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MUCHO GUSTO @ELSAL

エルサルバドル・・・エクアドルでもエチオピアでもない・・・聞きなれないこの地での活動の日々を綴る〜


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社会科 [2011年07月27日(Wed)]
サラゴサに着任して間もない頃、
学校の先生から、社会科の教科書に出てくる
「ヒロシマ・ナガサキ」について尋ねられたことがあった。
そして、授業で話をしてもらえないかと言われた。

当時は、資料も何も持っていないし、
そのうえ、内容的に自分の語学レベルではかなり難しいと思っていたが、
2年目に入り、ようやく私にとってその時が来たような気がする。
(まだまだ課題は多いのだけれど)


今週から、「ナガサキ・ヒロシマと戦争」という内容で
中学2、3年生、高校生を対象に話をする。

今日は、役場近くの学校の中学3年生の社会科の
授業に行ってきた。

内容としては、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下の背景、
その被害状況、特に核兵器の人体への影響、
被爆者のその後について、資料を使って説明した。
資料は、隊員連絡所にあったJICA広島のものを使った。

それから、戦時下に日本が中国やアジアの国々で
行ってきた殺戮。
また、エルサルバドル内戦時代の出来事、
エルモソテの虐殺についても触れた。

印象的だったのは、
日本の歴史は、生徒たちは教科書に出てくるので、
なんとなくは知っていたのだけれど、
エルサルバドル内戦時代の出来事を知っている生徒は、
一人もいなかったことだ。

それから、いくつかの問いを生徒に投げかけた。
その答えは、興味深いものだった。

明日の学校では、バージョンアップして
もう少し踏み込んだやり取りができるといいなと思っている。





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タコを求めて・・・ [2011年07月20日(Wed)]
先週は、職場の仲間たちに
たこ焼きをつくってご馳走した。

大好評だった。

けれど・・・
関西人に叱られるかもしれないが、
なんと、タコなし!


タコを求めて、サラゴサからバスに乗って港まで
買いに行ったのだが、結局、タコはゲットできなかったのだ。


それで、エビとイカのシーフードたこ焼きということになった。
葱はこちらでもあるので、美味しく焼けた。

こちらの人は、あまりタコは好きではないらしく、
結果的には、よかったみたいだ。


最初は、私が仕切っていたが、
私よりもエリックの方が上手に焼けるということが判明し、
途中から、エリックに全て任せた。

やはり、器用なひとは何でもできるのだ。


好評につき、来週もまた?
仕事の後にたこ焼きらしい。



特別支援学校 [2011年07月14日(Thu)]
前々から、サンタテクラ市にある特別支援学校(escuela especial)を
訪問したいと思っていた。

もちろん、防災教育のことでなんだけれど、
障害者福祉の分野は、自分が長く関わってきたテーマでもあるので、
何かコラボできることがあるかもしれないと思っていた。


障害のある子どもたちが通う学校は、
ラリベルタ県には、一校のみ。
唯一、サンタテクラ市にある。

サラゴサ在住の障害のある子どもたちは、大体ここに通っている
という話は、同僚から聞いていた。
役場が経済的支援をしている生徒もいるからだ。
その他の支援は、基本的にはないようだ。



それで、サンタテクラ市の防災担当者のマウリシオに
学校とのアレンジをしてほしいとをずっと前から訴えてきた。


マウリシオとは、これまで参加したプランインターナショナルの
研修会で一緒で、親しくなった。
エリックやホルヘの友人ということもあり、何でもお願いしやすい人なのだ。

私の分かりにくーい、しつこーい電話も、一応切らずに聞いてくれる。


というわけで、先日、
マウリシオと県庁で待ち合わせをして、一緒に学校訪問した。


なんのことはない。
事前のアポは取ってなかったらしい。。。
確か、調整を頼んだはずだったのだが。。。

結局、校長は不在だったので、
代理の教員と話をして、アクティビティの内容を紹介してきた。

訪問時は、体育の授業だったので、
生徒たちは、ほとんど校内にいなかったが、
午前中は、中・軽度の子どもたちが通っていて、
午後は、重度の子どもの時間帯になっているそうだ。


それから、数日後。
今度は校長先生から電話がかかってきて、
再度、打ち合わせに行ってきた。


来週いよいよ、
日本の紹介プラス防災のアクティビティという
内容で活動することになった。










ワークショップ en Guatemala [2011年07月12日(Tue)]
2日目。
この日は、グアテマラのCONRED(国家防災機関)にて
ワークショップが開催された。

私は、予想通り準備不足のまま
結局当日を迎える羽目になってしまった。。。


私の担当は、防災ダックの概要説明と
どのようにエルサルバドルで実践してきたか、
また、エルサルバドル版作成の過程を説明をする。


一応、プレゼン資料の内容は、
エリックに修正をしてもらっていたので、
OKだったのだが、、、

とにかく、喋りの方がかなり怪しいのだ。
シドロモドロしてしまうのだ。
さらに緊張なんかしたら、かなりまずい展開になってしまう。。。


あーん。
やっぱり、しっかりスピーチの練習しておくんだった!と。

いつものように、前日の深夜に私は反省していた。

さすがに、この日の夜は疲れ果て、
もう頭が働かなかったのだ。



そして、当日を迎えた。



CONREDの会場には約30名程の参加者があった。

内訳は、CONREDの教育部門の職員が半分くらい、
それから、教育省、学校関係者、NGO、CONREDのボランティアが
出席していた。


まず、始めに仲間の防災隊員が
防災教育全体の概要説明をした。
素晴らしい発表だった。

彼は、阪神淡路震災後の防災教育を受けてきた世代だ。
そして、学生時代から現在まで、国内外で防災教育を実践してきている。

語学といい、内容といい、これまでの活動の経験が
全て活かされているという印象を持った。


続いて、私の発表。


まず最初に、一言。 
私は、挨拶を特に準備していなかったので、頭に浮かんだことを言った。


「昨日、エルサルバドルからグアテマラに到着しましたが、、、
グアテマラの方がエルサルバドルより素敵です。
エルサルバドル人には内緒です〜 ここにいないですよね!」


と発したところ、予想外に会場が変に盛り上がってしまい。。。


わたしは、会場の反応に返って緊張してしまったのだ。

いやいや、本当にびっくりした。

日本語ならば、滑りだしがいまひとつだと(会場の反応も悪いと)
私は、安心して話を進めることができないのだが、、、

ここでは、滑り出しとしては、多分よかったはずなのだが、
私自身が予想していなかった会場の反応に動揺してしまったのだ。
いやいや、本当に参った。。。

考えていた言うべき内容も、いくつかすっ飛ばしてしてまった。

だめだね。

とにかく、説明不足の部分は多いけれど、
ひとまず、担当部分は終えることができた。


質疑応答も、専門家(日本人)に助けてもらって
お陰様で無事終了。
Gracias Dios !!

とにかく、私はほっとした。


その後は、仲間の防災隊員にバトンタッチ。
実際のアクティビティの様子をビデオで紹介したり、
防災ダックの多様な使い方が具体的に示された。

私以外の仲間は、言葉の心配がないので、
本当に安心して見ていることができる。


それから、参加者を4つのグループに分けて、
各グループごとに、防災ダックを使ったアクティビティを企画する。
アクティビティの持ち時間は、30分程度だ。


そして、昼食後。
私たちはCONREDの近くにある公立学校へ移動して、
2つのクラスを訪問し、アクティビティを実施した。


この実践編のワークが、
最も効果的であったと私は感じている。

私たちが想像していた以上に魅力的なアクティビティが
彼らによって次々に展開された。

例えば、グアテマラの歌を使って、子どもたちに災害の話をしたり、
新たに歌をつくったり、、、

子どもたちへ教えるテーマについて、
新たなアクション(動き)をつけて、子どもが喜んで覚えるようにアレンジしたり、


それから、防災ダックを使って、正しい答えを選ばせるゲーム方式を試したり、と。


本当に素晴らしいアイデアが紹介された。
これは、今までエルサルバドルではなかった展開だ。
グアテマラ独自の教材開発の可能性を感じる。


そもそも、CONREDには、教育部門(防災教育・研修を担当)が機能しており、
教育省、NGO、企業、ボランティアなど多様なファクターと連携して
これまで、防災イベントを実践してきたという素地が既にある。

ワークショップ参加者も教員免許のあるCONRED職員や
教育関係者が多数含まれているので、この手のアクティビティや
その開発は、得意な分野なのだ。


悪いけれど・・・
やはり、エルサルバドルの国家防災機関(Proteccion Civil)と
比べてしまうと・・・人材の量も質も全然違う。




さて、最後の振り返りのワークでは、
インドネシアで開発された防災ダックインドネシア版を紹介し、
今後のグアテマラ版(中米版)の可能性も話された。


それから、最後に参加者一人ひとりへ私たちから修了証を授与した。

これは、エルサルバドルでもそうなんだけれど、
こちらでは、ディプロマを研修の最後に授与する習慣があって、
CONRED側が用意していた。


こうして、グアテマラでのワークショップは、
今後につながる手ごたえを感じながら終了した。








出張  [2011年07月11日(Mon)]
先週は、水曜から金曜まで
グアテマラへ行ってきた。


前にも書いたと思うけれど、
日本の防災教材を基に、エルサルバドルで開発した
「防災ダック・エルサルバドル版」の紹介とともに、
その普及とグアテマラ版開発を視野に入れたワークショップが
グアテマラ国家防災機関(CONRED)で開催されたのだ。



グアテマラは一般渡航禁止のエリアなので、
初日、事務所から安全対策のレクチャーを受けた。

グアテマラの場合は、エルサルバドルと異なり、
外国人を狙った犯罪が多く、外国人観光客の被害が特に多いという。
(だから、一般渡航禁止になっている)
首都では、隊員も数件被害に遭っているそうだ。

首都のホテルや高層ビル街は、エルサルバドルよりも
ずっと治安が良く見えたが、、、
一見、素敵な街であっても、
昼間も犯罪が発生していて、ほとんど歩けないようなのだ。


といっても、私たちの場合、ほんの3日間。
しかも、目的は観光ではなく、プロジェクトサイトの視察か
研修会の開催だったので、街に出歩く時間自体ほとんどなく、
全て手配車両での移動だった。


なので、残念ながら、
今、グアテマラにいるんだなぁ!という
実感があまり持てなかったのだ。


けれども、開催したワークショップでは、
これまでにない貴重な体験をすることができた。


これまで、防災隊員が地道に実践してきたことが、
広くグアテマラの防災関係者の人たちと共有できたこと、
これが、思っていた以上の反応であったこと。
本当に嬉しい体験だった。


そして、これからのグアテマラでの展開に期待したいと思う。





つづく




大人の遠足 [2011年06月29日(Wed)]
土曜日は、役場のレクレーションで、
私たちは、貸し切りバスに乗って、
ラリベルタ県にある海岸に行ってきた。


この経費は、役場の税収ではなく、
市議たちのポケットマネーだと言うが、
本当のところはわからない。。。


トゥンコ(豚という意味)という海岸までは、
サラゴサからバスで30分程度。


道中、田舎に住む同僚をピックアップしていく。

なんだかしらないけれど、車中は小学生の遠足のように
異様に盛り上がっていた。
ほとんど男子だというのもあるけれど、
こちらの男性は、年齢に関係なく本当に男の子という感じがする。


さて、この海岸は、ラリベルタ県の貴重な観光地の一つで、
欧米人のサーファーなどが出入りしている。
欧米人経営のこじゃれた店(カフェバー)なんかもある。


私は、そういうお店に入ってみたかったのだけれど、、、
私たち同僚は、節約組だったので、


そこから歩いて、20分くらい離れた施設を借りて、
そこで昼食をつくり、そこで1日ステイ。
備えつけの小さなプールで遊んだり、
エリックたちとバレーボールをした。


残念だったが、私はプールには入らなかった。
というのも、以前にエルサルバドルのプールに入って、
その後、湿疹(多分、溶連菌だと思う)が出てしまうという
なかなか辛い経験があったからだ。


同僚でも真面目なクリスチャン系の人たちは、
水遊びやスポーツを満喫。
エリックなど堅実な同僚が含まれる。


一方、ちょいワル系の人たちは、
近隣にあった商店の中に終日居座り、
ひたすらビールを飲み続けていた。


飲酒は、やはり田舎では印象が悪いので、
そのあたりのところは、彼らも配慮していて、
あまり人目に触れないようなところで
こっそり飲んだくれていた。


私は、たまたま商店に買い物に行き、
途中からこのグループに属していた。
つまり飲んだくれ。


同僚のなかでも、比較的収入の高いアンディが
全額払ってくれた。


日本では、仕事の帰りに同僚なんかと一杯飲んで帰るなんて
いうのは、珍しいことではないけれど、
ここ、特に田舎では、あり得ないことだ。
首都やサンタテクラ市には、こぎれいなパブなんかもあるので、
そんなことはないが。


サラゴサには、まずそんな店はないし、
世間の飲酒に対するマイナスイメージが強い。


酒屋付近はうす汚れ、酔っ払いが昼間から寝ていたり、
本当に近寄り難い、頽廃した雰囲気が漂う。
飲酒=悪 という図式が分かりやすく間近で示されているのだ。



だから、この日だけは特別だった。

私たちは、特別な感じを満喫して、
同僚たちとがぶ飲みした。


本当に皆、がぶ飲みだった。




にわかに・・・ [2011年06月23日(Thu)]
先々週から、防災教材(Pato BOSAI)のPR行脚が続いている。

隣りの県、ラパス県の防災担当者会議へ出席したり、、、

隣りの市サンホセビジャヌエバ市の学校では、
防災担当者向けの研修(防災教材の活用方法を実地で紹介)も開催した。

さらに、国レベルの市民防災局局長へ
教材の贈呈式まであったりして、、、

なんかちょっと行き過ぎのような気もしないでもないけれど、
とにかくニーズがあるということで、まぁいいのだろう。。。


来月には、なんとグアテマラ防災当局でのワークショップが
控えている。

現在は、防災隊員3名で役割分担をして、プレゼンの準備をしているところ。
私は特訓をしないと、まずいはずなのだが。。。
また直前になりそうで怖い。




それから、先月からとりかかっていた
防災リーフレットの作成も完成に近づいている。
印刷会社に見積もりを取り、今月中にも発注できそうだ。
多分。

今回は、サラゴサ市役所が印刷代を出してくれるようなので、
市長宣伝のマークをつけてもいいよ。ということにした。
それで、レネも喜んでいる。

市長自身も、リーフレットの中身よりも、
まず、自分のPRの文言(ダニーは何とかかんとかという文句)は
入れないのか?と言っている。

この市長に対して、私は決して好感は持てないが、
色んなところから支援を引っ張ってくるのは上手いと認めている。

お陰で、学校建設、橋の建設、道路や階段の建設、
どれも海外の団体や企業の支援で、サラゴサのコミュニティ開発は順調なのだ。


ということで、私にとっては市長のPRもよし。
役場の事業費だし、まあいいかと言う感じだ。

私も、活動がもう終息に向かっているせいか、
かなり寛大になれる。


とてもいいことだ。



帰国まであと3カ月なのだ。
内戦 [2011年06月15日(Wed)]
引き続き、行脚でパタパタしていた。
詳しくは、また報告したい。


ところで、ちょっと前になるけれど、エルサルバドル東部にある
モラサン県のペルキンという都市に行ってきた。

ここは、エルサルバドル内戦時代、
政府軍とゲリラとの激しい戦闘があったことで、
有名な地帯だ。

戦争資料館のすぐ近くに仲間の隊員が住んでいるので、
今回は、大勢の仲間で行ってきた。


首都サンサルバドルから、高速バスでサンミゲル(東部の大きな都市)まで3時間。
そこから路線バスで約1時間かけて、モラサン県サンフランシスコゴテラ市へ移動。
それから、さらにピックアップに揺られること1時間半、ぺルキン市にたどり着く。
長旅であった。


ぺルキンは、エルサルバドル東部地帯のなかでは、
比較的涼しくて過ごしやすい。
山に囲まれ、松の木もあり、なんだか日本を思わせる。


私たちは、戦争資料館と、それから
1000人以上の村人たちが虐殺されたという、
エルモソテという村を訪ねた。

政府軍によるゲリラ一掃のための虐殺であった。
犠牲者には、多くの子どもたちが含まれていたという。


政府軍をアメリカが支援していたということで、
虐殺には、アメリカの軍人も加わっていたという。
エルサルバドル内戦中の1981年12月のことだ。


その時、一人だけ生き延びた女性の記録があるので、
追って紹介したい。
ぞぞっとする恐ろしい記録だ。


現在のエルモソテは、なんとアメリカの支援で
井戸をつくったり、、、開発が進んでいる。。。



考えると頭が痛くなる。本当に。





PR行脚 [2011年06月01日(Wed)]
季節は、雨季へと移り変わり、
日中は曇り空。 夜間は豪雨だったりする。

今年は、自宅の屋根が新しくなったので、
雨漏りもなく、深夜も安心して眠れる。
有難いことです。

ダニには既にやられてしまったが、
昨年家族に送ってもらったダニ対策グッズの残りが
まだあるから大丈夫だ。



ところで、ここ最近の動き・・・
防災教材「防災ダック・エルサルバドル版」のPR活動が
思いのほか活発化している。


先週は、防災隊員3名でラリベルタ県の市民防災局の
防災担当者会議に行ってきた。
事前に、サラゴサ市防災担当者のホルヘに頼んで、
アポをとっていた。

場所は、ラリベルタ県の県庁所在地であるサンタテクラ市。
県庁は、市役所のすぐ近くにある。
ラリベルタ県は14市からなり、市の防災担当者たちの会議が
月1回、開かれている。

そこで、私たちは、冒頭の時間を少しいただいて、
日本の教材「防災ダック」の概要説明と
エルサルバドル版作成のプロセスなどを簡単に紹介した。

それから、実際の活用の様子をビデオで見てもらい、
最後に、県の市民防災局へ教材3部を贈呈した。


まずまずの反応であったと思う。


だいたい、市の防災担当者は、
学校の避難訓練実施前後などで
子どもたちに話をする機会も多いので、
本来ニーズとしてはあるはずだと思う。

けれども、ここでは防災教材についてあまり聞いたことがない。
確か、高学年向けのが一つくらいあったと思うが、、、
学校等で活用している事例は、全く聞かない。


今後は、サラゴサ市に隣接する市、
サンホセビジャヌエバ市の学校で各市の防災担当者を呼んで、
一度、デモンストレーションをする予定になっている。
まだどうなるか分からないけれど。

サンホセビジャヌエバ市は、防災プロジェクトの入っている市で、
日頃から会議や研修等で私たちも担当者と顔を合わせる機会が多く、
防災ダック・エルサル版作成過程も意見を求めたりしてきた経緯がある。


来週は、ラパス県の県庁、そして総務省の市民防災局へも
防災隊員で訪問の予定だ。
我々のPR行脚は続く。。。






訓練の練習 [2011年05月26日(Thu)]
水曜は、サラゴサ市の総合避難訓練だった。


午前9時、震度6の地震が発生という想定で
2つのコミュニティで同時に避難を実施した。

3人の負傷者がコミュニティで発生するというシナリオで、
妊婦、それから頭部の負傷、足の負傷者を設定していた。
(住民の方で負傷者役を用意した)


まず、コミュニティの防災委員会の人たちは、
負傷者の応急対応をして、避難場所(広場)まで担架で移動させる。


そこで、保健相談所の職員(プロモトールという健康啓発員)
がトリアージをして、関係車両が到着次第、
保健所のクリニックへ搬送するという内容であった。




実際は、かなりドタバタだった。


全体を把握しているのは、防災担当のホルヘだったのだが、
現場の無線が、使えなかったりして、実施直前から既に混乱していた。


それでも、ま、とにかく無事終了。


細かいことを言えば、いろいろ目につくことはあるけれど、
スケジュールやら、関係者の配置、車両の手配など、
ほとんどは、自治体側のコーディネーションの不手際であって、

とにかく、住民の人たちが協力的で、よく準備したと思う。
率直に素晴らしいと思った。


もともと、協力的なコミュニティ2つを
選んだということもあるけれど。


ひとつのコミュニティ(プログレッソ)は、
そもそも役員会が、機能していて、
以前の震災写真展のときも、防災委員の人たちが、
毎日手伝いに来てくれたくらいだから。




ところで、今回の避難訓練は、
NGO、プランインターナショナルの支援のもと、
というか、つつかれての事業だった。


が、プランインターナショナルのコーディネーターは
ほとんど何も事前の準備を手伝わず、自治体任せだった。
機材は、JICAの供与したものを使ったし、
一体、何をサポートしたのかわからない。

それで、同僚のエリック、レネは日頃から、
JICA防災プロジェクトとの関係が強いせいか、
その役割は、一応きちんと果たすのだけれど、
プランの方は、あまり関わりたがらず、
(多分、防災関連のプロジェクトは2つも必要ないのだと思う)
結局、二人とも今回の避難訓練には距離を置いて見ていた。
つまり、手伝わなかったのだ。
(人間関係も色々と含んでいるのだ)


というわけで、県の市民防災局から派遣されている
市の防災担当者ホルヘ一人が、全体把握及び
指揮をとることになった。


私は、事前の会議にも参加したり、
コミュニティの住民対象の即席応急対応の講習会も手伝ったりしていた。


けれど、防災担当者ホルヘ一人だけでやっているので、
本当にズルズルなのだ。
会議運営、準備等、全てにおいて。
一緒に仕事をするのが、大変だった。。。


訓練実施の前日。
夕方から、コミュニティで応急対応、担架移動を
講習会に参加できなかった住民たちが練習するというので、
手伝いに行った。

そこまではよかったのだが、


夜の8時近くまで、真っ暗闇のなかで、
コミュニティの人とあーだこーだとやっていたのだ。。。


ほんとに、コミュニティの人たちは、真面目だ。
翌日に控えた訓練のために、練習をしておくなんて
エルサルバドル人とはちょっと思えない。
素晴らしい。


多分、多くの人が役員も含めて、初めての経験で、
平日で女性しかいない状況だったので、
訓練のことが不安だったのだと思う。



ようやく、準備も万全で帰ろうかと思いきや、

ホルヘが避難訓練用のチョッキが
(市民防災局の関係者だと分かるオレンジ色のチョッキ)
足りないと言いだし、、、
隣りのコミュニティの役員の家を、訪ねるというのだ。
もう8時過ぎだというのに。。。


私は、一人で自宅まで帰れる時間帯でもなく、
しかもバスの方が危ないとホルヘが言うので、
結局、ホルヘと一緒に徒歩で隣りのコミュニティに寄って、帰宅。
自宅にたどり着いたのは、9時過ぎだった。


それでも、ホルヘはまだチョッキが足りないと
行って、他のコミュニティに行っていたが、、、


こういう仕事の仕方は、レネもエリックもしない。
そんなんで、仕事の仕方は全くスムーズでないんだけれど、
効率的でない分、住民の人とも関わりがいろいろあって
逆に面白い部分もある。


役員宅で水浴びして、シャンプーして帰ったり、、、
こういうのも、たまにはいいかもしれない。


たまにはね。





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