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原田燎太郎氏の唐桑中学校講演@ [2015年02月21日(Sat)]

2008年2月頭。
中国・広州。
ガチャリとアパートの扉が開き、暗闇にオレンジ色の灯りが広がる。柵が開く。
大きな男のシルエットが現れる。
「加藤拓馬です」ぐぃっと胸を起こす。
「タクマ。―よろしく」
静かな声とともに手がぬっと出てきた。それを掴む。
(なんておっきな手なんや)
彼の長女リンホウちゃんが生まれて数日しか経ってないその日、私は彼と初めて会った。


2015年1月末。
日本・唐桑。
「リンちゃん、いくつになる?」
「リンはもうすぐ7歳」
「ほな、もう7年経つん?」
大笑いが起きる。カチャンと日本酒の入ったコップが鳴る。

原田燎太郎氏。
中国の活動家、とでも言おうか。
早稲田大学卒業後、そのまま中国の辺境にある「ハンセン病快復村」に移り住み、NGOを立ち上げた男。

今回は彼にとって2度目の唐桑訪問。
1月28日、唐桑中学校で1・2年生を対象に彼の授業が始まった。
今回私は、道徳/志教育の時間を頂いて彼に講義をしてもらう企画を立てた。校長先生、教頭先生がそれを受け入れてくれた。

彼はどういう子ども時代を送ったのか。話は1枚のカメの写真から始まった。
「将来なりたいものはカメさんだった。
中学のときはいじめられっこだった。
殻に閉じこもっていたかった。
大学に行っても、就職活動に失敗し、周りの目ばかり気にして、俺は誰にも必要とされていないと絶望していた。
そんなとき、俺を唯一必要としてくれる人がいた。
西尾雄志。
彼もまた当時絶望していた。
『りょうたろう、どんっとでかいことやろうぜ』彼はそう言い、俺たちは乾杯した。
彼の『でかいこと』、それが中国ハンセン病快復村でのワークキャンプだった。」

子どもたちにハンセン病の説明をする。
ハンセン病はかつて日本では「らい」と呼ばれ、ほんの半世紀とちょっと前までは外見が変形する不治の病として怖れられ、患者の隔離がどの国でも行われた。治療方法が確立した後も、その後遺症故に差別・偏見が快復者の社会復帰を阻んだ。
しかし、その正体は末梢神経を冒す微弱な菌だった。
これは古今東西、世界共通の話。

「俺は中国のリンホウ村というハンセン病快復村で元患者・ソウチンクワンに出逢う。
そして差別にさらされているにも関わらず自分らしく生き抜く彼にいつしか惹かれていった。
彼の変形した外見を見るのではなく、彼の内面・魂を感じるようになっていた。
『ちいせぇ』
周りの目ばかり気にしている自分の小ささが嫌になった。
『ソウチンクワンに学びたい』
俺は大学を卒業し、リンホウ村に住むことを決意した。
もう他人の目は気にしないことにした」

つづく
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