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2015年の漢字一字 [2015年01月03日(Sat)]

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


さて、今年の漢字一字を抱負として正月に発表するコーナー。

2012年「躍」(記事リンク:「タッペが怖い今年もどうぞよろしく。」

2013年「忍」(記事リンク:「もうすぐ春」

2014年「帆」(記事リンク:「2014年の漢字一字」

「追風吹けども帆無くして前進無し。(中略)
前に進むために必要なものを積極的に獲りに行く年にしたいです。
それが帆です。周りから吹き込むいろんな風をしっかり受けられるような大きな帆を張りたい。(中略)
私にとって最も大きな変化が待っている年が始まります。
春が待ち遠しいです。」
1年前にこう記してあります。

2014年は、結婚という大きな変化を経験した一年でした。
妻をもったことで、かなり強くなりました。
骨太になれた。どしっと構えねば、と思えた。
実際、だいぶ太りました。2014年は「太」だったかも。

2014年は、気仙沼・唐桑で活動していくにあたっての大きなヒントを得た一年でもありました。
私が「いなか」で何を目指したいのか、少しずつ骨格ができあがってきました。

今年は新しい事業を2つ考えています。
今年は張った帆に風を集め駒を前に進めたいです。

「攻」

2015年4月でついに唐桑に来て4年。
それは、大学4年間の東京滞在期間を超えるということです。
2015年4月には新しい仲間が唐桑にやってきます。
いよいよ攻める年がやってきました。
一か八かの2015年。

粉骨砕身、働きます。

2015.01.01 加藤拓馬
年賀状2015.jpg
本年もお世話になりました。 [2014年12月31日(Wed)]

今年もあと半日。
1年間大変お世話になりました。

今年は人生初の東京で年越し。
来年は3日に唐桑に帰ります。ばりばり働きます!

2015年の遠東記もどうぞお楽しみに。

加藤拓馬
続・カセツの話 [2014年12月29日(Mon)]

つづき(前編:https://blog.canpan.info/entoki/archive/187

唐桑にある仮設住宅の談話室に向かった訳は、クリスマスパーティー。
お世話になっている会長さんから招待されたのだ。

20人くらいはいるだろうか。かなり盛況の様子。
からくわ丸の大学生・元大学生は、サンタとトナカイの格好で登場する。
久々のえま・いつこコンビだ。加えて、私たち夫婦も強制的にサンタに。
わいわい。拍手拍手。
ばあちゃんは座椅子に座り、身を乗り出し大声で笑う。おばちゃんたちがなめこ汁を振る舞ってくれる。
おじいちゃん、お父さんたちは既に顔が赤い。

歩き始めたばかりの赤ん坊が入ってくる。
歓声があがる。「ほれほれ、ばあばだよ!こっちさだいん〜」ばあちゃんたちが水を得たように手を叩く。
血がつながってなくとも、このカセツのみんなの孫。
本日の主役です。

歌に合わせて踊り出すおっちゃん。
「彼は宴会部長なんだ」と会長が笑う。
その隣の漁師さんは演歌「兄弟船」を披露。「おめぇそんなに歌っコ、うめかったのか!」と隠れた才能に周りが驚く。
また、ハーモニカを吹くおじいちゃんがいる。「聖しこの夜」を独奏してくれる。これまた拍手喝采。
みんな芸達者。

私の隣に座っていたのは仙台の大学から来ていた先生。思わず彼女がため息をつく。
「なぁんか、大っきな家族みたいですね」

8時になると、会長が音頭をとる。
「はいはいここで、中締めしたいと思います。最後に『蛍の光』を演奏してもらいましょう」
するとパチっと電気が消されハーモニカじいさんがまた奏で始める。

合唱が始まる。


いつしかとしの すぎのとを
あけてぞけさは わかれゆく

写真 (33).JPG

カセツに3年半。
進まない復興事業に対する不満と同時に、一種の愛着が湧くには十分すぎる時間だ。

いつしか
「あぁ、あんときはいがったなぁ」
と皆が嘆かないよう、これからが勝負所であることを書き留めておく。
メリーカラクワス [2014年12月28日(Sun)]

メリーカラクワス。

と名付けられたクリスマス企画は、
2014年12月25日なんと4回目を迎えた。
毎年、地域の子どもたちを対象にクリスマスを楽しんでもらおうと大学生が企画する。
毎年、燦さん館をお借りし、
毎年、唐桑の3小学校から50〜80人の子どもたちが集う。
サンタさんが登場して、いろんなゲームがあったり、ワークショップがあったり。

2011年は、日本財団学生ボランティアセンター(Gakuvo)の派遣大学生らが。
2012年は、その大学生らがつくった学生団体「アシタカ」が。
そして2013年、2014年は、その流れを汲む「からくわ丸学生部隊・広島部隊」が。

フェリス女学院の学生は「VIVO」というサークルをつくり、コンサートを毎年聞かせてくれる。
横山さんという方が毎年子どもたちに配るお菓子を提供してくださる。

「4年」と書くと2文字だが、続けることは容易ではない。

今年もやるの?
来年もやってね。

そういう声を子どもや親御さんから聞く度、学生の企画に頭が下がる。

PC240513.JPG

(写真は2012年)



---

私は毎年ヒヨコ(アヒルらしい)の着ぐるみを着るのが定番。
毎年、同じ衣装を高松園さんに貸して頂いている。
普段でもまちなかで「お!ヒヨコじゃん」と小学生に声をかけられるほど。

今年もヒヨコの格好をして、燦さん館の玄関で子どもたちの迎えをしていると、
とある小学校高学年の子が開口一番
「んー、なんか今年はリアリティに欠けるネ」
と言う。


それはおめぇが1年成長したからだよ。


流れる時間を感じ、思わず苦笑する。
カセツの話 [2014年12月27日(Sat)]

「やっぱ気仙沼はまだまだカセツ埋まってるね」
とある国営放送の宮古(岩手県)担当に大学の同期がいる。彼が久々に唐桑を訪れた。
「宮古のカセツは場所によっては半分くらい抜けたところもある。
住民は寂しがってるよ。お茶っこする相手が減っていくって」

仮設住宅を出て自宅を自力再建する人、もしくは公営住宅の完成とともにそちらに移る人。
まちによっては、仮設住宅生活を終える方が続々と出てきた。
しかし、気仙沼は公営住宅がなかなか建たないため、まだまだ仮設生活は長引く。

震災から4年弱、自力再建できる人が減ってきた。
そもそも高齢化、後継者不足で「今さら家を建てても…」という年配の方の声も聞く。結果、公営住宅希望が増える。

ちなみに、災害公営住宅の計画戸数は、宮古市で約800戸。
他の岩手県の主な被災市町−山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市は、軒並み1,000戸前後の計画である。
それに対し、気仙沼市2,200戸。仙台市3,200戸。石巻市4,000戸。(三陸新報H26.2)
被災3県合わせてトップ3の計画戸数だ。
さらに、石巻、仙台と比べると平地の少ない気仙沼は山を切り崩すところから始める団地が多い。
「気仙沼は遅い遅い」というが、行政や建設会社が頑張ってない訳じゃない。
条件が悪い。

ドデカい公営住宅アパートがそびえる陸前高田市。
ある職員さんは言う。
「公営住宅に入ったら、人と会わなくなる。
今までは仮設住宅で壁も薄かった(ハード的にも心理的にも)。
それが今じゃ(アパートの)立派で重い戸を開けなきゃ外に出られないでしょ。

『あーカセツの方がいがったなぁ』って言う人もいるんだよなァ」

仮設住宅を出て、次に行く先は終の棲家。
神戸(阪神・淡路大震災)では災害住宅での孤独死が社会問題となった。
「仮設住宅からの退去=コミュニティ崩壊」に、なっちゃいけない。

福祉関係・地域づくり関係者は一丸となって、コミュニティづくり支援を始めている。

---

同期の彼と別れて、その日は珍しく唐桑の仮設住宅の談話室を訪れた。

つづく

(後編:https://blog.canpan.info/entoki/archive/189
アワビの開口 [2014年12月11日(Thu)]

12月8日。
5時30分、美帆に「5時半だよ」と起こされる。
5時40分、センパイから電話。「あ、ちゃんと起きてだ?」
5時50分、車に乗り込む。フロントガラスが凍って前が見えない。こりゃ遅刻だ。
暖房でフロントを溶かす間に、車に置いていた缶コーヒーをカシャっと開けて口に運ぶがコーヒーがちょろちょろっとしか出てこない。あれ。
んげ…凍ってる。車が表示する外気温は「-3」。
6時過ぎにセンパイ宅到着、トラックに乗り換えて、すぐ下の港に降りる。トラックには何メートルもある竹の竿「カギ」が載っている。

唐桑に来て3年と8ヶ月、ついに初の「開口」見学が始まった。

開口とは、漁の解禁のこと。ウニやアワビなど海の資源を守るために漁協が設定する。
ヒジキやマツモなど雑海藻も開口品目になっている。ツブ貝も。漁業権をもった人でも、磯にあるものは基本魚以外勝手に獲っちゃダメと思っていい。まぁ決まりはあくまで決まりなんだが。
特にウニ・アワビについては漁協が開口日を指定するのだが、年に何度もない上に朝の○時〜○時と決まっており、その数時間は海が戦場と化す。

しかもその開口日は前日に組合員(要は漁師)知らされる。海の状況次第なので事前にまとめて設定することはできない。漁協の有線放送からお知らせが流れてくる、という。
つまり、養殖漁師ではなく漁船漁業の漁師にとっては、運悪く開口の日に漁で沖に出ていればアウトだ。
と言っても「今年はあと3回開くらしいぞ」「おそらく来週頭だな」などだいたい町民たちは情報をシェアし、予想をしている。
「開口が開く」という不思議な表現を使う唐桑の人たち。胃痛が痛い、みたい。町内に星の数ほどいる組合員は、開口の知らせとともに臨戦態勢に入る。
今回見学に行ったのは、冬の高級品、アワビの開口だ。

浜に着くと、漁師たちがせっせと船外機の上で漁の準備をしている。
みんな寡黙で、よくて「おはようございます」の一言を交わすくらい。
なんだこの空気。

「船外機」と呼ばれる小漁用の一番小さな船(厳密には船の後部に装着してあるエンジンのことを指すのだろうが。)に乗り込むのは、センパイのお父さんとセンパイと私の3人。
私が合羽(カッパ)を着ている間に、センパイのお父さんが凍り付いたエンジンと格闘。「新品なのにこれだもんなぁ」と苦笑している。仕方ない。寒すぎるんです。

ブロロロロと、ひ弱な音を立てながらようやくエンジンが起きる。
「カギ」を載せ、「カガミ」を載せ、普段は見ない「スラスター」が載せられる。
我々の準備もほぼ完了すると「さぁ戦場になるよ」とセンパイがたばこの灰をぽんっと落とす。
なるほど、和気あいあいとなんてやってられない。みんな目がギラついている。

船を走らせていると、ちょうど御崎の岬から日が上がる。
唐桑半島の海の守り神は、半島の一番先端の御崎と、半島を見渡すことのできる早馬の山にいる。
神々しいくらいの朝日。空が紺色から橙色、そして白へと移る。

解禁時間は7時から9時までの2時間。
なので7時の前には出港し、場所を確保、スタンバイする。
海は広いが、みんな特定の岩場の脇にわらわらと狭そうに船外機を並べている。
なるほど、みんな獲れる場所を知ってるんだ。
お父さんもじっと目を細めて場所を吟味しているようだ。
そうして私の腕時計で6時59分ころから、カギが海に対し垂直に立てられ始める。
一斉にみんなが船から身を乗り出し、海をのぞき込む。

ウニ、アワビは一体どうやって獲るのか。

つづく
たくらみ [2014年12月10日(Wed)]

遠東記がさっぱり更新されない、と地元の人に注意される。
ありがたい。
「第四章」が始まって1年半以上が経つ。第五章が見えてきた。

−−−

「たっく、ごめん今沖から帰ってきたばりだ」

いいっすよ。あったかい缶コーヒーでも買って浜いきます。

と電話。
そのまま仕事を早めに上がって、唐桑のとある浜に降りていく。

カッパ姿の若手の漁師さん2人。
海から数メートルのところに建つ工場?番屋?の中で、3人で作戦会議が始まる。
左手はたばこを持つためかじかむ。右手はペンを持つためかじかむ。
「ユウギョっていくらくらいっすか」
「2月って作業は何でしたっけ」
「んで、オカでソギカタすんのいいっすね」
話は進んだり、逸れたり。

ガタガタと外でフォークリフトの音がする。
先輩の漁師さんが来たようだ。
「あー、来たぞ。『おめぇだづ、なぁに悪だくみしてんのやぁ』って語られっぞ、これ」
と若手の2人はにやにや。

先輩の漁師さんもよく知った御仁だ。
「どーもです!」挨拶する。
先輩は入ってきて3人を見るなり、
「おめぇだづ、ナニたくらんでんのや」
と低い声で一言。

思わず3人は笑う。

最近、すっかり漁師さんと「作戦会議」もとい「たくらみ」をすることが多くなった。
唐桑も初雪が降った。
4℃ [2014年11月04日(Tue)]

「4℃」

ジュエリーではありません。
まちのところどころに立つ気温計が点滅して示す今夜の気温。

ついに冬がやってきた。
夜9時半に「ば!ば!ば!プロジェクト」の定例会が終わり、帰路の途中。

高石浜団地の丘を越えて下り坂に入ると、南東の水平線にずらりと漁火(いさりび)が並ぶ。
何度見ても何年見ても、幻想的なイカ漁の灯。
大きな大きな大陸が海の向こうに横たわるような錯覚は、今も覚える。

家(アパート)の前に着き、そのまま車からミラーレス一眼を持ち出して、馬場浜の方に向けて固定し、シャッターをカシャーーーっと数秒間開けっ放し。
その間は寒さで手が震えるのを圧し殺す。出来を確認してニヤニヤする。

海の漁火と空のオリオン座が冬の到来を物語る。
PB047401.JPG
指圧とまちづくりの極意 [2014年10月21日(Tue)]

たしか2011年の話。

指圧もやっているまちの歯医者さん、あきら先生ととある飲み屋で一杯やっていた。
あきら先生が語る。
「指圧はね、強引に押すだけじゃダメ。
相手から伝わる抵抗とこっちの指の力がちょうど釣り合うところを探し、」

親指を立てて、下に向ける。
「そこを見つけたら、そこからゆっくり、ぐーーっと押していく」
じわりじわりと指を下げていく。
それが指圧の極意。

話を聞き終えてはっとする。
なぁるほど。酔いのまわった私は唸る。
復興のお手伝いも一緒だ。
復興支援の名に下に、強引にこちらのやりたいことを地元の人に押してつけてはいないか。
地元の人のエネルギー、こちらのエネルギーがちょうど均衡する点をまず模索することが肝要。
押すなら、そこからが一番効く。
押しても押しても一向に効かないときがあるのは、そういうことか。
効かないどころか、地域に「もみ返し」を起こす。

2014年。
まちづくりも一緒だ。人との付き合い方も一緒だ。
今もたまに思い出して大切にしている言葉なので書き留めておく。
子ども企画と2人の学生 [2014年09月25日(Thu)]

8月のまとめ。

今年の8月は真っ黒に焼けた。
地黒な私が陽に焼けて皮が剥けるなぁんてことは滅多にないのだが、今年は鼻が「脱皮」した。

その理由が「子ども」。

市役所の仕事でも中学生と一緒にまち歩き、
中井公民館の事業で小学生たちと遊ぶ、
からくわ丸で小学生対象の企画が盛況、
休みの日に松圃虎舞で仲良くなった小学生を連れて釣りに行く、磯遊びをする…

こんなに唐桑の子どもたちと顔を合わせる機会はこの3年半で始めて。
だんだん、顔と名前が一致してくると意外とハマってくる。
名前を呼ぶことができる。コミュニケーションがとれる。叱ることもできる。
こいつらが将来このまちを担っていくんだなぁと思うと嬉しくなってくる。

これにはルーツがある。

渡辺国権と中内祥子、という2人の学生。
2人は大学を休学して1年間唐桑に常駐、からくわ丸を一緒に立ち上げた仲間。
教育学部だった彼らは最初から子どもに対しての活動が軸にあって、小原木小学校の現場に入りながら、いろんな企画に顔を出していた。
正直、私はありがたいと思いはするものの、当時興味がなく、中井キッズクラブの企画だ夏休みの自習教室だなんだと一度も顔を出したことがなかった。

そんな彼らが常駐を終えるときに遺してくれたものが2つある。
1つ目は、2013年3月5日という日。
からくわ丸のホームで一大ワークショップを開いた。
3月でよそ者がほとんど帰京し、次年度から地元じゅんちゃんを代表として「地元メンバー主体」に生まれ変わる新生からくわ丸は、何を主に活動していくのか…それを考える必要があった。そのときに出てきたのが「子ども」というキーワードだった。
そこで議論の叩き台として、2人が中心となって取り組んできた子ども対象企画を1年分全部紙にまとめてくれた。

それを見ながら「子どもと思いっきり外で遊ぶことなら、俺らにも楽しみながらできるよね」と、からくわ丸の地元メンバーは意気込む。
釣り、磯遊び、虫とり…付せんがどんどん貼られていく。
「俺ら世代は、自然の中で走り回った最後の世代、いわばデッドラインだ」
30間近のじゅんちゃんが言う。海に飛び込み、貝を潰してえさにして魚を釣り、山の中を駆けた。ポータブルゲーム機が遊び道具の主となった今の子どもたちが忘れかけているものを自分たちはもっている、という自信が彼らにはあった。

「地元の若い兄ちゃん姉ちゃんが地元の子どもと接する機会なんて、どの地域でもほとんどないよねェ」と私もわくわくする。「そこに地元のじいちゃん、ばあちゃんも参加してもらおう」
地域密着にこだわった多世代交流の姿。

ワークショップは大層盛り上がった。
サラリーマン中心の地元メンバーでも、楽しみながらまちのためにできることがある。それを示唆したワークショップとなった。

2つ目、後輩。
特筆すべきは、しょうこの後輩。広島大学のしょうこは、常駐当初から大学の後輩をじゃんじゃん唐桑に連れてきた。
それは、「からくわ丸広島部隊」という学生団体となり、今も「そっちチルドレン」が大勢唐桑にやってくる。(そっち=しょうこの大学でのニックネーム…らしい)
そして、今年から「ふるさとからくわいなか学校」というイベントを運営してくれている。今夏は、かっつたち地元メンバーと企画運営。なんと町内の小学生30人が集まって、2日間思いきり唐桑で遊ぶという一大企画になった。
P8236506.JPG


今も小原木小学校には、じゅんちゃんや私がゲストティーチャーとして呼ばれ、ふるさと学習のお手伝いをさせてもらっている。
唐桑中学校も然り。教頭先生と一緒にワークショップを企画し、子どもたちにまちについて考えてもらう。
中井小学校の校長先生とのお付き合いも最近生まれた。
そして何より、岡崎真弓がしっかり彼らの想いを引き継いでくれている。
輪は着実に広がっている。

気づけば私の活動に対するモチベーションのひとつになっている。

2人が蒔いた種が土の中から芽を出した。
実を結ぶのはまだまだ先。
2人といつかまた一緒に仕事をしたい、と願う。