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MUCHO GUSTO @ELSAL

エルサルバドル・・・エクアドルでもエチオピアでもない・・・聞きなれないこの地での活動の日々を綴る〜


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チョコレート [2011年08月22日(Mon)]
先週、水曜日の午後、サラゴサ市で
バスの事故があった。

二人の婦人が亡くなったという話を
木曜の朝、同僚たちがしていた。

亡くなったひとりは、チョコレートを売るセニョーラ(婦人)と聞き、
少し心配になった。

私の親しくしている友人のファミリーは、
チョコレートを作っていたからだ。


午後、市議である、ホームステイ先のお母さんから、
亡くなったのは、アドレアーナ(友人)のお母さんよと告げられた。

まさか。
そんなはずはない。何かの間違いだと思った。


ここでは、情報のほとんどは人づてなので、
結構間違いや勘違いの場合もある。


けれども、それは、間違いではなかった。
その日の夜、告別式は彼女の家で行われた。



アドレアーナは、私がサラゴサに赴任した当初から
親切にしてくれた人だった。

家に招待をしてくれて、初めてそこでエルサルバドルのチョコラテを
いただいた。
また、昼食に呼んでくれたこともあった。


彼女のご両親も、非常に親切なひとで
「ここは、あなたの家よ、いつでも来なさい」と 
いつも温かく私を迎え入れてくれた。


彼女が、サンサルバドルの専門学校に通い初めてからは、
忙しくなり、私はほとんど彼女とその家族には会っていなかった。


それでも、昨年の祭りで開催した浴衣のファッションショーには
彼女にモデルを頼んでいたので、家族で見に来てくれたし、

今年、震災写真展を開催した際は、顔を見せに寄ってくれた。


今年の6月頃だと思う。スーパーで彼女のご両親に
ばったりあったので、私が帰国する前に日本食をご馳走するから
という約束していた。


8月の前半に行こうと思っていたが、都合がつかず、
近いうちに行こう、カレーを作ろうと思っていた。


けれども、それは果たせなかった。


金曜日の朝、サンタテクラ市にある墓地へ
お母さんを埋葬する式に参列した。

お母さんは、コミュニティの役員だったので、
多くの住民が、役場の貸し切りバスで来ていた。

アドレアーナは諸々の対応に追われてた。
悲しみをこらえ、気丈にふるまっていた。

私が最も心配していたのは、お父さんだった。

バスの事故の際、お母さんと一緒だったが、
重症を負い、生き残ったお父さん。
精神的に不安定な状態がすぐ見てとれた。



その日の深夜、激しい雨音で目が覚めた。

私は、埋葬したお母さんのこと、アドレアーナ家族のことが
気になり、その後、なかなか眠ることができなかった。




後日、聞いた話だが、

お母さんたちがサンタテクラから乗った157番バスは
乗客で一杯だっだ。
お母さんたちは混んでいたので入口付近にいたらしい。
けれども、バスは走行中に前輪が外れ、バスごと横転し、
入口付近の乗客は外に投げ出され、車の下敷きになったという。


運転手は、本来雇われていた職員ではなく、
当日、代わりに運転していた人だったらしい。

事故の補償も何もないという。








マナグアで [2011年08月18日(Thu)]
翌日、首都マナグアにある国家防災機関(SINAPRED)で
開催された講演会に出席した。


片田先生が防災教育を実践されてきた
釜石市の話は、ネットでこれまで何度も目にし、
知ってはいたが、直接話を伺うことができるとは・・・
しかも、ニカラグアで。
貴重な機会を与えられて、感謝だった。
同僚たちにも、ぜひ聞かせてあげたかったな。。。


さて、講演会の後は、プロジェクトの関係者はコスタリカへ移動。

私は、ひとりパナマへ移動。
首都パナマシティをぶらぶらし、パナマ運河を見て、
エルサルバドルに帰国した。



隊員生活も残りわずかとなった。
なんと来月には帰国なのだ。

本当か?

どうも現実らしい。
自分でもまだ信じられないが。


実感はないけれど、
とにかく期限が迫っているわけで、
活動の方は、最後の仕上げをしなければと焦っている。


というのも、例のリーフレットの修正、再発注が
まだ終わっていないのだ!!



ニカラグア訪問 [2011年08月16日(Tue)]
先週の火曜日からニカラグアに行っていた。

ニカラグアは、1993年の津波で、
多くの住民が亡くなった経験がある。
現在、防災プロジェクトが、レオン市に入っている。


今回、短期専門家として、群馬大の片田先生が
いらっしゃると知り、是非話が聞きたいと、
私は、プロジェクトに同行させてもらったのだ。
もちろん自費で。

レオン市では、国家防災機関の職員とレオン市の職員が
津波防災について、市民をリードするファシリテーターとして
機能するように厳しく鍛えられいた。

私は、途中から合流したので、
彼らのワークショップの内容は見ていないのだけれど、

反省会では、先生から、彼らのプレゼンの内容は正確だし、
上手なんだけれど、
ここから津波の死者を出さないんだという意気込みや、
住民と一緒にやるんだというメッセージの必要性が指摘されていた。


私は、これまで日本人と現地の人との活動で
ここまで直球で、熱いやりとりを見たことがなく、すごく驚いた。
彼らを信頼しているんだろうし、
この率直なやり取りが、本人たちを動機づける関わり方なのだなあと思った。
また、継続的に関わっているという点も大きいだろう。


翌日は、海岸地域に住む住民(役員会のメンバー)が、
住民に対して教材(紙芝居風)を使って津波の正しい知識を伝えた。


役員たちは、既に研修を受けてきたとは言え、
人前でやるのは、今回初めての経験だった。


それでも、あるコミュニティの若者の説明はとてもよかった。
複雑な津波の説明もわかりやすく話していた。

それから、例え話を加えるなどして、全体的に注意を引く内容だった。

例えば、避難をしている間に、家に強盗に入られるから、
避難しない人がいるという話があるけれど、
物は失われなかったとしても、命を失うかもしれない と。

 
3つのコミュニティを回って、活動を見学したが、
本当によくここまで来たなぁ・・・と思った。

だって、住民の活動は、仕事ではなく、ボランティアなのだから。
何の報酬もない というのに。。。
ただ、自分のコミュニティを守りたいという思いが支える活動だ。



住民もそうだし、役場の職員も、プロジェクトのコーディネータも、
皆、大変な道のりだったはずだ。。。


レオンの海岸の暑さと、待ち時間で
(いつものことだが、住民が揃うまでに40分くらいだろうか。。。)
私は、気を失いそうであったが、、、
とにかく、ここまで来てよかった と感じていた。





つづく・・・

Agostina [2011年08月04日(Thu)]
エルサルバドルでは、
今週は、アゴスティーナという夏季休暇になる。

役場は、水曜日まで通常の業務。
明日から日曜までが休みになる。

今日は、仕事後にたこ焼きをふるまう予定になっているが、
どうも参加者が多そうで、たこ焼きでは足りないような
気がしてきている。。。

ちょっとカレーでも作ろうかと考えている。

ということで、今日は仕事はそこそこにして、
準備に取り掛かる。

同僚たちが、朝から
「タコヤキ」「タコヤキ」「サケ(酒)」と連呼していて、
仕事にならない。。。




中米テレビ会議 [2011年08月02日(Tue)]
エルサルバドルでは3名の防災隊員が
活動中であるが、

エルサルバドル以外にも
中米には防災隊員が配置されている。

現在、コスタリカに1名、パナマに1名、それから
ホンジュラスに1名だ。

コスタリカの隊員以外は、派遣の隊次が異なるため
これまで、連絡などを取り合ったことはなかったが、

防災の活動に関する情報交換や、
今後、連携して何か取り組めることがあるのではないか・・・という
エルサルバドル隊員の提案から、
月曜日、JICA事務所にて各国隊員とのテレビ会議を行った。


会議開催の少し前から、隊員間でメーリングリストを通じて、
それぞれの任地の状況や配属先について情報交換をして、
会議に臨んだ。


各隊員の活動報告とともに、エルサルバドル隊員からは、
防災ダック・エルサルバドル版の紹介やワークショップの報告を行った。


今後は、定期的に情報交換を行いながら、
何か成果物として活動事例集などをまとめていこうという
話が挙がっている。


私の任期も残りわずか。
なんと来月には帰国なのだ!


これから具体的に活動をスタートしていく防災隊員たちが、
いい連携が持てるように、残された期間、出来る範囲で
協力できればと思う。


会議が終わるや、私はすぐにサラゴサに帰り、
例の社会科の授業に行ってきた。

昨日は、私立学校で、私の友人が英語の教員を
しているところだ。
あと、日本に住んでいた男子生徒もいるので、
私の通訳と解説も進んでしてくれるのだ。


活動の期限が迫るにつれて、
あれもこれもと、、、ますます忙しくなりそうだ。







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