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原田燎太郎氏の唐桑中学校講演B完 [2015年03月05日(Thu)]

つづき

彼のプレゼンが終わると、私も登壇する。
彼と私の対談形式で生徒に質問を聞いていく。

その中で私が故・鈴木重雄さんの話をすることになっていた。
「今日はみんなに一人紹介したい人がいます。
この銅像、どこにあるか知ってる?」
スライドには、2011年唐桑に来たばかりのときに撮った写真。鈴木重雄さんの銅像の左右に馬場康彦さんと私。
「はい!」
ある子が挙手。
「崎浜の…からくわ荘…ですか?」
一人だけ知っている子がいた。

私は鈴木重雄さんの話を子どもたちにした。

越路の話。
愛生園の話。
そして「あの1973町長選挙」の話。
高松園の話。

「当時選挙応援に駆けつけた大先輩たちによく言われます。
『唐桑はキセキのまちだ!』って。
『唐桑はキセキのまちなんやで!』って。
その大先輩たちと唐桑のつながりは鈴木重雄さんが亡くなった後も、馬場さんに引き継がれていきました。

その選挙から40年。
東日本大震災が起きました。
だからね、馬場さんは僕たちにこう言いました。
『鈴木重雄さんがお前たちを唐桑に連れてきてくれたんだなぁ』…って」
自分の話に酔ったのか、ぐわっとこみ上げるものがあって、思わず視界が歪む。
「そういう人のつながりを辿って、俺は今ここで活動しています。
みんなも、そういう人(重雄さん)がこのまちの先輩にいることを知ってほしい」

これは私にとって、この4年弱の唐桑生活の中で一番大きな事件だったかもしれない。
私の原点を生んでくれた原田燎太郎が唐桑で語ったのだから。
ようやく鈴木重雄さんと馬場康彦さんの話を唐桑で公然と語れたのだから。

授業が終わると、校長先生が真剣な顔つきを崩さず彼のもとにやってくる。
「私は最高の時間を過ごしたかもしれません。子どもたちは最高の学びを得たのかもしれません」
教頭先生も興奮さめやらぬ様子。
「子どもたちに種は蒔かれました。
あとは子どもたちがこの種をどう育てていくか、です」

この熱いお二方がいたからこそ、この企画が実現した。
一番感謝しなければ。

私たちが唐桑に来たもう一つの本当の理由を明かした日となった。
「震災」と、もう一つ。

「らい」。
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