宿(しゅく)地区は、唐桑の心臓部。
役所、消防、漁協、商工会などなどがあり、スーパー、コンビニもろもろお買い物にも必須。
外海(太平洋側・広田湾側)と内海(気仙沼湾側)と両方に面しており、震災時は砂子浜(外海)と宿浦海岸(内海)から地区を挟むように津波が押し寄せた。前者は馬場の郵便局まで達し、後者は宿浦の旧唐桑小跡地のすぐ下まで達した。
数日前から被災してそのままだった交番の撤去が始まり、今日見るとキレイになくなっていた。
これにて、馬場で被災してそのままの家屋・施設がとうとうなくなった。
ローソンは再開した。(参照記事:
「8月6日オープン」)黄色い車が屋根に載ったコメリはセブンイレブンになった。ホーマック進出のウワサもあったが、まさかの唐桑第二のコンビニが、ローソンの目の前にできた。
(ちなみに、その直後ローソンは大沢でもオープンして、今は唐桑にコンビニが3つある。「ここらは真っ暗になっておっかなかったから、ローソンができてよかったのよ」と大沢の在宅の人は話す。)
砂子浜のかわむらとヤマカの二大加工場は、震災後早くに再建された。
セブンの隣には、夕市の小屋が建設された。
ローソンの隣の鈴木オートは再開、その隣の薬局は解体。その隣の山本スタンド(JOMO)は、唐桑商会の創業とともに昭和シェルになった。そのお隣の国昭さん宅は解体。
向かいのお菓子の花子は再開、隣の車屋も再開。向かいの小松屋さん自宅は新築された。自宅の再建は、ここらで一番早かった。隣のフードセンターは震災直後から営業再開している。
ちなみに、役所前の通りには、キッチンひがしやまが開業した。唐桑で唯一中華料理が食べられるお店。
そして、ローソンの前に信号機が新設されたことも震災後の大きな変化。小学生の通学路なのでその点安心なのだが、まさか馬場で信号待ちの車の列を見るとは想像してなかった。
馬場は夜も明るくなった。未だにあの真っ暗な馬場をときどき思い出す。
そして、最後にローソン隣の交番が解体。
今、津波を思わせるのは小学校下まで打ち上げられた砂子の船くらいか。そうなると貴重な存在に思える。
宿にはまだまだ使われていない土地が多く、今後の発展に期待がかかる。夕市を発展させて、立派な産地直売所でもできれば、地元経済も観光客も喜ぶのになぁ、と想像してみる。
海の幸、家庭菜園野菜、果物、地元のおばちゃんたち自慢のお惣菜、お土産グッズなどが並び、人の出入りが絶えないお店。唐桑の観光を満喫した後に気軽に寄れるスペースにもなる。新たな雇用も生まれる。
宿の活用法は是非町民をあげて考えていきたい問題だ。わくわくすること間違いなしだ。