環境隊員と行くA
[2010年07月24日(Sat)]
続いて2日目。
この日は、METAPAN から車でガタガタ道を行くこと。。。
1時間半くらい。
すごい山奥にある「モンテネグロ」という村に行った。
この村では、実際に住んでいるのは200人。
アメリカに出稼ぎに行っているのが、280人だという。
話によるとだけれど、そうらしい。
村人たちは、ほとんどアメリカからの送金を頼りに
暮らしているという。
あとは、農業やカフェの生産が少しくらいで、
多分、ほぼ自給自足の生活だ。
この日は、清掃活動の予定であったが、
保健相談所に配置されている保健推進員(promotor)
が、ドタキャン。
前日は、OKだと言っていたのに。。。
村人にも事前の周知がされていなかった。
急きょ、学校の先生に依頼して、
生徒たち数名とコミュニティの役員と一緒に
学校周辺のごみ拾いをした。
一方、モデルに選ばれた家では、お掃除の仕方
を学ぶアクティビティが実践された。
私は、子どもたちと清掃に出ていたので、
参加できなかったけれど、生活の場を衛生的に
保つために、大事なポイントを伝えたらしい。
この内容は、デング熱や食中毒、伝染病を予防することを
意識した生活改善のためのアクティビティだと言える。
活動後、昼食をいただき、この家(モデルの家)の家族と
話をした。
子ども10人。うち3人はアメリカで働いているという。
不法入国だという。
国境域の山村は、結構多いのかもしれない。
今回、METAPANを訪問した理由は、環境教育の手法などを
学ぶためだったが。。。
結果として、いろいろな課題を目の当たりにした。
その一つは、
アメリカからの送金を頼りにして暮らしている人の多さだ。
普通の人が、普通に仕事を持ち、普通に暮らせない
社会の構造を持つエルサルバドル。
私の住むサラゴサでも、仕事がないひとが多いのは日常的
なことので、日頃はあまり気にならなくなってしまっていたけれど、
コミュニティ全体にまで及ぶ問題となると、
ようやくその深刻さに気づかされる。
いろんな思いを抱えて、ここエルサルで、私は暮らしてる。
とにかく、今、私にできることをやろう と。
また原点に帰る。というか、
そう自分に言い聞かせる。
この日は、METAPAN から車でガタガタ道を行くこと。。。
1時間半くらい。
すごい山奥にある「モンテネグロ」という村に行った。
この村では、実際に住んでいるのは200人。
アメリカに出稼ぎに行っているのが、280人だという。
話によるとだけれど、そうらしい。
村人たちは、ほとんどアメリカからの送金を頼りに
暮らしているという。
あとは、農業やカフェの生産が少しくらいで、
多分、ほぼ自給自足の生活だ。
この日は、清掃活動の予定であったが、
保健相談所に配置されている保健推進員(promotor)
が、ドタキャン。
前日は、OKだと言っていたのに。。。
村人にも事前の周知がされていなかった。
急きょ、学校の先生に依頼して、
生徒たち数名とコミュニティの役員と一緒に
学校周辺のごみ拾いをした。
一方、モデルに選ばれた家では、お掃除の仕方
を学ぶアクティビティが実践された。
私は、子どもたちと清掃に出ていたので、
参加できなかったけれど、生活の場を衛生的に
保つために、大事なポイントを伝えたらしい。
この内容は、デング熱や食中毒、伝染病を予防することを
意識した生活改善のためのアクティビティだと言える。
活動後、昼食をいただき、この家(モデルの家)の家族と
話をした。
子ども10人。うち3人はアメリカで働いているという。
不法入国だという。
国境域の山村は、結構多いのかもしれない。
今回、METAPANを訪問した理由は、環境教育の手法などを
学ぶためだったが。。。
結果として、いろいろな課題を目の当たりにした。
その一つは、
アメリカからの送金を頼りにして暮らしている人の多さだ。
普通の人が、普通に仕事を持ち、普通に暮らせない
社会の構造を持つエルサルバドル。
私の住むサラゴサでも、仕事がないひとが多いのは日常的
なことので、日頃はあまり気にならなくなってしまっていたけれど、
コミュニティ全体にまで及ぶ問題となると、
ようやくその深刻さに気づかされる。
いろんな思いを抱えて、ここエルサルで、私は暮らしてる。
とにかく、今、私にできることをやろう と。
また原点に帰る。というか、
そう自分に言い聞かせる。
英語ができるとできる仕事の種類が増え、収入も多くなり、そしてアメリカでさらに稼げるようになる。そういう仕組みがあります。プロジェクトで知り合った公務員数名は途中でアメリカに出稼ぎに行ってしまいました。
日本だと過疎の村から東京に出稼ぎに行く感覚なのでしょうか。密入国や不正労働で摘発されて強制送還された過去を持つJICA研修員もいました。彼らのためにアメリカを経由しない渡航ルートを探さなければならなかったことを思い出します。
課題が多いですが、その中でたくましく生き続ける彼らのエネルギーについても学ぶことが多いです。