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夢の夏祭り(前編) [2011年09月17日(Sat)]

9月3日、夏祭り打ち上げ。
実行委員の進さんが挨拶をする。
「“生きる力をお互いに創ろう”、その手段としての祭りだったと思います」
続いて、馬場さんの挨拶で乾杯。

---

主役は、水島“RIO”亮。ツルっぱげの歌手リオだ。「愛はひとつになる」を唄う。
(参照記事「「愛はひとつになる」」)

あれは6月だったか。「唐桑で大きな夏祭りをやりたいと思う」リオにそう相談された。
私はというと、気高ダンス部の引退イベントを終えたばかりで、全く乗り気ではなかった。
「いいアイディアやけど、結局現地滞在しているのがオレやからって、オレに全部調整役をフるのはやめてな」
そんなことまで言っていた。今思えば、酷いセリフだ。
「それは、分かってる。たくまに迷惑はかけない」

「愛はひとつになる」を唐桑の人みんなと歌いたい。
唐桑のみんなを元気づけるために、花火を唐桑で上げたい。リオの描く夢があった。

一方、夏祭りを盛大にやりたいと考える男はリオだけではなかった。
もう一人、T-ACTの花堂氏。本業は映画監督。
花堂監督は、キャンドルアートを考えていた。
「風船をロウに浸けて、固める。そんで風船を割ると、丸いキャンドルが完成する。その中に、火を灯すんだ。幻想的な灯りだ。みんなでワークショップで作るんだ。それを祭りの日にいっぱい並べる。小樽にその技術がある。…」
唐桑のマドンナ宅で、熱く語る監督。監督の描く夢だった。

私にすれば、どちらも実現しなさそうな話だった。
リオは、地元の進さんとタッグを組んで、打ち合わせを始めた。リオは、現地にずっと滞在している訳ではないので、東京唐桑間を行ったり来たりだ。そのせいか、あまり話が進まない。
花堂監督も、同時進行で他のことをいろいろやっていたようなので、祭りの話は進んでいない様子。
「それぞれバラバラに夏祭りをやってもらっても、どちらもポシャる可能性がある」
と思い、リオと花堂監督を会わせる。「連携してやっていきましょう」お互い初対面なので、どこか硬いカンジで打ち合わせが終わる。ヒヤヒヤした。

おっくうだった私も、ようやく気持ちが入りだした。
「震災後数ヵ月でバラバラ感が浮き彫りになった唐桑。その唐桑の心をひとつにするようなイベントにしたい」そんな想いをリオと花堂監督と共有した。
(参照記事「ミックスジュース」)
そんな始まりだった。

---

日程は8月13日あたりかなぁ、と想定。
7月になり、「がんばっつぉー唐桑手ぬぐい」(参照記事「がんばっつぉー唐桑」)が唐桑で大ヒットしたので、それを引用して「がんばっつぉー唐桑・夏祭り」という名前にしようということになった。
地元の進さんと高登さんとの打ち合わせは進む。
主催はどうする?ボランティアがメインになるのは、よくない。夏祭り実行委員会を立ち上げよう。地元の人をもっと巻き込もう。
会場は?海沿いは難しいらしい。じゃあ唐桑小学校のPTA会長に協力を求め、唐桑小学校のグランドを借りよう。
以上のことが決まった。

話が急展開したのは、7月中旬ころ。
気仙沼で大きなプロジェクトが動き始める。
例年あった気仙沼の夏祭り「みなとまつり」。その代替イベントをやることになったのだ。
その名も「港・けせんぬま復活祭」。
日程は、8月11日〜13日。
3日間にはそれぞれテーマがあって、11日は「追悼」、12日は「祈り」、13日は「復興・感謝」。

さらに、企画がリンクする。
ライトアップニッポン。
被災地で8月11日に花火を同時に打ち上げる、という企画があった。
岩手県の被災地を中心に名を連ねていた。気仙沼市は最後の最後にこの企画に乗ることとなり、復活祭の初日11日に合わせることとなった。

この復活祭、11日は気仙沼がメインとなってやるのだが、13日は各地域で勝手にやってくれ、というスタンスだった。候補地として、旧市外である本吉地区や唐桑地区が入っていた。
進さん、リオ、私はそこに目をつけ、喜んだ。
「13日の地域イベントと、がんばっつぉー唐桑・夏祭りを合致させよう。そしたら、復活祭からもお金が少し出るし、みんなを巻き込みやすい。日程も想定していたのとピッタリだ」

FIWCの拠点プレハブの前で、暗がりの中、リオが唐桑に来る度に打ち合わせをした。
リオがいない間は、トミーが代わりを務めた。

そして、あの7月19日がやってくる。

---

7月19日、唐桑ボランティア団の代表定例会にて、各団体に夏祭りの協力を求める。
その足で市役所唐桑総合支所に向かう。
2階に上がると、唐桑の行政区の各自治会長がずらりと並ぶ。顔見知りも何人かいる。
前には進さん、高登さん、リオが座っている。その横に座る。

唐桑町自治会連絡協議会。
従来、唐桑では各地区ごとにお盆祭りを開くのが習いだった。しかし、今年はその力を一ヶ所つまり「がんばっつぉー唐桑・夏祭り」に結集してくれ、という趣旨の説明をする。
「復活祭に併せ、唐桑でも夏祭りを開催しようと考えています。各地区の協力をお願いします。汗をかく部分は、ボランティアがやりますので」
主催、夏祭り実行委員会。共催、唐桑ボランティア団。進さんが説明する。

「実行委員ってのは何?」「要するに、貴方たちに任せればいいんだろ?」う〜んとうなる会長たちから質問が飛んでくる。
地区ごとに被災状況は全く異なる。
「ウチほは、お盆祭りやるよ」「ウチは、今年は祭りは無理だなぁ」

会議は進む。
「じゃあウチの地区は、その夏祭りに併せてしまおうかな」夏祭りができない地区は、8月13日に乗っかることに。
夏祭りを開催する地区も、13日には被らないようにしてもらう。

「では、8月13日に地区を越えたお祭りを一発やります。各地区で盆祭りやる場合は13日以降各地区でやってもらう、という形にしましょう」
「はい、お願いします」会長たちが頷く。
後援という形で、自治会連絡協議会が企画にハマる。

会議が終わった後、跳んで喜ぶ。
唐桑が動くぞ!地区が結集するぞ!リオとがっちり握手する。
「リオのおかげだ。本当にありがとう!」
リオはそれをすんなり否定する。本当に謙虚な男だ。

進さんの仕事は驚くほど早く、唐桑の夏祭りは正式に「港・けせんぬま復活祭」の一部となった。
こうして、「港・けせんぬま復活祭 がんばっつぉー唐桑・夏祭り」という名の船が走り出した。

つづく
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