自分を捏造していたのは自分だった [2015年08月28日(Fri)]
先日、ちらっと記事「続・嬉しかったことと、学んだことと、その他ちょっとした報告」に書いた話を掘り返す。
GW前後にドキュメンタリー番組の密着取材的なものを初めて受けた。1週間。 なかなか大変なものだったが、貴重な経験をさせてもらった。 まぁ乱暴に言うと、20代の若者が社会に抗して孤軍奮闘する様子を描く番組。 全国だし30分もある番組だし、当初は心躍るものがあった。 が、しかし。有り難い限りなのだが、なんせただでさえ周囲の目に怯える性格と、ただでさえ周囲の目が光る気仙沼だ。 八日町(気仙沼の中心街のひとつ)でカメラを担いだクルーに出勤シーンを追われるときなんて本当に恥ずかしかった。なんだかんだ体裁を気にしすぎるのは母譲りだ。 「カメラマンなんて連れて歩いて…あいつもとうとう天狗になったカ?」ヒガイモーソーな自分にはそんな声が周囲から聞こえてくるようで、おっかないっちゃありゃしない。 「俺もあったよ。そうゆうこと。まぁ、ありゃ御祓(みそぎ)だな。かっかっ」 そう言ってくれたのは、尾野寛明氏。学生時代に起業して、今は地域の若手人材育成の第一人者。島根と東京の所謂二拠点生活をしているのだが、この春からおよそ月に1回気仙沼にお呼びして一緒に仕事をさせてもらうことになった。 ミソギ=通過儀礼か。俺だけ特別じゃないんだ。なんだかその言葉を聞いてすーっと安心した。 オンエアは夫婦でテレビの前に座ったが見れたもんじゃなかった。 1週間カメラを回したものが30分に編集されている。「編集」というものは恐ろしいほど素晴らしい。 なるほど、ドキュメンタリーは単なる記録映像ではない。ディレクターは取材しながら「加藤拓馬」をシンプルにズバッと伝えるストーリーを練っていく。そして切り取ったシーンとセリフをそこにはめていく。 かっこ悪い。見ててそう思った。 大人ぶったことをやっているつもりだった私が、テレビの中で青二才に描かれている。 編集するとこうなるのか。いや、違う。私は客観的にそう見えているということだ。 自分を捏造して都合よく編集していたのは自分だった。 まるでよく映る鏡を見ているみたいで、私は私の顔を見れたもんじゃなかった。 幸いなことに、周りからは「感動した!」という声をたくさんいただいた。 意外なことに、地元の中学生がよく見てて、中学生にイジられる。 知らない人からもSNSを通して連絡を頂いた。「あ、テレビ出てた人ですよね?」と気仙沼のまちなかで声をかけられることもあった。何もかもが初めての体験だ。 総じて、貴重な経験をした。 同い歳のディレクターにただただ感謝である。 「人生デザイン U-29」サイトはこちら→ #008 加藤拓馬(復興支援団体代表): http://www.nhk.or.jp/u29design/archives/15008/index.html スペシャル 僕らの世代 僕らの仕事: http://www.nhk.or.jp/u29design/archives/15013sp/index.html |