し、「ぺあせろべ」という名の国際交流フェスティバルに参加していく過程で、一人の偉大な人物に、思いを馳せました。
その人物の名は、「モハンダス・カラムチャンド・ガンジー」
非暴力、不服従を信念として、インドを独立へと導いた、「マハトマ・ガンジー」その人です。
(マハトマ、というのは、「偉大なる魂」という意味の、ガンジーの尊称。)
よく誤解されがち、というより、私自身が誤解していたのですが、ガンジーが唱える「非暴力主義」は決して「無抵抗主義」ではなかった、ということです。
イギリスの産業革命により、安価な木綿糸と布が入ってくるようになった余波で、壊滅的な被害を受けたインドの綿産業。
政治的にも、経済的にも、イギリスへの隷属を強いられてきたインドが、経済的な自立と自信を取り戻すことができた要因の一つは、ガンジーが主導した、チャルカ(糸車)とカディ(布)運動でした。
自分たちで糸を紡ぎ、自分たちで布を織り、自分たちで服を作り上げることで、自分たちを支配しようとする国が押し付けてくる、安価な海外製品を不買し、駆逐する。
かくして、偉大なる魂が、暴力を用いることなく、インドを独立へと導いた、という事実は、その偉大なる魂こそが、実は何者にも勝る闘志の持ち主であったと思わせられるとともに、社会的課題を解決する上で、大いに参考となるモデルケースであったと思うのです。
"You should be the change that you want to see in the world."
(Mohandas Karamchand Gandhi, Mahatma 1869-1948)
【市民活動の最新記事】