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2015年1月17日 [2015年01月17日(Sat)]

2015年1月17日午前5時46分。
宮城県気仙沼市唐桑のアパートで寝ている。

2010年1月17日東京都中野区鷺宮
2005年1月17日兵庫県姫路市英賀保
2000年1月17日兵庫県姫路市英賀保

1995年1月17日午前5時46分。
兵庫県神戸市東灘区魚崎のアパートで寝ている。
当時5歳。魚崎幼稚園の園児。
大好きな姫路のおばあちゃんといる夢を見ている。
おばあちゃんの隣に寝てて、なぜか必死にしがみついている。
起きたのは全てが終わった後だった。
起きてみるとおばあちゃんはもちろんおらず、いつもどおりの父と母と弟。
ただ家の中が一変している。

隣の部屋はたんすが折り重なり、リビングとキッチンは食器が散乱している。
食器棚の扉がぷらんと開いている。
電子レンジ?炊飯器?はあったはずの場所になく、部屋の反対側に転がっている。
真横に飛んだらしい。

父がガラス破片を避けながら玄関まで行って、しばらくして家族の靴を持ってくる。
父は和室の寝室の前にそれを置く。
家の中で靴を履くことが不思議で抵抗を感じる。

私は靴を履いた。
あの日の朝の記憶はここで途切れる。
あとは断片的。

この後、父と母は崩壊した魚崎のまちを見て何を想ったのだろう。
分からない。
なぜだろう。知りたいのは知りたいが、聞く気にはなれない。

阪神大震災が大嫌いだからだ。
本当に嫌いだ。
あの日からいろいろ変わったから。
変わってよかったこともたくさんある。
姫路に引っ越してよかった。姫路が好きだ。

でも、変わってほしくなかったことも子どもなりにあった。

---

3年前も同じような記事を書いていた。
「震災が憎い」https://blog.canpan.info/entoki/archive/99

震災を舐めてはいけない。
いずれ必ず来る南海トラフの震災に今から備えることが必要だ。

---

先日、唐桑で友人と酒を呑みながらふと阪神の話になり、
「20年になるんやなぁ」
とこぼした途端、涙腺がゆるんだ。
なんでかは分からない。
かなり酔いがまわっていたんだろう。
なんでかは分からないんだけど、涙腺がゆるんだ自分に安堵した。
阪神・淡路大震災を忘れていなかった。

ただこれからは、
憎しみだけじゃなく、
あの震災のど真ん中にいながらも、
それを乗り越え、自分たち兄弟を育ててくれた家族に感謝する日にもしよう。


最後に
今は他界した友人へ。

統くんー、あれからもう
20年も経ったで。
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