蟷螂か蜘蛛 [2012年04月15日(Sun)]
活動記録である遠東記を整理していると、未公開のままのこんな記事が見つかった。
9月に書いたものだった。 全ての活動が、真逆の2つの結果を両立させる。「矛盾」による葛藤。炊き出し、物資、イベント、仮設住宅支援、高台移転、そしてまちづくり自体も。 そんな気がして悶々としていた頃だ。 --- 夏の終わりを感じさせる夜。 ぶおっと何か宙を舞い、クモの巣にかかる。大きめのカマキリだった。 カマキリがもがく。 とっさにカマキリを助けようと、なんとなく手をのばす。巣の主がさーっと逃げる。 …なんとなく手をとめる。 カマキリを助けると、カマキリは助かる。当たり前だ。カマキリに感謝されるかもしれない。 ただ、クモには「こんちくしょー」と言われるだろう。 いやそれ以上に、クモにとっては久々の獲物かもしれない。最近、エサがとれなくて死にそうな状態かもしれない。念願のメシ。それを、オレがぱぱっと取ってしまっていいものか。 一方、カマキリにも今死ねない事情があるかもしれない。これから出産かもしれない。 「あぁカマキリが可哀想」という薄っぺらい気持ちで、手を出すのは簡単だ。ただ、両者ともに生死に関わることだ。 そもそも、クモは気持ち悪い見た目?だから、「悪役」という偏見がそこに働いている。 しばらく、そこで悩み込む。 どちらかに肩入れすれば、どちらかのひんしゅくを買う。どちらかの正義は、どちらかの悪になる。逆も然り。 何かが絶対的に正しい、なんてことは絶対にない。 これは、私がこの半年ここ被災地で学んだことだった。 |