伝説のカンパニー(秋のまとめシリーズ2) [2011年12月16日(Fri)]
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「若いヤツらで何かできるんだ。それを年寄に見せてやろう」
佐藤元町長(唐桑町最後の町長)が言う。ここから始まった。 --- 9月も近付き、すっかり夏が退いたころ、馬場さんから興味深い話を聞く。 「臨海劇場」という劇場、そして「まちづくりカンパニー」という会社の話だ。 そこで、佐藤元町長のところへ亮太と話を聞きに行った。「昔のことを語るのが最近イヤになってきた」と言われつつ、喫茶GIGIでいろいろと語ってくれる。 20数年前、バブル末期。私が生まれたころ。唐桑で「遠洋漁業がダメになりつつある」時期。 自分たちの町を見直すために、唐桑の若手が立ち上がった。 その名も「臨海劇場」。小鯖の港で、大漁旗を縫い合わせテントをつくり、そこで劇を披露した。テーマは漁。200〜300人が集まり、年配の方は昔の唐桑の漁を思い出し、涙を流したという。 そこで主役を演じていたのが、なんと馬場さん。 盛況だった臨海劇場を数年やった後、実行委員は、夏だけのイベントという一過性でない形を模索した。 こうして誕生したのが、「まちづくりカンパニー」。唐桑の町興しを目指す会社だ。今で言う町づくり系NPOに当たるのだが、当時はNPOという概念がなかったため、株式会社とした。 非常に先駆的な活動としか言いようがない。それが唐桑にあった。 しかも、そこにハマって(参加して)いたのが、馬場さん、GIGIのマスター、元町長などなど、現在唐桑では超有名人ばかり。 事業は唐桑の海産物を主としたPR。「お魚クラブ」では仙台まで唐桑の魚を配達した。魚のおろし方講習もやった。「唐桑○○マップ」なる冊子を作成し、唐桑の魅力、浜、技、人物…をそれぞれ紹介した。その他、唐桑のPRを数多くやった。 ゴールは?と聞く。 「競争でない町づくり」と佐藤さんは答える。「日本全国が競争すればどうなるよ」 「ウチはウチ、個人個人でなく、町全体をよくするという意識が町づくりには欠かせない」 しかし、数年で採算が合わなくなってしまったカンパニーは、結局解散する。 「町全体を巻き込んでやれば、もっとよくなっていただろう。商工会とはつながっていたが、行政とはつながっていなかった」と反省を語る。 「発信しか頭になかった。でもこれは“求心”だ」 詳しく調べて、またじっくり紹介したい。来年のタスクだ。 --- カンパニーは知る人ぞ知る、唐桑の伝説。どの人に聞いても、懐かしそうに、どこか楽しげに話してくれる。 「じいじ(馬場さん)、一緒にもう一度カンパニーやりませんか。」 この株式会社という発想、実はNPOブームを越え、近年注目を浴びている「ソーシャル・ビジネス」に近い。 「いやもう、俺らは一線を退いた人間だから」と馬場さんに断られる。 でも、そこに馬場さんの夢があった気がしてならない。 いや、ここに「何か」…唐桑のすばらしき復興のキーとなる「何か」が絶対隠されているはずだ。 20年前と今とで、断然に違うのは、インターネット。それを使えば、まちづくりカンパニーが為し得なかったことが可能になるかもしれない。 そんなことを考えながら、秋になった。 同時に高台移転の話も進む。 10月になり、みっぽとみなみが帰り、残ったオレと亮太は最後の「ガレキ撤去作業」調整の日々へと突っ込む。 |




