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恵理子ママの部屋
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9年目[2020年03月11日(Wed)]

3月11日(水)




今日のたんぽぽクラブの午後の活動は





ホットケーキ作りでした(^^)




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プレーン味、ココア、チーズの3種類のホットケーキを作り、





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お好みでチョコソースをかけていただきましたよ〜!





、、、、、、、、、、、、、、、、





今日は東日本大震災が起こった日です。





9年前のあの日、小学2年生だった利用者が
今年、高校卒業を迎えます(^^)





あの日は、雪がちらつく寒い日でした。






外に避難することは難しかったので、
物が散乱した中、ホールに集まり、





ペットボトルにお湯を入れて、
コタツ代わりにして暖を取りながら、





親御さんが迎えに来るのをひたすら待ちました。





電話も通じない中、保護者と連絡がなかなか取れず、不安な時間を過ごしましたが、





最後の利用者の迎えが来た後ホッとして、
信号も家の明かりも無い真っ暗な中、





自宅に向かって車を走らせたことが思い出されます( ; ; )





あの当時は、こんな想定外の大災害は千年に一度!と思っていましたが、






震災以降、毎年のように想定外の災害が起きていて、





危機的な状況が、普通の状況になっています(泣) 





今年は更に、新型コロナに振り回されて、
社会全体が別な意味で災害級のダメージを受けています。





地球温暖化、放射能、少子高齢化、
被災地の過疎化の問題も、




もしかしたら、何となく気が付いていたのかもしれませんが、





あの震災を機に一気に表に現れたような気がします。





こんな不安がいっぱいの時代ですが、
自分に、今できることを頑張るしかありませんね〜exclamation





生かされていることに感謝しながら、





東日本大震災で亡くなられた方々の
ご冥福を祈って黙祷したいと思います。





あれから8年[2019年03月11日(Mon)]

3月11日(月)




今日は久々の雨降りです雨





東日本大震災から8年が経ちました。





あれほど規模の大きな災害ではないにせよ





地震はもちろん、気候変動や風水害の被害で、ここ数年は全国各地どこでも被災地になり得る可能性があります。




8年前は私の携帯もガラ系でした。
情報が入って来なかったのが一番大変でした。





当時と比べたら、スマホの普及により、SNSの情報で溢れ、災害対策や防災グッズの向上など劇的に変化し、





防災意識の高まりも感じますが、
災害弱者に対してはまだまだ対策は万全とは言えないと思います。





一般の避難所では難しい方々もいらっしやいますし、





福祉避難所があっても、そのことを知らなければ利用できません。





正しい情報の伝え方は工夫が必要です。
外国人への伝え方の配慮は、発達しょうがいの方々にも有効だと思います。





今、被災地では人口減少と高齢化に見舞われています。





それは、いづれは日本中どこの地域にも起こることです。





ますます、避難困難者が増えると思います





未曾有の災害を風化させない為にも、
行政任せにするのではなく、




地域全体で誰もが安全に避難できる仕組みを考える必要があると思います。





、、、、、、、、、、、、、、、、





そう言えば、私のブログ「恵理子ママの部屋」は大震災の一年前の3月10日から始めました。





昨日で丸9年経ち、今日から10年目に
入りました。




家族のこと、たんぽぽクラブのこと、手をつなぐ育成会のこと、福祉関係のこと、地域のことなど、雑多な内容で、稚拙なブログですが、




おかげさまで今まで続けて来られました。




canpanのブログランキングでは、
最高で12位、普段は20位〜30位くらいのところをウロウロしています(笑)




けっこう、ご本人さん達も見てくださっているようです(^^)





いつまで続けられるかわかりませんが、
とりあえず10年は頑張りたいと思います。




今後ともよろしくお願いいたします!



あれから6年[2017年03月11日(Sat)]

3月11日




未曾有の大震災から6年経ちました




今でこそ様々な検証が行われ、災害の全貌が明らかになっていますが、




当時を思い出すと、電気もない、ガソリンもない、食料もない中で、




沿岸でそんな酷いことになっているなんてつゆ知らず、




ラジオからの限られた情報の中、
数日間は不安でいっぱいで、ただあたふたしていたような気がします。




今日はテレビ中継でも追悼集会の様子が放映されていたので、2時46分に合わせて家で黙祷しました。



復興のスピードには地域差があり、
まだまだ遅れている地域もあります。




震災の記憶が薄れていく中、
起きたことはもう元には戻らないので、せめてこの教訓を今後に活かすことが大切なことだと思います。




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6年前は雪がちらつく寒い日でしたね〜




今日は穏やかな良いお天気です晴れ




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ウォーキング日和なので、たっぷりと1時間10分コースを歩きました。




それだけ歩いても脇汗ひとつかかない私とは対照的に、超汗っかきのしゅんは、




もう、汗だくつゆだく〜〜〜




背中に入れたタオルがびしょびしょですあせあせ(飛び散る汗)




なのに、なぜ痩せない、、、たらーっ(汗)


支援物資の仕分け[2011年08月09日(Tue)]

 8月9日(火)ゆうべは久々に涼しくてぐっすり眠れました笑顔。日中はどんなに暑くてもいいので、朝夕気温が下がってくれるのが東北地方の良いところです。朝から既に30°以上あるという、関東以南の地域には、たぶん私は住めません(笑)落ち込み




緑のカーテンにはなかなかなってくれないアサガオですが、可愛いいピンク色の花が朝だけ必死に咲いているのは清々しいです。




でも、よく見るとアサガオの花の中にちっちやな雨蛙が・・・。気持ち良さそうに眠っています。
かわいい〜カエル


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 今日は山崎先生が中心になって釜石で活動している、沿岸地域被災した障害者を支援する会(みたいな?、長ったらしい名前です)のボランティアで、男性陣2人と支援物資の仕分け作業を行いました。



最初にびっくりしたのは、驚くほど多くの支援物資が集まっているんですね〜。今年の4月から紫波町内に倉庫を借りて支援物資を集めているのですが、倉庫いっぱいに広がる段ボールの山・・・。前から山崎先生に話は聞いていました。その分配が非常に難しいということは・・・。

全国の方々からの善意で集まっている支援物資ですが、震災当時集まってきたのは圧倒的に冬物が多く、気温が高くなってからは、避難所によっては既に新品でなければ受け入れないというところもあり、せっかく持って行っても、実際に受け取ってもらえるのは1/3くらいしかないということでした。


こどもたち向けの絵本や漫画本、おもちゃやゲームなどもありましたが、学校が再開してからは避難所では必要なくなったようです。震災直後の、何でもいいから着る物が欲しいという段階はとっくに終わり、仮設住宅は狭いので余分な衣類を置くスペースも無いし、釜石市内の衣料品販売の店も営業を再開しはじめているので、あとは、また寒くなっても店で新品を買うということになると思います。


難しいものですね!。たとえ、新品であっても保管している間に湿気が上がり、カビが生えてしまったものもありました。中には、毛玉だらけでとても使用には耐えないようなものもありましたが、それでも善意で、送料をかけて送って下さったものばかりです。心の中で「ごめんなさいね〜」とつぶやきながら、処分した物もたくさんありました。


いずれにしても、倉庫もだだで借りているわけではないので、今月中にはいったん、全て片付けたいということでしたので、今日1日でがんばって片付けました。なんでも、一番困ったのは、女性物の衣類の仕分けだったそうで(ガラにもなく?)、男性陣にとっては慣れていないというか全くわからなかったそうで、ずっと片付けられないでいたそうです。


今日は紫波地域の最高気温は33°〜34°くらいはあったでしょうか?。無風状態で太陽、エアコンも何も無い倉庫の中はとんでもない暑さで、蒸し風呂状態でしたが、あんなにあった段ボールの山が跡形もなく仕分けされ、きれいに片付きました。午前中だけお手伝いに来てくれた悦子さん、ありがとうございました。ホントに助かりましたハート



被災証明書[2011年06月23日(Thu)]

 今朝、岩手県沖を震源とするやや強い地震がありました。テレビでは緊急地震速報が流れ、携帯からは「ぴゅっぴゅっぴゅっ・・・」という警戒音を久々に聞いたような気がします。



けっこう強い揺れで、ドジョウさんたちを飼っている水槽の水はざんぶざんぶと揺れ、今にも溢れそうな勢いでしたが、棚の上から物が落ちるということはありませんでした。地域によっては震度5弱のところもありましたが、花巻市は震度4でした。

この一年くらいは同規模の余震が続くと思われますが、幸い停電にならなかったのでまずは一安心でした。何が困るって、やはり電気が止まると生活面だけでなく、いろいろな方面に影響が出るので、一番困るかもしれません落ち込み

 花巻市では東日本大震災に伴う東北地方などの高速道路無料化に対応し、なんと!、停電だけでも被災対象とした被災証明書の発行が22日から始まりました。つまり、花巻市の住民であれば申請すれば、一年間高速道路が無料になるということです。

今日の岩手日日新聞の記事によると、昨日は申請会場のひとつである「まなび学園では早朝から市民が殺到したため、午前9時の受け付け開始を40分繰り上げて対応。200台収容の駐車場が早々に満車状態となり、受付窓口の1階展示室から廊下を経て屋外まで長蛇の列ができ、1時間待ちの状態になった」と書いてありました。

正直言って複雑です。もっと、沿岸地域の家や職場が流されて本当に困っている人たちだけでいいのに・・・。遠方から来るボランティアさんたちの分を無料にしてほしいとも思いますし・・・。

たしかに、被災証明書の発行は市町村の判断に任されているので、被災の程度により、この人は良くてこの人はダメとは言えないでしょうから、居住地で判断するしかないのかもしれません。県外では全住民に交付するため郵送を決めた自治体もあるそうです。どうせなら、東北自動車道を一年間全て無料にしてしまった方が不公平感がないと思います。

いずれにしても、申請しない自由もあると思いますので我が家は申請しません。来月には東北アンジェルマンの会で仙台に行く予定ですが、我が家の場合、もともと障がい者割引で高速代が半額になるのでそれでじゅうぶんです。

あ、別に申請した人に対して非難したりということではありませんので誤解のないように・・・ウインク。長距離通勤をしている方々や無料になることによって助かるという方々にとっては申請しない手はありません。使えるものはどんどん利用した方がいいと思います。

それにしても、かつて土日1,000円効果により、みんなこぞってETCを車に取り付けたのに、今回の場合は一般レーンで証明書を見せなければならないので、そっちの方が混み合いそうです。せめて、ETCレーンを涼しい顔で通過しちゃおうっと!(笑)。



被災地支援[2011年06月06日(Mon)]
 
 あの大震災から、早3ヶ月近くが経とうとしています。沿岸の被災地では、震災直後よりもむしろ様々な現実が見えてきて、被災地の中でも温度差があります。家も家族も流された人、家は流されたが家族は無事だった人、職場が流されて失業した人、子どもを失った人、未だに家族が行方不明のままなど・・・、一口に被災者と言ってもそれぞれに立場が微妙に違います。

陸前高田市のように平地が多く、近隣一帯が皆同じような被害を受けた地域では、みんな同じだから、仕方ないね!・・・、といった、ある意味あきらめの一体感のようなものがあると聞きますが、釜石市の場合はまた事情が違います。同じ市内でも内陸部の方はほとんど被害はありません。海に近い津波に襲われた地域でも、釜石は山が多いのでちょっと高台にある家は難を逃れました。

同じ地域でもほんのちょっとの違いで天国と地獄ほどの差があります。そんな中で、無事だった家の住民は生き辛さというか、なんとなく肩身の狭さのようなものを感じながら生活していると言っていました。難しいですね落ち込み


 様々な団体が支援活動をしています。義援金や支援金の募金活動についてもいろいろなところで行われています。花巻清風支援学校ではボランティアチームを立ち上げ、教職員が現地での瓦礫の片付け作業などに定期的に行っているそうです。

先日、同窓生育成会の三役会議に出席した際に聞いたお話では、PTAとして、宮古、釜石、大船渡にある特別支援学校3校のPTAを対象に義援金を送ったということでした。同窓生育成会としても積み立ててきた基金の中から検討しようということになりました。

かつては唯一の養護学校として、県内各地から児童・生徒が集まっていた時期もありました。残念ながら、今回の震災で亡くなった卒業生もいます困った。全ては把握し切れていませんが、心よりご冥福をお祈りいたします。

今年の総会は、予定では宿泊懇親会を行うということでしたが、震災のこともあり、今年度は総会・昼食懇親会のみということになりました。7月9日(土)場所はホテル花城です。
あいにくその日はたんぽぽ夏まつり2011の開催日ですので、私は残念ながら参加出来ませんが・・・。

その、たんぽぽ夏まつり2011ですが、今回は「被災地支援」をテーマに、たんぽぽの模擬店の売り上げを全て被災地に寄付したいと思います。対象としては、塩蔵わかめやすきこんぶの販売などで交流のある「わらび学園」を考えています。まあ、たいした売り上げにはなりませんけど・・・(汗)。

「わらび学園」の鵜住居分場は全て流されました。本場では建物自体は無事でしたが、送迎中の支援員と利用者が犠牲になりました。施設長さんのお話しでは、震災後の混乱の中、なんとか5月の連休明けから再開しているということでした。海産物の作業場も全て流されてしまったので、販売できる商品もなく、とりあえず避難所で必要な雑巾でも作ろうかという話をしているそうです。

復興には長い年月がかかりそうです。たいしたことはできませんが、作業製品の販売に協力したりとか、微力ながらも継続して支援して行ければ良いなと思っています。

「TUNAMI」[2011年06月01日(Wed)]

 
 高嶋哲夫の「TUNAMI」を読みました。以前「サンデーモーニング」にも出演し、その中でも紹介されていましたが、まさか、自分が生きているうちにこんなことが起きるなんて 落ち込み・・・。
この本に書かれていることは、全て今現実に起こっています。



著者は本書において、東海、東南海、南海の三つの海溝型地震が続けて起こり、それらを原因とする津波が共振することによって、高さ20m以上の津波が中部から四国にかけての太平洋側を襲うことを想定した、最悪のシナリオを描き出しています。その被災状況は、まさに現在の東北の沿岸地方そのものです。とても、今から5年前に書かれた小説とは思えません。

 このような被災状況を描き出す中で、人命か金か、安全か経済か、という本当にシビアな問題を読者につきつけています。「地震予知情報」に続く「警戒宣言」を出す時も、そしてそれを継続する時も、日本経済の一日あたりの損失が天秤にかけられるというのが現実の社会でもあります。

また、何重にも安全装置が備えられ、非常時のマニュアルも整備されていることになっているにもかかわらず、便利な生活と生産活動の維持のために、それらが無視されることによって引き起こされる原子力発電所事故もそうです。大津波も「想定外」ということば一つで片付けられてしまいますが、そもそも、自然界において想定外なんてあり得ないはずです。

数年前、東京での知P連の全国会長会議に参加した折り、懇親会で、西日本の某H県のPTA会長が、「H県は原発があるから、福祉サービスも充実しているんですよ!」と得意げに話していました。でも、当時の私は、正直、全然羨ましく無かったことを覚えています。多少不便でも、遅れていても、岩手県には原発が無くて本当に良かった!と心から思いました。

そして、あの途方もない瓦礫の山を見ると、所詮、人間の作ったものなんて、家も車も、結局はゴミにしかならないんだな〜と、つくづく感じます。戦後のどん底の中から、持ち前の努力と勤勉さでめざましい経済成長を遂げ、多少無理をしながらも突っ走ってきた小国「日本」。確かに、物質面、経済面では豊かになりましたが、その代わりに失ったものも多いのではないでしょうか?。

喉もと過ぎれば・・・とは、よく言いますが、人間は弱い生き物なのですぐ忘れてしまいます困った。あと2〜3年経った頃、世の中はどうなっているのでしょう?。必ず来るとわかっているのですが、いつ来るかどうかわからない地震のために、どこまでなら現在の便利な日々の生活を我慢できるのかどうか。経済活動を停止することができるのかどうか。今こそ、ひとり一人の意識が問われてくると思います。


ボランティア活動について[2011年04月27日(Wed)]

 今日は変に生暖かいような?どんよりとしたお天気でしたが、この暖かさのせいか、朝はまだ蕾だった桜の花が、夕方には一気に咲き始めたようです。この分だとゴールデンウィークには満開の桜が楽しめそうですラブ

この連休は、釜石で被災した親戚を花巻の温泉温泉にご招待する予定になっています。そして、先日亡くなった従兄弟の納骨をするために、花泉に行く予定も入っています。釜石ではまだガスが復旧していなくて、伯父は週に1回だけ共同浴場のようなところに入りに行っているということでした。

 沿岸の被災地でのしょうがいのある方々については、まだまだ被災の実態は掴めていないようです。釜石で復興活動をしている山崎先生のお話では、いったん、避難所に避難していたしょうがいのある方々も、今はほとんど、被害が少なかった施設に入っているのではないかということでした。

施設によっては、職員も利用者も津波で流されて、未だに行方不明のままの方々もいらっしゃるようですが、通所系の施設では5月の連休明けの再開を目指し、現在、懸命に態勢の立て直しをしているそうです。それまではその利用者と家族は自宅で待機しているようです。それはそれですごーく大変なことだと想像できますが・・・困った

地域の相談支援専門員さんに聞いても、在宅の方々の実態は完全には掴めていなくて、住所を頼りに地道に家庭訪問しているところのようです。ただ、家が流されたところではどこに避難しているかわからない場合や家は無事でも、周りの景色がすっかり変わってしまい、地図を頼りに捜すのも一苦労のようです。

今のところ、地域に馴染みの無い方がすぐにボランティアとして活動出来るものとしては、瓦礫の後片付けくらいだということです。山崎先生に聞いてみたところ、現地での瓦礫撤去の作業については、まだまだ、まだまだ、お手伝いが必要だということでした。
 
県外ボランティアの場合、岩手県社会福祉協議会のボランティアセンターが受付窓口になりますが、今回の震災では関西のボランティアの方々がかなり入って活動しているようです。かつて、阪神淡路大震災を経験したからこそ、他人事とは思えないという意識で応募したという方が多いという話を聞きました。東北に住んでいる我々が当時、他人事ではないと、同じように感じたかどうかは疑問で、今さらながら、自分自身が恥ずかしくもあります落ち込み

北海道の養護学校の先生方から、この大型連休を利用して被災地でボランティア活動をしたいという希望がありました。貴重な連休を犠牲にして、わざわざ北海道からボランティア活動をするためにいらして下さるなんて、本当にありがたい話です。このブログが縁で、メールで連絡をいただきましたが、釜石の山崎先生に相談したところ、寝泊まりする場所や食事の確保などいろいろと手配して下さいました。本当にありがとうございました。

岩手県は広いので、内陸の花巻から沿岸の釜石に行くだけでも、車で2時間近くかかってしまいます。当然ですが、被災地では基本的に寝泊まりできるような宿はありません。営業しているスーパーも限られています。トイレの問題もあります。興味本位で被災地に向かう人たちがいるとしたら、最低限のルールとして、被災地の迷惑にならないように気を付けていただきたいと願っています怒

救援物資を届けたい方は・・・[2011年04月15日(Fri)]

 4月15日(金)今日はたんぽぽクラブのスタッフ会議&ケア会議がありました。新しいスタッフの阿部さんと門馬さんを迎え、総勢16人のスタッフです。1人お休みでしたので写真は15名ですが・・・。4月からこのスタッフでがんばりますのでよろしくお願いしますラブ

一昨日の夜、しこたま顔面を強打して右目の上にたんこぶが出来ていた私・・・。「あら、今日はアイシャドウが濃いんじゃな〜い?」とパートスタッフのSさんがひと言・・・、さすがはSさん。鋭〜いびっくり。そのひと言にドキッとした私でした〓。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「東日本大震災障がい協・知福協合同支援プロジェクト」により、今まで被災の状況が不明だった沿岸地域の被害状況がやっと明らかになってきたことは、昨日のブログに書かせていただきましたが、このプロジェクトの活動に「認定NPO法人難民を助ける会」のメンバーが加わり、その中で様々な支援を展開しており、人的支援や救援物資の手配を行っております。

もしも、被災地へ救援物資を送りたいと思っている方がいらっしゃいましたら、必要な救援物資も日々変わってきているので、できれば会の事務局に問い合わせて、事務局が指定する場所へ届けていただくのが一番確実かと思います。

080-3497-7743 (スタッフ共通携帯電話 担当:名取、野際)まで一報を入れていただければありがたいそうです。

尚、プロジェクト自体の問い合わせ先は

〒020-0831
盛岡市3本柳8−1−3
岩手県社会福祉協議会福祉経営支援課 内
電話;019-637-4478
FAX;019-637-4255 です。


やはり被害の実態は・・・[2011年04月14日(Thu)]




 花巻ではやっと先週辺りから生協の宅配が復旧してきました。まだ通常通りとはいきませんが、不完全ながらも動き始めました。朝配牛乳も突然復活しました。震災から今までモーさんから絞った牛乳はどうしてたんでしょうね・・・?。大いなる疑問ですウインク


相変わらず余震が続く中、たんぽぽクラブでは、利用者のこどもたちにもわかりやすいように、地震が来た時の対処の仕方を書いて壁に貼っています。揺れが来た時は歩き回らないで、頭を守ってダンゴムシのポーズびっくりです。



毎日頻繁に余震が起きるので、これは震度3かな?、これは震度5くらいはあったかな?とだいたい感覚でわかるようになりました。本来は慣れてはいけないのでしょうが、最近では震度5くらいないと、びっくりびっくりしなくなりました。


 今日、岩手県社協と岩手県知的障害者福祉協会による合同支援プロジェクトの取り組みによる。県内の障がい者施設被害状況の資料を見せてもらいました。それを見ると、想像以上に被害は甚大で、その現実に改めて愕然としました困った

施設自体は流された所があるという情報は入っていましたが、実際に、職員も利用者も流されて行方不明だという報告を見せられると、なんともやりきれない思いでいっぱいです悲しい。敢えてここには載せませんが、県社協のホームページから検索できると思います。震災以来、正直、今が一番沈痛な思いです悲しい悲しい悲しい

私事ですが、昨日の夜中、台所のドアの角に顔面から激突しました。怒。ちょうど目の上のあたりです。一瞬火花が飛んで、あまりの痛さにしばらくは声も出ず、その場から動けませんでした汗。「あいたたた・・・」

一晩、冷えピタシートで冷やしましたが、ジンジンくる痛さと頭が冷たすぎて夜寝られないし・・・〓。なんとか今日は前髪をたらしてごまかしましたが、そのうち青く、痛々しく変色して、最後には黄色っぽくなると思います。(経験者は語る・・・)。


あ〜あ、かっこわる〜い!。

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