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唐桑と戦争A〜生きた教材〜 [2015年10月06日(Tue)]

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8月19日、唐桑中学校と協力して、テーマ型まち歩きを実施した。
「戦後70年」というテーマで、中学生とまちの中を散策するという企画。
普段見過ごしている何気ない地域の資源にスポットを当てる「あるもの探し」という取り組みで、市の地域支援員の事業として企画し始めて3年目になる。
今回は、町内の「防空壕跡」を訪れ地域と戦争について考える、というオチなのだが、ただ連れていくだけではおもしろくない。
そこで阿部教頭先生と作戦を考える。

---

当日。快晴。なんと中学生16名が有志で参加。
「今日はみんなに『冒険・探検』をしてもらいます」私が言う。
中学生がどよどよっと顔を見合わせる。
阿部先生が口を開く。
「70年前に通じる『どこでもドア』がこのまちのどこかにあるらしい。
どこだべなぁ。探してみっぺ。さぁ行ってこい〜」
いきなり企画スタート。なんのこっちゃ分からない生徒もいるようだが、とりあえず班に分かれてまちに繰り出す。

一応、ちゃんと防空壕跡に辿り着くように様々なヒントを事前に用意している。
阿部先生と私が校庭に待機しているので行き詰まった班はヒントをもらいに来るように、と生徒たちには伝えてある。
さっそくヒントをもらいに来る班もいたが、先生は追い返してしまう。
「分からなかったらどうすんだ。まちの人に聞いたか?」
「…え?」
「さぁ、もう一度行ってこぉ〜」

中学生たちは自由に住民に聞き込みを開始する。
再度ヒントをもらいに来る。
「聞いたか?」
「はい!近所のお家で聞いてきました!」
「ほう。それで?」
「えーっと、なんだったっけ。敵の飛行機が飛んできて、…なんだったっけ」
「敵って誰のこと?」
「…いや…うーん。アメリカかな?たぶん」
なるほど。もはや相手が米国だったことすら「歴史」と化していることに驚く。
「メモとったのかぁ?」
「…いえ」
「なんでメモとらない?話しを聞くときは、メモをとらなきゃ。
もう一度行ってこぉ〜」
「え!またですか!?ヒントは…」
なかなかヒントを出さない阿部先生。

「生徒も教師も用意された教材に慣れ切っている。与えられた教材ではなく、生きた教材を自分たちの手で拾ってくることが大切だ」
阿部先生はわくわくしながら生徒たちの後ろ姿を見つめる。
おもしろい。
しばらくすると生徒たちは、私たちが用意していた「防空壕」という答えに限らず、いろんな当時の生の声、戦跡の存在を聞き出してくる。
「ほらほら、どんどん出てくる。おもしろいなぁ」阿部先生が一番楽しそうだ。

その日は1日かけて、地域の金鉱跡を活用したという防空壕、お宅の庭に掘った防空壕(当時のまま残っているのはかなり貴重!)を巡り、夕方に解散した。

「なんで今回まち歩きに参加しようと思ったの?」参加した中学生ひとりひとりにヒアリングする。
おもしろい答えが返ってくる。
「お母さんが『唐桑には何もないなぁ』ってよく言うから。本当に何もないのかな?と思ったんです」
こりゃ参った。大人の悪いクセかもしれない。
「将来のために活かせると思ったからです」将来って?「将来の夢はツアーコンダクターなんです。なので地元のことを知っておきたいと思って」
そりゃすごい!ツアーコンダクターなんて言葉が出てくるとは。思わず嬉しくなる。

---

後日、生徒の感想文を読む。
「戦争」についての言及と、それを丁寧に話してくれた地域の「人」についての言及が多い。
その中にこんな一節があり、目を見張った。

「唐桑は何もない所だと思っており、あるといっても海とか山とか、東京とかのようなスカイツリーとかもなく、いなかだなあと思っていました。

しかしそれはとかいのものがいなかにないだけでした。

いなかのものはとかいにはないはずです。」

「生きた教材」がここにはまだまだありそうだ。
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