浪江訪問 [2015年12月30日(Wed)]
2015年12月15日
「ここから先は通行証が必要です」 「申請済みです」 「スクリーニング場で取ってきてください」 「加倉でですか?」 「はい」 バリケードを前にした我々はUターンした。 「なんだかRPGみたいだね。くくく、ドラ◯エみたい」 「アイテムがないとこの村には入れません!みたいなね」 そんな冗談をこぼしていたが、そのスクリーニング場とやらに到着すると一変する。 コンビニの跡地に置かれたプレハブ小屋、数棟。車はすぐに5〜6人に囲まれた。 「◯◯さんですね。はい、名簿にお名前ご記入頂いてますか? はい、線量計です。こちら、(区域内で)作業される場合は防護服を着用してください。防鼠剤は要りますか? こちらはトランシーバーです。緊急時にお使いください。使い方はこちらのマニュアル…」 対応はすごく丁寧。決して無愛想でもない。ある男性スタッフの胸には東京電力のバッジが。 一人ひとつ線量計を渡され、一同は息を飲んだ。 --- バリケード内に進入する。 ところどころ地震で倒壊した家屋がある。我々は4年前の気仙沼にタイムスリップした。 太郎さんの出身は浪江町。 福島の現状をこの目で見るため、ご実家をぜひ訪問させてください、とお願いした。そして、この度の浪江訪問が実現した。メンツは、太郎さんに、しゅんくん、じゅんちゃん、こうや、私。 海辺に出た。 津波で被災し半分だけ残った家がちらほら。まるで片足で4年半そのまま突っ立っているような。 墓石が散乱している。 地蔵だけは誰かが起こしたのだろうか。横たわり、散乱した墓石の合間合間で、地蔵が手を合わせている。 墓石は先祖の象徴だ。 その遥かかなたに、それはあった。 「あれ…そうじゃない?」 「あぁ、そうだね。こっから見えるんだ…」 煙突が数本。 浜へ急いだ。 「まるでバラモス城じゃない」 曇り空の隙間から太陽の光線が数本筋になり、その煙突を雄々しく照らしている。いや神々しさすら感じさせる。 なんと皮肉な。人間が作り出した人間には近づくことの許されない領域、福島第一原子力発電所。 --- 我々は町内に戻り、太郎さんの中学校の通学路を車で辿った。 「こうやって町並みを見てると、人が出てきそうだよね」 太郎さんがつぶやく。 「でも人はいない」 イノシシの親子に出くわし、キツネがキョロキョロ歩いている。 太郎さんの母校浪江中学校に到着。 衝撃の光景が待っていた。 「世界一安心して楽しく学べる学校」と貼られた下足室のガラス戸。 覗くと、運動靴がばらまかれている。 「まさか…」 順に一階の教室の窓から中を除いていく。 机と椅子は左右に乱れ、教科書、上履き、帽子が散乱。床はホコリが溜まり過ぎてか砂っぽくなっている。 予想は的中した。 黒板の日直を書く欄に「3月11日(金)」と残されていた。 体育館を覗くと、卒業式が行われていた。椅子がまばらに散乱している。まだ、ずーっと卒業式が続いてる。 本当にこんなことが現実であるのか。 まもなく5年になる。5年前の3月11日、浪江中は卒業式だった。 あのときから一切人の手が加えられていない。 職員室も保健室も。 瞬間冷凍された学校。 頭がぼーっとしてきて、残像のように子どもたちが走り回る。 いつ冷凍は溶けるのか。 窓ガラス越しに教室の後ろに目をやる。 はっと目が醒めた。鳥肌を立たせる電流が頭から走り、身体が一瞬よじれた。 「原子力の利用」 1年生の習字が飾られていた。 そうだよ、これが原子力の力。 除染作業員たちが車内で昼寝をしている。それを横目に我々は中学校を後にした。 太郎さんの家につくと、防護服を着た。敷地内の庭の土などは線量が高い可能性がある。それが靴や服に付着しないための簡易防護服で、雨ガッパと大差ない。 お家のお庭にお邪魔して、鼠除けの薬を家の入り口という入り口に撒いていった。その薬の臭いに酔って気分が悪くなった。 作業が終わると、マスクを外して、タバコに火をつけ、思い切り息を吸み、道路の真ん中で背伸びした。 「目に見えないもの」「臭いもしないもの」がこんなに怖いとは。 園子温監督「希望の国」のラストシーンを思い出す。急に鳴り出すガイガーカウンターの不気味な音。 ちなみに「希望の国」上映会が気仙沼で行われたとき、上映後園子温監督と喫煙所でばったり出くわした。興奮やまぬ私は不意に「希望なんてもうこの国には無いっていうメッセージですか」と尋ねた。「ちがう!そうじゃない!」と監督に一喝された。 暖冬のせいか柿がどの木もよくなり、ぽかぽかした冬空が浪江にも広がっていた。目に見えないし、臭いもしない。だから、タバコはまぁいつも通り。うまい。たぶん。 --- スクリーニング場に帰ると、ひとりひとり足の線量を計る。続いて車のタイヤ。 「問題ありません。お疲れ様でした」 「一時帰宅の方は一日何台くらい来るんですか?」 「今日は年内最後ですから…このスクリーニング場で今日は20台ほどです」 車が発車するとスタッフが横にズラリと並び、深々と頭を下げた。 車が遠ざかるまで頭を上げない。 あの東京電力のスタッフも。 その光景に胸が詰まる。 「太郎さん、ありがとうございました。この光景は、子どもたちに必ず伝えます。」 5年。 何も終わっちゃいない。何も始まっちゃいない。 --- そこから南下し、夜はいわき市で地域おこしに取り組む方々と懇親会。 とある30代の農家の方に出会った。6次産業化に取り組み、かなり精力的に事業展開しているそうだ。 その方が言ったことがまた衝撃だった。 「福島も津波被害が甚大だ。 津波にある日急にのまれて死んだ人がたくさんいる。 そっちの方がよっぽど酷い。 俺たちは生きているんだ。 なぁ。本当に帰れないのか?帰らないのか? 放射能なんてたいしたことねぇ。」 私は目を丸くするしかない。 「それでもね、俺たち福島の農家は一番最悪の状況を経験した。 だから後は、一番テッペンを経験したい。両方経験できるのは俺たちだけだからな。」 生きてやる。津波で亡くなった人の分も生きてやる。 そしてこの地域の子孫に伝えてやる。俺たちは生きていた、と。 何も終わっちゃいない。福島は今も昔と変わらず生きている。 |