「親ばか記」第2弾。
妻の一言からはじまった。
「ねぇ、お食い初めの魚ね。(一般的に使われる)鯛を新鮮館に見に行ったらね、こんな大きいのしかなくてね。いいサイズのお祝い用の鯛がネットなら売ってるらしいんだけど」
ほう。最近、唐桑で地域経営だの地産地"食"だの謳っているのに、家の眼の前に海が広がってるのに、ネットで買うのもなぁ。
「なぬ。よし、父が魚を獲ってこようぞ」
(訳:父が魚を獲ってくる方にお願いしてきます)
こうして「お食い初め大作戦」が開始。
お食い初め(おくいぞめ)。生後100日の儀式で、赤飯、オカシラ付きの魚などなどお膳を準備して食べさせるマネをする。
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数日後、とある小船の漁師さんに頼む。
「13日?揚げるよ〜。おめぇの頼みだもの。いいさ。5時にこぉ。」
交渉完了。
8月13日。久方ぶりの休日。
船外機にて小鯖5時出航。
根網(刺し網の種類)を揚げる。唐桑半島と大島に囲まれた内湾なので波は穏やか。
機械で網をぐりぐり揚げるのを横で見ているだけ。たまに海水をバケツで汲んで網にかける。
タナゴGET!ネウ(アイナメ)GET!
っしゃー!さっそく目的達成!
上機嫌。
「次はカレイ網いくぞ」
へい。
御崎沖へ移動。半島の先っちょから離れていく。水平線が眼前に広がる。
内湾とは全然波が違う。大ぉぉきな波がゆぅぅっくり押し寄せる。ぐぐぐっと船体が持ち上がる。朝陽が強すぎて、酔いそうになる。
大海原にぽつんと一艘。なんだか寂しい。
カレイ網(刺し網の種類)を揚げる。さっきよりだいぶ網の量があるらしい。
「生きてた!ほれ、入れろ!」生きたヒラメがかかってた場合、甕に移すのが私の役目。巨大ヒラメと格闘。
「魚の持ち方がシロウトだぁ」
へい!
網にかかったまま死んでしまった魚はいくら鮮度がいいとは言え、10分の1ほどの値にしかならないそうだ。
だから家でおかずにするか、おすそ分け用になる。
死んだ魚には小さくて丸々としたエビのような虫がわらわらと群がっている。
「シムシっていうんだ、こいつぁ」
「"死蟲"ですか」
「漢字は分かんねぇけどシムシって語るんだ」
海水でキレイに洗い流す。
次は錆び切った鍋ぶたが網にかかっている。「5年前のものだ。震災直後は網揚げるのもおっかなかったなぁ」
チャイムが半島全体から鳴り響く。朝6時だ。
半島が唄っている。
網を揚げ終わると次は、網を繰る作業が始まる。その場で繰って、また海底に仕掛けて帰るのだ。
それがなんとも地味な作業で。しかも手伝えることがないと見た。
船のトモ(後部)にぐったりしゃがみこんで、座って粛々と作業をしている漁師の背中をぼーっと見ながら、世間話をする。
エンジンは切れている。ぐぐぐっと持ち上がる板子一枚の上に載った私と漁師。
7時を過ぎている。
「なぁ。何週間も漂流するっつーのは気が狂うだろうなぁ。陸(オカ)もなんも見えねぇでなぁ」
うぷ。酔ってきた。あくびも止まんねぇ。相づちが消え、頭ががくりとなる。
撃沈した私を連れて内湾に戻った船。「ヒラメが生きてる内に一回、小鯖に戻るぞ」
(おぉ!)
ところが、小鯖に戻ったのはよかったが、洋上で海中に吊るしたばんじょう籠にヒラメを移すと、そそくさとそのまままた沖へ向かった。上陸なんてしません。
(Nooooo-!!)心の中で、岸壁に手を伸ばして叫ぶ。
こうして最後の根網を揚げる作業に入った。
が、さすが内湾。揺れが微量になるとたちまち体調は快復した。
「もう大丈夫なのか」
へい!
ここからは漁師さんと共同作業だった。揚げた網のアバの方をぐいぐい巻き取っていく役目。
途中、網に絡まった昆布やメカブの残骸をひとつひとつ取り払いながら揚げていく。結構大変な作業だ。
「これは全て養殖んヤツらが捨てたものだ。分かるか。こうやって、おれらの網にかかるんだ、全部」
再び小鯖に帰ってきたときには9時前になっていた。計4時間弱の船旅だった。
「船の上でな、つくってしまうんだ。その方が楽だからな」
船の上で、ざっざっと鱗をとって、さっとワタを取り出す。ヒラメは三枚におろす。手際がいい。早い。
「あるもの探し」はいつまでも続けなきゃなぁ、と痛感。まだまだ唐桑も知らないことだらけだ。
なんせ、オカシラ付きGETだぜ。
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つづいて「歯固めの石」。
午後、馬場の浜に行って、一人でちょうどいい石を見つけて2、3個拾う。ついでにポケストップになっているため、モンスターボールも2、3個拾う。
海水浴に来ている家族連れに怪しい目で見られる。見るな見るな。
両家の親から頂いた食器に妻の手料理が飾られ、こうしてお食い初めの準備が整った。
これから唐桑の魚を食って丈夫に育つんだぞー
焼いたタナゴを箸でつついて、口元に持っていった。