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市役所、退職しました。 [2016年04月02日(Sat)]

3月31日をもって、
3年勤めた気仙沼市役所を退職することになりました。

IMG_8865.JPG


地域づくり推進課の地域支援員(嘱託職員)として、
担い手育成支援事業を立ち上げていただき、
「まち歩き(地元学)」を始めたのが3年前。
事業計画を書くところからのスタートでした。
以降「ぬま塾」「ぬま大学」を立ち上げ、2年半でのべ400名以上の気仙沼の若者に集まってもらいました。本当にありがとうございました。

「行政」という組織の中にて学ぶことはとても多く、日々復興に邁進する、時には身体を壊すまで働く市役所マンたちを目の当たりにしてきました。
行政というと復興の途上においてどうしても批判されがちだったりします。
ただ多くの行政批判が的外れであることもよく分かりました。おかんに対する文句ぐらい稚拙だったりする。
そうそう、現代の地方行政は「お上」ではなく、家で言う「おかん」の存在みたいなもんです。

だんなは、おれが稼いだカネだぞ!と叱りつける。
息子は、おれをもっと見てよ!弟妹にばっかり優しくする!と駄々をこねる。

おかんはとても大きな組織で、たくさんの人がそこで働いています。
巨大事業者で、しかも目立つ。
モットーは、7万人の大家族ひとりひとりに平等であること。

おかんはとても大変で、
とてもやりがいのある仕事だと思いました。

でも、課題も見つけました。
マザコン地域の現状です。
「何かあったらおかんが助けてくれる」これじゃ地方はダメになる。
おかんは、まちの一役割であり、一機能です。
そしてマザコンの原因は、だんなにも息子たちにもおかん自身にもあるなぁと思いました。

あれ、何の話や。おかんの話しになってもてる。

---

4月1日からは、一般社団法人まるオフィス代表理事に専念します。
唐桑を拠点に、引き続き気仙沼の地域づくりに貢献する覚悟を新たにしたところです。
地域の若者、漁師、中高生、移住者…
いろんな方と挑戦してみたいことだらけです。

かく言う、まるオフィスが一番マザコンですので(笑)、
まずは私の事業自身が自立することを目指します。

なかなか思うように形にできず、もどかしい日々ですが、
もどかしさは成長痛の証拠だと言い聞かせて、がんばります。

本当に幸せな3年間でした。
当事業を担当してくださった神谷さんはじめ職員の皆様、
まゆみ、しゅんくん、こまち、(ランチ時の)さちを、
本当にお世話になりました。

引き続き、よろしくお願いいたします。

2016.04.01
加藤拓馬

IMG_3355.JPG

(神谷さん&まゆみと島根視察。この後、神谷さんと大ゲンカになる。笑
そこから「ぬま大学」が始まった)

IMG_6498.JPG

(あれ、同じシャツ。思わず集合写真を撮ったH28年度「担い手」トリオ)
2016年3月11日 [2016年03月11日(Fri)]

毎年この浜に来る。独りで。
でも、今年は独りじゃなかった。
「あら、私も行こうかしら」

毎年さ、ここでお祈りして、お家行って、そしたらばぁばとぴーちゃんと何と無しに天皇陛下のお話聞いてさ。コーヒー飲みながらね。毎年。

でも、今年はぴーちゃんがいないね。
でも、その代わり今年はこの子がいるね。

…ばぁばにおぶられたほののフードをぽんぽんっと。まもなく1歳になる。

「んだねぇ。そうやって巡るんだねぇ」

ばぁばの背中にぐるぐる巻きにされた彼女は訝しげに私を見ている。

---

サイレンが鳴る前に、祠と浜に手を合わせる。
そうしてから、眼を閉じる。
今年は去年のように風は強くない。よろけることもない。
陽がぱぁっと射したのか、不意に眼の前が明るくなる。

2015年9月20日。
「おらいのおふくろは幸せもんだぁ」
声をつまらせてじぃじがつぶやく。
「震災があって、いっぺぇ孫ができた」
畳に正座してて。膝に置く手にぎゅっと力が入った。

ぴーちゃん、今年も何と無しにコーヒー飲みに行っからね。
これからも守ってな。

毎年この浜に来る。独りで。
でも、今年は独りじゃなかった。
ばぁばとほのと3人だった。

IMG_8307.JPG


坂をゆっくり登っていると上からえいかの声が。
「たくまぁ、どこでお祈りしてたの?」
同級生のかずみとたいがもいる。この子たちももう6年生になる。

今年の3月11日は今までで一番日常だった。
私にとっての日常になっていた。
報告会@Tokyo & 4周年記念誌 マルクワ2016 [2016年02月07日(Sun)]

「からくわ丸創立4周年記念誌 マルクワ2016」ついに完成です!
これを見れば、からくわ丸の4年が!そして今が、よく分かる…はずです!ウチのオールスターそろってます。
20ページ全カラー(無料)。
表紙だけお見せしますw 半月の突貫工事でした〜

さてさて、これがいち早くGETできるのは、「からくわ丸活動報告会@Tokyo」だけ!地元メンバーも大集合ですよ〜ん。

ぜひぜひ2月14日バレンタインデーは、渋谷へいらっしゃってください!

※ちなみに…同日開催「maru-tokyo カラクワナイト」
東京で唐桑の旬を食せるってよ!
学生部隊代表の Kohei Ohmachiがホントがんばってます!
夜からの参加も大歓迎です〜

maru-office 代表 加藤拓馬
01_表紙.jpg


「からくわ丸活動報告会@Tokyo」

https://www.facebook.com/events/1542782409368308/
2015年度からくわ丸報告会@Tokyo やります!
からくわ丸地元メンバー&Pen.turn(半島移住)メンバーも参戦!
ふるってご参加ください!

【日程】
2016年2月14日(日)
14:00〜16:30

コンテンツ@
からくわ丸活動報告

コンテンツA
maru-office事業紹介&移住定住推進事業に向けて

コンテンツB
トークイベント&ワークショップ

スペシャルコンテンツ
からくわ丸創立4周年記念誌「マルクワ2016」発刊&配布!
→からくわ丸も5月で創立4周年を迎えます。
そこで、4年間を振り返ったレポート誌を発刊!(フリー)
東京でいち早く手に入れるにはここにしかない!是非もらいに来てください。

【場所】
渋谷ヒカリエ カンファレンスルームC

【主催】
からくわ丸
一般社団法人まるオフィス

※報告会終了後、懇親会を兼ねて「maru-tokyo カラクワナイト」を予定してます。


「maru-tokyo カラクワナイト」

https://www.facebook.com/events/966897250073011/
〜カラクワナイトとは?〜
宮城県気仙沼市唐桑町の“ウマい”が1日限りで渋谷に登場!
唐桑の美味しい食材を楽しもう^_^
今回は渋谷のパーティー会場を貸し切って行ないます。普段のコース料理に、唐桑の食材を加えたスペシャルメニューです。

2/14は、からくわ丸の東京報告会。報告会終了後に、地元メンバーも集めて大交流会をします!

日時:2/14(日) 17時〜19時30分
住所:渋谷タンジェリン(東京都渋谷区 渋谷 3-6-4 プライア渋谷B1)
参加費:5000円(予定)
形式:立食、2時間飲み放題
参加方法:FBイベントページ参加ボタンを押す。

会場URL→http://www.tangerine.ws/
2016年の漢字一字 [2016年01月03日(Sun)]

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

年賀状2016イラスト_02.jpg

さて、今年の漢字一字を抱負として正月に発表するコーナー。
の、前に少し振り返りを。

2007年「初」(事後決定)
2008年「逢」(事後決定)
2009年「円」(事後決定)
2010年「劇」(事後決定)
2011年「静」→「震」(事後変更)
2012年「躍」(記事リンク「タッペが怖い今年もどうぞよろしく。」
2013年「忍」(記事リンク「もうすぐ春」
2014年「帆」(記事リンク「2014年の漢字一字」
2015年「攻」(記事リンク「2015年の漢字一字」

1年前の記事にこう記してあります。

「今年は新しい事業を2つ考えています。
 今年は張った帆に風を集め駒を前に進めたいです。
 「攻」
 2015年4月でついに唐桑に来て4年。
 それは、大学4年間の東京滞在期間を超えるということです。
 2015年4月には新しい仲間が唐桑にやってきます。
 いよいよ攻める年がやってきました。
 一か八かの2015年。
 粉骨砕身、働きます。」

2つの新しい事業とは「ぬま大学」と「maru-office」の立ち上げでした。
昨年は、市役所の地域支援員として「担い手育成支援事業」を担当して3年目になる年でしたが、ついに「ぬま塾」そして新企画「ぬま大学」が日の目を見る年となりました。
長かった。
下積み?の成果もあって、今や市長にまで気仙沼イチオシ企画として内外に発信していただいております。文字どおり有り難いことです。
課での関係者との下積みはもちろんですが、峻くんと仕事を始めたのも大きかった。
今年はさらに加速させます。

からくわ丸の活動を法人化、「一般社団法人まるオフィス」として再出発を果たした2015年でもありましたが、こちらは苦戦しながらのスタートとなりました。
「自主財源の確保は?」と詰問され続けて9ヶ月。なかなか答えが出ません。
そんな中でも、帆が風を集め運が向いた年でもありました。

そこで…「2015maru-office3大グッドニュース!」
1.移住定住の風
4月にやってきた新しい仲間が「唐桑移住者増えてるらしいよ」ウワサを急浮上。
気づけば、からくわ丸の移住者(+私の奥さん)で9名になってました。
そこへ「地方創生」の追い風が吹き、私たちは「ボランティアさん」を卒業し「移住者」という新たな肩書きをゲットした訳です。
「けせんぬま創生戦略会議」(本会議)の委員にも選んでいただき、分科会ではえまが大活躍しました。

恥ずかしい話、11、12年当初はかなり荒れましたが、12年末の郭先輩との「大同団結」から13、14年…とだいぶ落ち着いたことが功を奏したのでしょうか…
(記事リンク「RE:START」
なんせ引き続き、カネ集めより仲間集めに精を出します。

2.ワークキャンプ開催
私の原体験「ワークキャンプ」を唐桑で始めました。
学生部隊のこうへいとずっと以前から話していたことでした。満を持して、です。
いつか「仕事としてワークキャンプをマネジメントする」と大学生時代、夢見てました。
その実現に向けた第一歩です。
ちなみにこれは「震災復旧」のためのワークキャンプではなく、「ポスト被災地の開拓」を掲げた地域づくりのための新しいワークキャンプと位置づけました。
この夏、計24名大学生が訪唐、感動的なワークキャンプをやりきりました。
同時にマネジメント役のこうやが縁の下の力持ちを完遂しました。
これがまた移住定住の追い風を受けることになりそうです。

3.KECKARAけっから。3年半ぶりに発行
とあるセミナーで唐桑での活動を見直す機会を得ました。
そこでぽろっと出てきた答えが
「私がホレた唐桑の人と 私がホレた唐桑の人とが つながるキッカケをつくりたい。」
というものでした。

…つまり「からくわ未来予報誌 KECKARAけっから。」だったのです。
当誌は、3年半前に#2を発行して以降、ストップしていました。
「三号雑誌、なぁんて表現をするが、KECKARAは3号にも達しなかった」などと地元の人に嘲笑われる始末。
そんな、KECKARAを復活させたのが2015年でした。

長くなりましたが、maru-officeの2015年ダイジェストでした。

---

さて、2016年は?

加藤家に新しい朝を迎えられるよう、
仕事をする上で朝を大切にすることを心がけ、
maru-officeに夜明けが来て、今までの取り組みが芽を出すよう…

「朝」

としました。(あ、朝ドラではありません!)
毎年転機を迎えてますが、今年も春に2つ大きな転機を迎えそうです。

仕事・活動のテーマを、今年は「地域"協"育」に絞って勝負をかけます。
具体的には、地域の「未来の大人」たちとの協働を意識して、
・地域"協"育+多世代協働(=からくわ丸)
・地域"協"育×漁業振興(=漁師ゴト。)
・地域"協"育×移住定住
に取り組みます。

さてさて、今年も気仙沼・唐桑での活動にご期待ください。

<おまけ>
2016年1月1日の地元紙・三陸新報に「新春座談会」という特集で載りました。

IMG_7547.JPG
浪江訪問 [2015年12月30日(Wed)]

2015年12月15日

「ここから先は通行証が必要です」
「申請済みです」
「スクリーニング場で取ってきてください」
「加倉でですか?」
「はい」

バリケードを前にした我々はUターンした。
「なんだかRPGみたいだね。くくく、ドラ◯エみたい」
「アイテムがないとこの村には入れません!みたいなね」
そんな冗談をこぼしていたが、そのスクリーニング場とやらに到着すると一変する。

コンビニの跡地に置かれたプレハブ小屋、数棟。車はすぐに5〜6人に囲まれた。
「◯◯さんですね。はい、名簿にお名前ご記入頂いてますか?
はい、線量計です。こちら、(区域内で)作業される場合は防護服を着用してください。防鼠剤は要りますか?
こちらはトランシーバーです。緊急時にお使いください。使い方はこちらのマニュアル…」
対応はすごく丁寧。決して無愛想でもない。ある男性スタッフの胸には東京電力のバッジが。

一人ひとつ線量計を渡され、一同は息を飲んだ。

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---

バリケード内に進入する。
ところどころ地震で倒壊した家屋がある。我々は4年前の気仙沼にタイムスリップした。

太郎さんの出身は浪江町。
福島の現状をこの目で見るため、ご実家をぜひ訪問させてください、とお願いした。そして、この度の浪江訪問が実現した。メンツは、太郎さんに、しゅんくん、じゅんちゃん、こうや、私。

海辺に出た。
津波で被災し半分だけ残った家がちらほら。まるで片足で4年半そのまま突っ立っているような。

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墓石が散乱している。
地蔵だけは誰かが起こしたのだろうか。横たわり、散乱した墓石の合間合間で、地蔵が手を合わせている。
墓石は先祖の象徴だ。

image.jpg

その遥かかなたに、それはあった。
「あれ…そうじゃない?」
「あぁ、そうだね。こっから見えるんだ…」
煙突が数本。
浜へ急いだ。
「まるでバラモス城じゃない」
曇り空の隙間から太陽の光線が数本筋になり、その煙突を雄々しく照らしている。いや神々しさすら感じさせる。
なんと皮肉な。人間が作り出した人間には近づくことの許されない領域、福島第一原子力発電所。

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---

我々は町内に戻り、太郎さんの中学校の通学路を車で辿った。
「こうやって町並みを見てると、人が出てきそうだよね」
太郎さんがつぶやく。
「でも人はいない」
イノシシの親子に出くわし、キツネがキョロキョロ歩いている。

太郎さんの母校浪江中学校に到着。
衝撃の光景が待っていた。
「世界一安心して楽しく学べる学校」と貼られた下足室のガラス戸。
覗くと、運動靴がばらまかれている。

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image.jpg

「まさか…」
順に一階の教室の窓から中を除いていく。
机と椅子は左右に乱れ、教科書、上履き、帽子が散乱。床はホコリが溜まり過ぎてか砂っぽくなっている。

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予想は的中した。
黒板の日直を書く欄に「3月11日(金)」と残されていた。

体育館を覗くと、卒業式が行われていた。椅子がまばらに散乱している。まだ、ずーっと卒業式が続いてる。

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本当にこんなことが現実であるのか。
まもなく5年になる。5年前の3月11日、浪江中は卒業式だった。
あのときから一切人の手が加えられていない。
職員室も保健室も。
瞬間冷凍された学校。
頭がぼーっとしてきて、残像のように子どもたちが走り回る。
いつ冷凍は溶けるのか。

窓ガラス越しに教室の後ろに目をやる。
はっと目が醒めた。鳥肌を立たせる電流が頭から走り、身体が一瞬よじれた。

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「原子力の利用」
1年生の習字が飾られていた。

そうだよ、これが原子力の力。
除染作業員たちが車内で昼寝をしている。それを横目に我々は中学校を後にした。

太郎さんの家につくと、防護服を着た。敷地内の庭の土などは線量が高い可能性がある。それが靴や服に付着しないための簡易防護服で、雨ガッパと大差ない。
お家のお庭にお邪魔して、鼠除けの薬を家の入り口という入り口に撒いていった。その薬の臭いに酔って気分が悪くなった。

image.jpg

作業が終わると、マスクを外して、タバコに火をつけ、思い切り息を吸み、道路の真ん中で背伸びした。
「目に見えないもの」「臭いもしないもの」がこんなに怖いとは。
園子温監督「希望の国」のラストシーンを思い出す。急に鳴り出すガイガーカウンターの不気味な音。
ちなみに「希望の国」上映会が気仙沼で行われたとき、上映後園子温監督と喫煙所でばったり出くわした。興奮やまぬ私は不意に「希望なんてもうこの国には無いっていうメッセージですか」と尋ねた。「ちがう!そうじゃない!」と監督に一喝された。

暖冬のせいか柿がどの木もよくなり、ぽかぽかした冬空が浪江にも広がっていた。目に見えないし、臭いもしない。だから、タバコはまぁいつも通り。うまい。たぶん。

image.jpg

---

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スクリーニング場に帰ると、ひとりひとり足の線量を計る。続いて車のタイヤ。

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「問題ありません。お疲れ様でした」
「一時帰宅の方は一日何台くらい来るんですか?」
「今日は年内最後ですから…このスクリーニング場で今日は20台ほどです」
車が発車するとスタッフが横にズラリと並び、深々と頭を下げた。
車が遠ざかるまで頭を上げない。
あの東京電力のスタッフも。
その光景に胸が詰まる。

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「太郎さん、ありがとうございました。この光景は、子どもたちに必ず伝えます。」
5年。
何も終わっちゃいない。何も始まっちゃいない。

---

そこから南下し、夜はいわき市で地域おこしに取り組む方々と懇親会。
とある30代の農家の方に出会った。6次産業化に取り組み、かなり精力的に事業展開しているそうだ。
その方が言ったことがまた衝撃だった。
「福島も津波被害が甚大だ。
津波にある日急にのまれて死んだ人がたくさんいる。
そっちの方がよっぽど酷い。
俺たちは生きているんだ。
なぁ。本当に帰れないのか?帰らないのか?
放射能なんてたいしたことねぇ。」
私は目を丸くするしかない。
「それでもね、俺たち福島の農家は一番最悪の状況を経験した。
だから後は、一番テッペンを経験したい。両方経験できるのは俺たちだけだからな。」
生きてやる。津波で亡くなった人の分も生きてやる。
そしてこの地域の子孫に伝えてやる。俺たちは生きていた、と。

何も終わっちゃいない。福島は今も昔と変わらず生きている。
KECKARAけっから。ついに本格復活! [2015年12月24日(Thu)]

KECKARA_03_広報用POP.jpg

2011年11月に「予告編」を発行、翌2月に創刊した気仙沼・唐桑のコミュニティペーパー(フリー)「KECKARAけっから。」!

「唐桑の人の夢と唐桑の人の夢をつなげたい」当時そんなローカルにこだわり、わたくし加藤拓馬が唐桑でまちづくりを始める原点となった企画です。

そして2012年7月発行「‪#‎2‬」から3年半の月日が流れ−−−

2015年ついに本格復活です!
12月20日「KECKARAけっから。‪#‎3‬」発行。目玉企画は「Special 2×2 Interview唐中女子×移住女子」。地元の中学生と移住者の対談を3頁にわたって記事にしました。一体どんな会話が繰り広げられるのか?
唐桑や気仙沼の商店に配置予定です〜。是非手にとって楽しんでみてください。

加藤拓馬

---

地域”協”育

今号のテーマは、「地域協育」。
ほとんどの地方がこのままじゃ消滅してしまう、と言われています。この唐桑も無人の半島になるという未来予報です。いよいよ転機を迎えつつある、そんな今の世の中、子どもたちに「教育」することなんてあるのでしょうか。
このピンチをチャンスを変えるためには、子どもたちと力を合わせて、私たちも一緒に育っていくしかないと思うんです。
「協育」とは、そんな意味を込めたちょっとした造語です。
とある山陰地域の地域づくり先進地で、こんな言葉を聞きました。

1年先を見据えて 花を植え
10年先を見据えて 木を植え
100年先を見据えて 人を育てる


また、ある人はこんなことを言いました。

彼らは「子ども」ではない。「未来の大人」だ。

100年先の大人のために、私たち今の大人ができることは何でしょうか。
KECKARAけっから。‪#‎3では‬、それを「移住者」という地域の新入りたちを通して考えてみたいと思います。

KECKARAけっから。編集部
(KECKARAけっから。‪#‎3冒頭より‬)

http://maru-office.com/
ついに宮城をPR!〜宮城県・広島県共同移住フェア〜 [2015年12月08日(Tue)]

《宮城をPR!東京の移住フェアに登壇します》

12月20日(日)11:00〜16:00
東京で「地方」について考える!なんだか流行ってきたのかも。
有楽町においでください。ブースも出してます〜

【宮城県・広島県共同移住フェア開催概要】
日時:12/20(日) 11:00-16:00
場所:東京交通会館カトレアサロン
住所:東京都千代田区有楽町2-10-1東京交通会館12階

≪プログラム≫
●トークセッション「東京から東へ、西へ。」13:00-15:00
日本を変えていく、新しい流れ。
若い世代を中心に、暮らす場所、働く場所として、宮城県や広島県といった地方への移住が大きな流れになるなか、「東京で暮らす人びとの空気感」を知る和田コ之さん、石巻で新たな人の流れを生むために「Reborn-Art Festival」の開催を目指す河合恵里さん、「よそ者」の視点を大切にしながら地域のために活躍する気仙沼在住の加藤拓馬さん、そして瀬戸内の島で、新たな「産業」を次々と興している井上明さんに地方への流れは本物なのか、地方で何が起きているのか、ズバリお話を伺います。
※トークイベントの定員は150名となっています。

〜コーディネーター〜
○ 小西威史さん 月刊ソトコト副編集長
〜パネリスト〜
○ 河合恵理さん (一社)ap bank 復興支援専任スタッフ
○ 加藤拓馬さん(一社)まるオフィス代表理事
○ 井上明さん 合同会社よーそろ代表執行役員
○ 和田コ之さん 釜a大地代表取締役
移住に役立つブースやイベントも同時開催!

●地域紹介・相談ブース 11:00-16:00
宮城県 気仙沼市雇用創造協議会、栗原市、宮城おおさき移住支援センター、七ヶ宿町、丸森町、加美町、ap bank、まるオフィス、ISHINOMAKI2.0
広島県 呉市、竹原市、三原市、福山市、府中市、三次市、庄原市、廿日市市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、北広島町、大崎上島町、世羅町、呉市御手洗(みたらい)地区、nextひろしま

当日参加も可能です。是非、ご参加ください!
https://miyagi-ijuguide.jp/event/1073

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唐桑小学校まちづくり授業 [2015年11月16日(Mon)]

唐桑小学校の6年生のクラスで「まちづくり」の授業をしてくる。

「地域の未来を考える」この授業。

「なかなか自由な発想で子どもたちが地域の未来を描けなくて。
まちづくりって実は分かりづらく、子どもたちにとってハードルが高いんです。そのハードルを下げてほしいんです」
という先生からのご要望。こりゃ楽しい!

「まちづくりとは、唐桑を元気にする活動でーす」から始まり、
一通り「からくわ丸」の活動紹介をしたのち、
「んじゃ、みんなも"まちづくり"やってみますか」と切り出し、
「地区&ご近所自慢大会!」を開催。

「地名、行事、人の名前…自分のじいちゃんの名前でもいい。とにかく『あるもの』を全部出してみて!多く出した地区の勝ちね」

石浜1-2 VS 石浜3&宿 VS 中&鮪立チームで競争。

すると、出るわでるわ。地区に「あるもの」。
黒板いっぱいに埋まる、唐桑に「あるもの」。
その数なんと5分で57個。驚いた。

151110_唐小まちづくり授業_1_light.JPG


−水俣の吉本師匠の教え−
「地域を元気にする『新しいもの』とは、あるものとあるものの『新しいかけ合わせ』のこと」
まちづくりは難しいことじゃない。

1.昔と今に「あるもの」を謙虚に調べる。
2.それを未来に活かす。

この2ステップの繰り返しだ。
「まちづくり」は決して何もないところから新しいものを生み出す作業ではない。

「お、早馬神社のお祭りとごだいのラーメンをかけ合わせるか。お祭りでラーメン出してもいいなぁ。二本杉にツリーハウスつくるか。怒られるか(笑)…でも楽しいなぁ。みんなで第二高松園にリンゴ売りに行くか?」

子どもたちが出したものを適当にかけ合わせる。

「いいな、それ!」
「それおもしろい!」
子どもたちも乗ってくる。
「ほら、誰と誰をかけ合わせる?」

まちを元気にするアイディアなんて無限に出てくるよ、って。
まちにはたくさんの「ひと」「場所」「物語」が眠っている。
それをどう自由な発想でかけ合わせるか。
それをしやすいのは「よそもの」はもちろん、実は「子ども」たちだったりする。

みんなだからこそ、まちのためにできることがある。

そんなことをペラペラ語った。
「子ども」もとい「未来の大人」たちと接すると、今の大人が元気をもらう。
唐桑と戦争A〜生きた教材〜 [2015年10月06日(Tue)]

つづき(前の記事はコチラ

8月19日、唐桑中学校と協力して、テーマ型まち歩きを実施した。
「戦後70年」というテーマで、中学生とまちの中を散策するという企画。
普段見過ごしている何気ない地域の資源にスポットを当てる「あるもの探し」という取り組みで、市の地域支援員の事業として企画し始めて3年目になる。
今回は、町内の「防空壕跡」を訪れ地域と戦争について考える、というオチなのだが、ただ連れていくだけではおもしろくない。
そこで阿部教頭先生と作戦を考える。

---

当日。快晴。なんと中学生16名が有志で参加。
「今日はみんなに『冒険・探検』をしてもらいます」私が言う。
中学生がどよどよっと顔を見合わせる。
阿部先生が口を開く。
「70年前に通じる『どこでもドア』がこのまちのどこかにあるらしい。
どこだべなぁ。探してみっぺ。さぁ行ってこい〜」
いきなり企画スタート。なんのこっちゃ分からない生徒もいるようだが、とりあえず班に分かれてまちに繰り出す。

一応、ちゃんと防空壕跡に辿り着くように様々なヒントを事前に用意している。
阿部先生と私が校庭に待機しているので行き詰まった班はヒントをもらいに来るように、と生徒たちには伝えてある。
さっそくヒントをもらいに来る班もいたが、先生は追い返してしまう。
「分からなかったらどうすんだ。まちの人に聞いたか?」
「…え?」
「さぁ、もう一度行ってこぉ〜」

中学生たちは自由に住民に聞き込みを開始する。
再度ヒントをもらいに来る。
「聞いたか?」
「はい!近所のお家で聞いてきました!」
「ほう。それで?」
「えーっと、なんだったっけ。敵の飛行機が飛んできて、…なんだったっけ」
「敵って誰のこと?」
「…いや…うーん。アメリカかな?たぶん」
なるほど。もはや相手が米国だったことすら「歴史」と化していることに驚く。
「メモとったのかぁ?」
「…いえ」
「なんでメモとらない?話しを聞くときは、メモをとらなきゃ。
もう一度行ってこぉ〜」
「え!またですか!?ヒントは…」
なかなかヒントを出さない阿部先生。

「生徒も教師も用意された教材に慣れ切っている。与えられた教材ではなく、生きた教材を自分たちの手で拾ってくることが大切だ」
阿部先生はわくわくしながら生徒たちの後ろ姿を見つめる。
おもしろい。
しばらくすると生徒たちは、私たちが用意していた「防空壕」という答えに限らず、いろんな当時の生の声、戦跡の存在を聞き出してくる。
「ほらほら、どんどん出てくる。おもしろいなぁ」阿部先生が一番楽しそうだ。

その日は1日かけて、地域の金鉱跡を活用したという防空壕、お宅の庭に掘った防空壕(当時のまま残っているのはかなり貴重!)を巡り、夕方に解散した。

「なんで今回まち歩きに参加しようと思ったの?」参加した中学生ひとりひとりにヒアリングする。
おもしろい答えが返ってくる。
「お母さんが『唐桑には何もないなぁ』ってよく言うから。本当に何もないのかな?と思ったんです」
こりゃ参った。大人の悪いクセかもしれない。
「将来のために活かせると思ったからです」将来って?「将来の夢はツアーコンダクターなんです。なので地元のことを知っておきたいと思って」
そりゃすごい!ツアーコンダクターなんて言葉が出てくるとは。思わず嬉しくなる。

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後日、生徒の感想文を読む。
「戦争」についての言及と、それを丁寧に話してくれた地域の「人」についての言及が多い。
その中にこんな一節があり、目を見張った。

「唐桑は何もない所だと思っており、あるといっても海とか山とか、東京とかのようなスカイツリーとかもなく、いなかだなあと思っていました。

しかしそれはとかいのものがいなかにないだけでした。

いなかのものはとかいにはないはずです。」

「生きた教材」がここにはまだまだありそうだ。
唐桑と戦争@〜当時の声〜 [2015年09月16日(Wed)]

安保法制が大詰めを迎えているタイミングだからという訳ではないが、戦後70年について。
この夏、唐桑中学校の阿部先生のおかげで私は「唐桑と戦争」というテーマに初めて触れることとなった。
都市部では焼夷弾による空襲が多かったが、地方は主に機銃掃射によるピンポイントな攻撃を受けることになる。
以下、唐桑のとあるじいちゃんからご自宅にて空襲(機銃掃射)について伺ったときのセリフを、そのまま文字おこししたものである。
ここにも戦争があった。

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毎日逃げる準備はしてんのよ。

陽あたって、このようなときは、外にはね、人がいても、絶対出ねぇんだ。
ところがあそこ、馬、おらい(家)で飼ってたから、
おれのじいさんは、“みの”で−藁でつくった−、それを着て、草刈りすんのよ。
馬さ(草を)食わさなけりゃわかんねぇから。

んで「おれは死んでも何しても、生き物は、かせなくてわかんねぇ(餌を食わせないといけない)」って(言って)、
(空襲で)おらが逃げているときにも…
…あれさ、ここでなく、あっちに逃げたときだなぁ…
上のそこのところで、機銃掃射(で)(中井)小学校がやられたとき、ここ(が)やられたような音(が)した訳だ。

ほでぁ、ばあさんが「もう、ずんつぁま(じいさま)やられてしまったなぁ」って。
ほで涙流しながら、山をあがって、そこさ来て見た訳だ。
ほしたれば、「なんだが動いてんのいるなぁ」と思ったっけ、
(じいさんが)着てた“みの”をこう着て、こうして(かがんで)すくだまっていたった。動かないで。
んで「ずんつぁま生きてたぞー」って(ばあさんが叫んだ)。

動くもの(が)あったらもう皆やられんだもの。
猫でも。猫でも撃たれたってたんだから。犬だの。

―Q:どうやって攻撃してくる?
なぁにや、艦載機だから、飛んであるいて、まわってるうちに、
銃が…見たものはなんでも、銃を下げて撃ってきたのさ。ばばばばっと。
だから、こういうとこ(陸地)を撃つよりも、水さ撃てば一列に弾がずーっといって(水面に走るのがよく分かる)。

んだから、絶対逃れられなかった。
んだから、動いてる姿は絶対見せられねかったのよ。

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8月19日、唐桑中学校と協力して、テーマ型まち歩きを実施した。

つづく
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