はじまりのおわり〜経営未来塾卒塾式〜その2 [2016年10月30日(Sun)]
2016年5月。りょうたとさらの結婚式で東京へ。
その3次会。 さらの同級生のしゅんとあぐらをかいて乾杯する。 さらもしゅんも唐桑出身。2011年、高校3年生のとき、私たちFIWCの活動に参加してくれていた。 自分たちも被災した高校生。それにも関わらず、ガレキ撤去のボランティアによく来てくれた。 しゅんの恋愛相談も受けたし、バカ話もよくした。 1年経って、しゅんは進学のため仙台に出た。そのまま仙台で就職した。 たまに帰省した際は、決まって私の好物の喜久福をお土産にホーム(拠点のプレハブ)に顔を出してくれるのだった。 仙台に出てから4年が経った。 「おれ、唐桑に戻ることにしました」 3次会の居酒屋でしゅんが言う。おぉ、そうか。 「唐桑に戻るキッカケは、たくまさん、あなたです」 え。耳を疑う。 「ずっとぼくの地元で昔も今も変わらず活動しているたくまさんたちを見ていました。 おれは仙台で一体何やってんだろうって。ずっと思ってたんです」 しゅんは酔っていた。 「当時18歳のぼくは、たくまさんに出会って変わりました」 口調は少し震えているがしっかりとしている。 「ぼくは、唐桑に帰って、18歳のぼくに出会いたいんです」 感動した。 人生には「歯を食いしばってここまでやってきてよかったな」と思える瞬間が、たまにやってくる。 頭をうなだれて、それを噛み締めた。私も酔っていた。 そうか。ありがとう。 --- 2016年10月16日。 第5期経営未来塾卒塾式。 8分間、志を伝えるスピーチをする。半年間の集大成として。 正直に言うと、こんなに話していて私自身が気持ちよかったスピーチは初めての経験だった。 「地域"協"育」をはじめます。 その原体験にある、厳しく優しい唐桑半島の集落コミュニティ。 ここは「被災地」ではなく、ここは社会の最前線でした。 そして、私は移住者ですが、移住者だからこそできることがあります。 それは、地元へのUターン者を生むことです。 地域協育プロジェクト「じもと◯◯ゼミ(まるゼミ)」を立ち上げ、Uターン率を上げます。 私は、Uターン、Iターンを生み、気仙沼を持続可能なまちにします。 そしてそれは、日本中のロールモデルになります。 …私はある青年に出会いました。彼は震災当時、高校生でした。 スピーチの最後に、上のしゅんの話を出した。この上半期で最も嬉しかった言葉だったから。 しゅんも会場に来ていた。顔はできるだけ見ないようにした。 康彦さんも来てくれた。康彦さんの顔もできるだけ見ないようにした。 スピーチが止まりかねないから。ただでさえ自分の話に酔い、感極まっているのだ。 こうやもいる。スマホをかざすえまもいる。みっぽも。ひでき先生が手を振ってる。間に合ったみたいだ。みほと東太もいる。 スピーチが終わってひと呼吸すると、最前列の事務局の森さんが両目をぐっと押さえている。糟谷さんの目も真っ赤だ。驚く。 段から降り、アイリスオーヤマの大山社長や市長ら前列の方々にお辞儀をする。 トーマツの谷藤さんががっちり握手してくれる。新日本監査法人の有倉さんとがっちり握手する。水橋さんはじめメンター陣の方は見ないようにした。目が限界だった。 席に戻ると、つらつらと涙が流れた。よかった。なんとかここまでもってくれた。 つらつらと溢れる涙は、同じく唐桑を拠点とする歩さんのスピーチまで続いた。 休憩時間、ISLの片岡さんに「ここまでやってくれるとは思ってなかった。最高だった」と声をかけてもらう。 よし。 ここからだ。これは、はじまりのおわりだ。 --- 以上2回に渡る長い記事でしたが、これは自身の備忘録。 卒塾式間際は本当に精神的にも体力的にも崖っぷちが続いた。 明け方、寝ぼけてむくりと起き上がり、仕事の夢を見ていたのだろう、正座して誰かにひたすら謝る私。それを息子の夜泣きだと勘違いして、妻がとんとんとあやす。そんな地獄絵図が繰り広げられていた(笑)。妻も夜泣きで参っていた。 そんな経営未来塾が終わったのだ。すがすがしくも寂しい気持ちがどんより。「塾ロス」「メンターロス」にかかる。 そんな冗談を言ってるうちに、早半月が経った。 …が、すべてがいきなり上手く回り始める訳もない。 卒塾式の懇親会の挨拶で市長がこう言った。「雲外蒼天、という言葉を開講式で贈りました。みなさん、どうですか!今日一日限りかもしれませんが、雲外蒼天、今日は楽しみましょう(笑)」 まさにその言葉のとおり、翌日からすぐさままた雲の中にすっぽり入ってしまった。 雲の上には雲がある、ということだ。 このまま天まで突っ切るしかない。 --- 本当に多くの監査法人のメンターのみなさん、市役所の事務局のみなさん、企画をしてくださったみなさんに育てられました。 そして、私が事業構想書、事業構想書、じぎょーこーそーしょ、じぎょーこーそー…と半年間言い続けてろくに仕事をしなかった分、文句を一度も言わずに黙ってそれをカバーしてくれた弊社のスタッフに、最大限の謝意を伝えたいです。 本当にありがとうございました。 この下半期から還していきます。 |