夢の夏祭り(追伸) [2011年09月29日(Thu)]
つづき
お盆祭りは続く。 唐桑のボランティア団体総出で参加。 15日、中井地区お盆祭り。サポート役はFIWC。 15・16日、小原木夏祭り。サポート役は、SVA・RQら。 16日、崎浜地区お盆祭り。サポート役は、ひのきしん。 16日、鮪立地区灯流会。サポート役は、T-ACTら。 8月で撤退が決まっている花堂監督らT-ACT。宮崎県民が中心である。 この16日が、彼らの最後の大舞台である。宮崎から応援が駆け付ける。 鮪立が薄暗くなってきた。漁港付近のガレキのど真ん中には、あのピラミッド型のキャンドル台が据えられていた。 鮪立地区で例年行われるお盆の灯篭流しは、今年はやむなく中止。それを知った花堂監督は、代替イベントとしてキャンドルアートを提案した。そして地元の人とその企画を進めた。 海岸沿いの堤防には、無数のペットボトルキャンドルが、ずらーっと並ぶ。 ガレキと化した町中の到る所にも、キャンドルが並ぶ。 夕方から夜にかけて満潮を迎える鮪立は、地盤沈下のせいで町中が冠水する。 (参照記事「地盤沈下」) 故に、散りばめられたキャンドルは水に浮いているように見える。 陽が沈むころにFIWCやRQも駆け付けた。 --- イベントが始まり、遺族による献花が行われ、黙祷。その黙祷の間に点火。 小さな小さな光が、鮪立に広がった。 ![]() ![]() 町中に設置された灯りは、町を侵す海水に反射し、上にも下にも広がる。 宮崎から来た精鋭チームは、廃墟と化した区画、冠水する区画、電気のない区画を逆手にとり、アートに変えたのだ。 その試みや最早あっぱれ。 --- 私はこれらの夏祭りを通して、二人のバカな男に出会った。 歌手リオと花堂映画監督。 二人とも共通してアーティストだから似ているのだろうか。まず、夢を描き、それを語る。おおよそ実現しなさそうな話だ。それ故、「夢」と表現したくなるのかも。 「唐桑中を巻き込む祭りで、花火を上げたい。皆で歌いたい」 「町中を鎮魂のキャンドルでいっぱいにしたい」 彼らは、自ら語る夢を誰よりも頑なに信じ、頑なに突っ走る。 その際、ひとりで突っ走るのではなく、周りをぐいぐい引っ張るのだ。 そのコツは、その夢が何よりも魅力的なこと。当人がもちろん率先して走り回ること。そして、誰よりも当人がピュアであること。 それ以外にもあるだろうが、私はこの3つのコツを学んだ。 「当日が近くなってから、“キャンドル台をつくってほしい”と監督から連絡があったときは、さすがに“この人は直前に何を言い出したんだ”と思ったよ」 T-ACTのメンバーたちが、西郷を思わせるような九州弁で苦笑いしながら話す。 当の監督は大笑い。 「監督は大バカやね」 この一連の祭りの打ち上げで酒を交わしながら、私は監督に言う。 そのピュアさを、勝手に私は「バカ」と称して尊敬している。 --- 「結局できませんでした」は通用しない。失敗が称賛されるのは学生時代の特権だ。 かつて、気仙沼高校ダンス部の引退イベントを打ったときに、進さんに怒鳴られたことがある。 イベント準備に追われ、潰れかけそうになっていたときだ。 「人助けなんてものは簡単じゃない。 その人の役に立ちたいと言って、赤点とるようじゃやらない方がマシだ。 ボランティアは100点が当たり前なんだ! だったら200点目指してやれ」 ボランティアこそプロであるべきなんだ、とその時改めて思い知った。 無給だからアマ扱いになると思ったら大間違いだ。とんでもない迷惑ボランティアになる。 「その人のためになりたい」。 その想い・行動は、金銭関係を超え、ときにその人の人生に関わる。 その一大事に、当の本人はボランティア=アマ気分じゃ吊り合うものも吊り合わない。 中国のハンセン病快復者支援、然り。 だから、多少企画規模の縮小拡大はあろうと、そのプロジェクトを最後の最後までやり抜くボランティアは、なかなかいないし、スゴイ。 最早「ボランティア」とは呼びたくない。この言葉はやっぱり好きじゃない。 --- 長かった「夢の夏祭り」シリーズは、ここで終わりです。 リオ、監督、そして皆さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。 |