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からくわワークキャンプ「maru-camp」はじまる〜プロローグ〜 [2015年09月05日(Sat)]

2011年2月20日、日記にこんなことを書いている。
「ワークキャンプは、マイノリティ、マジョリティ、国家といった
 (意味のない)カテゴリーを越えた次元で、
 てっとりばやく強固な連帯意識を生むシステムなのです。
 とか、いってみた。」

その4年前のこと。

---

2008年2月頭、中国・広州。
大学1年生18歳の冬で、2度目の中国ワークキャンプに臨む直前だった。

「リョウタロウさん、これはどういう意味スか?」
原田燎太郎氏のアパートに転がり込んだ私となべサン。
壁にかかった大きな掛け軸に目をやる。堂々とした漢字が2行に渡りずらりと並ぶ。
中国語は読めない。

「走進工作営
 天下一家親」

聞いたのは、なんとなしの興味本位だった。

「World as one family by Work camp…
“ワークキャンプが世界をひとつの家族にする”。

亮輔らと考えた。
ちょっとクサいんだけどね…」
「たいらん」こと原田燎太郎氏が照れ笑いしながら答える。

なんじゃこりゃ。
静かにびりびりと身体に電気が走るのが分かる。
むわっとした排ガスと熱気を纏う広州の、決してキレイとは言えない灰色のアパートの、こざっぱりした一室に「世界」を謳った掛け軸がある。

かっこいい。
他に理由はなく、魂が震えた。
「リョウタロウさん、おれ、中東に興味があって。
中東でもいつかワークキャンプできますかね」

「お〜。じゃあたくまが卒業するまでに下見に行くか」
それから4年間、私は「ワークキャンプ」の魅力、もとい魔力に取り込まれていく。

---

2011年2月末、中国・広州。
大学4年生21歳の冬。
「俺と一緒にワークキャンプをやってください」
ホテルの廊下で膝をついた。

恩師・西尾雄志氏が広州に行くと聞き、それに先輩・郭晃彰氏が同行すると聞き、私も同行することにした。
「西尾さん、たいらん、郭くんと一晩飲む」それは(たとえ貧乏が過ぎようとも)航空券5万円を借金してでも行く価値があった。
エジプトで失敗し、リャオじいを亡くし、内定先の会社に通う日々を送る私は、焦っていた。
3月で卒業だ。このまま迫り来る波に呑まれるのか。

たいらんと郭くんの初顔合わせだった。
西尾さんが弟のように可愛がるのがたいらんだった。彼の中国でのワークキャンプ活動を東京から支援し続けていた。
一方、西尾さんが早稲田の教え子の中で「二人の天才」と呼ぶ内のひとりが、この郭晃彰だった。「学生なのに大人への対応・巻き込み方がズバ抜けている」と評した。
郭くんは学生時代、薬害エイズ問題と向き合い、イベント屋として活躍した。この時はテレビマン1年目。

ワークキャンプ屋とイベント屋は、根っこにある想いを共有するとすぐ共鳴し始めた。
手法として、現場力に長け発信力に飢えるワークキャンプ屋と、発信力に長け現場力に飢えるイベント屋。
がっしり2人は握手した。
歴史的な出逢いだ、と私は嬉々として杯を重ねた。

IMG_0022.JPG

昼間っから飲み始め、転々と店を変え、最後はホテルで飲んだ。
大学時代4年間とてつもなく影響を受けた3人が、目の前でこれからの連携について話し合っている。こんなにわくわくする光景はない。
同時にいよいよ焦りを隠せない。
「オレは、また西尾さんにバカにされて、スネてた。
 どうも、この3人の前だとやはり気がひける」
と当時の日記に記してある。相変わらず、酔って西尾さんにまた食い掛かっていた。
そんな最中だったと思う。

このまま就職しても、俺はいずれ退職してワークキャンプをやるために海外に出る。
「仕事」としてワークキャンプを運営して、広めていきたい。
「World as one family」のために。
その夢のためには、このひとつ年上の郭晃彰が必要だ。
「エジプトの失敗」は、もうしない。
この人の鋭い批判力と求心力があれば、2人でその夢を実現できる。

そう確信した。
ホテルの部屋に戻るため、よたよた郭くんと二人廊下を歩いているとき、私は郭くんを呼び止めた。
「おれと一緒にワークキャンプをやってください」
そう言い放った記憶が、酔いもまわり、定かではないが、ある。
ただ、暴発しそうなエネルギーだけは確実に、あった。

その翌月のことだった。東日本大震災。
そして3月12日、私の人生を変えたメールが郭晃彰から来た。

---

それから4年と半年。
2015年8月、気仙沼・唐桑。
ついに、私たちmaru-officeはワークキャンプを唐桑で開催した。

つづく