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地元から電話が来る [2016年08月26日(Fri)]

「これだよ、これ」
こうや、しゅんくん、えまと事務所で深夜まで議論を繰り返す。
10回20回の悶々として鬱々とした議論の末、光が差す議論が1回やってくる。
気仙沼の漁業の衰退の正体とは。日本の高度経済成長とは何だったのか。
本当に「昔はよかった」のか。どうしても今唐桑でもがく志を問うとそんなテーマに及ぶ。
「そうだよ。おれたちはこれだ」
がっと視野が広がる瞬間がたまにやってくる。ほんの少しずつ前に進んでいる。
あと少しだ。あと少しで何かが見えてきそうだ。見えるに決まってる。

暗いトンネルの中でそう言って前方をにらみつける。

---

地元・姫路の先輩から電話が来る。地元のまつりが危ない。
私の地区のヤッサ(屋台…関東でいう神輿の巨大なヤツ)が若者不足/担ぎ手不足でもう上がらないという。
「(毎年やばいねんけど)今年はホンマにやばいわ。地のもんの力が必要やねん…なんとか、まつりのときだけ帰ってこれへんか」

「播州の秋まつり」と言えば、自分のアイデンティティと言っても過言じゃない。
英賀の秋まつりが小さいころから本当に好きで好きで、小学生のころは太鼓の叩き手として担がれ(小5に宮入のブイサシに選抜されたのが乗り子のピーク。確か卒業文集にも書いたくらい。)、中学生からはヤッサのかぎ手として担いだ。大人になってからも時間が合えば帰って担いだ。(震災後も唐桑の兄ちゃんを同伴して参戦したりもした。)
中高一貫の私学に通った私にとって、この秋まつりは自分を「英賀の人間」たらしめた唯一のものだった。がらがらの声で「よぉぉやさぁぁ」と叫ぶことが、元来根なし草の自分の精一杯の根っこだった。
播州の熱はこの1年に1回の秋まつりに詰まっていて、それは日本中どこにも負けない「地元の誇り」でもある。
(日本で一番ガラが悪い自信がある、とか、デカさが違いすぎて関東の神輿がおもちゃに見える、とか、語り出したら止まらない。)

仕事が追いつかない。おどおどする心持の反動で、仲間への態度がねじれ曲がる。
家族との時間も最近不十分だ。
くんばんちゃんもまた入院する。みんないよいよ歳をとってきた。
「地域に自分ゴトを!」と虚しく叫びながら、地元のまつりの火が消えそうなのを傍観することしかできない。
いったい東北でなにをやってんねん、おれは。
家路につく。ただただ呆然として、ハンドルを握る力も沸かない。