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ハンセン病と津波・原発 [2011年12月14日(Wed)]

私のこの活動を語る上で必要不可欠なもの、それは「ハンセン病」だ。

「らい菌」による感染症なのだが、その菌の毒性は極めて弱く、故に感染経路すらはっきりしてない皮膚病だ。それにも関らず、世界中で、紀元前から忌み嫌われてきた病だ。
近年になり、ようやくその治療法が発見された。人類にとって大きな発見だった。
しかし回復した今なお、差別と偏見が続く。

特に近代日本における差別は劣悪だった。国が扇動する形で、患者だけでなく患者の親類までをも徹底的に社会から排除した。旧称「らい病」は今は差別用語である。
人類はその歴史を知る責任がある。おおげさに書いているようだが、こんな言葉では足りない。

詳しくは後々覚悟が決まったタイミングで書いていく。

この「遠東記」というタイトルにも、「唐桑」にも深く関わる。

---

先日、ハンセン病首都圏市民の会に参加してきた。
そこに、あるハンセン病回復者が震災後4月に発した言葉を知った。

「ある日突然、家を失い、家族を失い、友人を失い、故郷を失う…。

状況は違うが、すべて私が体験したこと。

あの人たちの悲しみは、私の悲しみだ。」

(四月 ハンセン病交流集会にて 回復者)

(引用:酒井義一氏作成資料 2011.12.11より)

---

同じだった。
繰り返す。くるくる、くるくると。
【第二章 まちづくりへ(11.10-12.4)の最新記事】
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コメント
いやなんかこっちこそすまん。
ふっかけた感じになってしまって。

俺が逆の立場ならキレている(笑)

またまた
Posted by: 山口大我  at 2011年12月21日(Wed) 07:26

分からない。あげ足とりの子どもの口ケンカのようになってきたから、もうやめよう。

自分の立場はまだ分からない。それは、追々ついてくる名前みたいなもんかな。まぁそれで分かりづらい主張になってるんであれば、それはどうしようもない。こいつを読む間の君の時間を無駄にしてしまった。スマン。

「無知」が悪いんじゃないよ。無知から生まれる「モノ」のことを言ってる。

では、またまた。

加藤
Posted by: 加藤拓馬  at 2011年12月19日(Mon) 11:34

あれ、2つコメントしたつもりだったの1つ目が反映されとらんかった。

一つ目に聞いたのは

大衆というのは
そもそも責任感も当事者意識もないものであるということ

それはもう
「大衆」という言葉の定義レベルで

「人類はこの歴史を知るべきだ。そんな言葉では足りない」
という君の語り口そのものが既に大衆扇動だと思うということ

そしてさっきのコメントにいくわけだが
まとめると聞きたいことは以下の2つ


@なぜ全ての人間が無関係ではなく当事者なのか
君の言う「無知」であってはならないのか

Aそもそも君はどういう立場の人間なのか
この問題をどうしたいのか


が分からないので、返答してもらえるとありがたいです
Posted by: 山口大我  at 2011年12月17日(Sat) 08:14

付け加えるというか、より僕の疑問の本質なのだが

君の立場が読んでいる限りさっぱり分からないのだ。

もし君が
人権擁護団体や宗教団体に所属している人間で

大衆批判しつつも
結局は大衆の支持により何らかのイデオロギーを広めたいなら

納得はいく。
全然悪いことだとも思わない。


もしくは
大衆の存在を前提とした近代社会を批判する研究者として

大学の教授職などについている
教育者でも納得はいく


あるいは
大衆の存在はもう前提として

自分の思う良い方向へ大衆を導いていきたいので
政治家や政府の官僚、もしくはマスコミなどを目指しているとかでも分かる


結局君はどういう立場の人間で
この問題をどうしたいのか

その表明もなしに
自分は負を背負わない何者でもない立場から

啓蒙活動のように
「人類はこの歴史を知るべきだ」


と主張してても
納得できるものではない


君はネットを公の場というが
僕は日記については半私半公の場と考えている

だから君もこうやって意見が主張できるわけであろう

会社や大学の公式ホームページで意見が主張できるか?


つまり
誰が何を言おうと自由なのだから

普通なら僕も無視して終わりなのだが
昔から知り合いの人間ということで個人的に興味があったから、遠慮なく聞かせてもらった

面倒くさくて申し訳ないな。


そこまで言うなら何か根拠があるのだろう
と思ってな

ないなら別に返答しなくても大丈夫だよ


Posted by: 山口大我  at 2011年12月17日(Sat) 07:56

コメントには返信しないようにしているのだが、大我に送る。

>原因不明の感染症だった時代の人々の判断や認識をも今の人間の感覚や感情で裁く

隔離が悪ではない。大我の言うとおり、原因不明の感染症ならば、隔離は必要だし、当事者にとって保護にもなる。
私が反省の対象としているのは、「医学的に外来治療で問題ない」と判明した後も、強制隔離が続き、仮にも療養を謳う所内で非人道的な処置がとられたこと。
子孫を残さないよう、断種(精管を断つ)、それでも妊娠してしまった女性に対しては強制中絶。病状を悪化させる強制労働。それを法で認めていたこと。そこに無関心だった世論。
それは「気持ち悪い」と言うこととは比にならない。

その反省は、今後の社会に活きるからこそ、私はハンセン病を学んでいる。昔の感覚を裁くことが目的ではない。

>君は
「あいつは差別意識が強く、偏見で人を判断する人間だ」
と逆差別してはいないだろうか

差別する者を「批判」することと、「逆差別」は根本的に違う。君は「差別」を分かってない。「いじめ」「嫌がらせ」のレベルで考えている。もちろん、これらも悪質なものだが、「差別」の根はもっともっと深い。
差別は、無知から生まれる大衆の暴走だ。
それを、「批判」「反省」とごちゃまぜにして、まるで私の意見には根拠がないように言うのは、失礼だ。

>シンポジウムなんかやってないで

薬物中毒でタバコふかすロックンローラーがカッコいいとされた時代があったように・・・

君は社会問題というのを考えたことがあるのか。浅い人間ほど、「ユーモラスな切り口」を謳うが、それは本当にユーモラスなのではなくて、大衆受けしか考えていない浅はかな思考だ。本当に問題の根源を見極めてこそ、「ユーモラス」な切り口が可能であり、そのためにはまず謙虚にシンポジウムなどで当事者の意見を聞く必要がある。
「シンポジウムなんか」というが、なぜそれをネットという公の場で発言するのか。本当に真摯に謙虚に活動する者を侮辱して、何が楽しいのか。
君は、ハンセン病の歴史の何を知っている?知らないのであれば、このような場での発言は控えてほしい。

君はマイノリティ問題を知ろうとしていない。自分は知る必要がない人間だと思っている。

以上です。加藤拓馬
Posted by: 加藤拓馬  at 2011年12月15日(Thu) 15:37

差別と偏見
と簡単に言っても

人間みな
差別と偏見がないと生きていけないのではないでしょうか

無くせば良いというものでもないし
そもそも無くなるものではない

確かに医学の進歩によって治療法が開発された現在でもそのような認識を持つのは、良くないことであると思う

しかし原因不明の感染症だった時代の人々の判断や認識をも今の人間の感覚や感情で裁くのは、それこそ傲慢では

だいたいにおいて、感染力も低いし毒性が弱いうえに治療法も発見されてるから
→差別や偏見は悪

とはならないだろう
人間は科学的根拠だけを判断材料にしているわけではないはず

デブでハゲの男を
「気持ち悪い」と思う女がいたとして

良い悪いは別にして
誰がその女を責めることができるのか?

ハンセン病に対し強い差別や偏見で蔑視する人間がいたとして

君は
「あいつは差別意識が強く、偏見で人を判断する人間だ」
と逆差別してはいないだろうか

本当にハンセン病に対する差別や偏見を何とかしたいなら
シンポジウムなんかやってないで

薬物中毒でタバコふかすロックンローラーがカッコいいとされた時代があったように

ハンセン病フェスティバルでもやって
若者が「ハンセン病ってカッコいい!」

と思うぐらいに持っていって初めて
ハンセン病への差別や偏見がなくなったと言えるんじゃないだろうか

本気で変えたいなら
感情じゃなくて
論理とユーモラスな切り口が必要だと思う

特に詳しくもない人間が偉そうに口を挟んで悪かった
Posted by: 山口大我  at 2011年12月15日(Thu) 03:31