人が住むところじゃないわ [2015年08月22日(Sat)]
初めて入った集落。
「こんなところあったんだ」 唐桑の県道から道一本入ってずーっと下っていくと、浜に辿り着かずこじんまりした盆地に着いた。見渡すと4〜5軒の集落。 盆地の一番低い中心には井戸があり、その井戸を見下ろすように高台にぐるっと家が立ち並ぶ。それをさらに森が囲む。 昨晩、雨が降ったせいか、どこからか沢がせせらぐ音がする。 「“ないものねだり”をやめて“あるものさがし”をしよう」と唱える「地元学」で著名な吉本哲郎師匠は、「水」をテーマに集落を調べろ、とよく言う。 なるほど、集落の形成を語る上で水の流れを知ることは不可欠だ。 小綺麗な格好で歩くおばさんと出逢う。営業でお宅を訪問してまわっているらしい。 「出身はどちら?」 よほどきょろきょろして歩いていたためか、そう尋ねてきた。 「私は兵庫です」 「最近はヨソから唐桑に移り住む人もいるみたいねぇ」 と言ってくれる。徐々に移住者の存在がまちに浸透し始めている。 (あ、その元凶です〜)と心の中で返事する。 「私はね、震災後、新幹線の駅のあるまちに引っ越したの」 ほう。内陸へ。 「とっても便利よ。息子も東京にいるし。 私はこうやってたまに唐桑に仕事で来るんだけどね。 私、ここ(唐桑)に50年も住んでたのよ」 ほう。 「ホント不便よねぇ、ここ」 まぁまぁ。苦笑する。 「悪いけど、人が住むところじゃないわ」 いたずらっ子っぽく笑って、そのおばさんは去った。 またまた苦笑いしながら軽く会釈をする。 こういうことを言われるとテンションが上がる。武者震いする。 「一千年も井戸を取り囲んできた一見“不便”な地域」と 「半世紀間急激に効率を追求して人工物で取り囲んだ一見“豊かな”地域」。 100年後どちらに人が暮らしているのか… ここから10年、勝負だ。 |