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MUCHO GUSTO @ELSAL

エルサルバドル・・・エクアドルでもエチオピアでもない・・・聞きなれないこの地での活動の日々を綴る〜


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災害発生B [2010年06月23日(Wed)]
先週は、NGO( Plan Internacional) の宿泊研修に同僚と
一緒に参加し、防災に関するワークショップの手法を学んできた。

・・・ブログの更新をのろのろしていたら、
次の台風が来てしまいそうだ。
急がなければ・・・



3日目以降のこと。


5/31(月)
午前中、教育省の寄付のおもちゃで
子どもたちがそれぞれ遊んでいた。
私は、さりげなく、小さい子と一緒に教育パズルに挑戦していたら、
いつの間にか、大勢の子どもたちに取り囲まれてしまった。

多分、東洋人が非常に珍しいのだと思う。
そのあとは、サッカーをやったり、縄跳びをしたり、サルサを練習したり・・・
あっという間に仲良しになった。
私は、20人くらいの子どもたちを集め、日本の遊び「だるまさんが転んだ」を
紹介したりした。


ちょっと飽きてきたところで、子どもたちがエルサルの遊び
「はないちもんめ」みたいなものを紹介していくれた。
私は、その歌詞が全然わからなかったけれど、
なんとなく一緒に歌ったりして雰囲気を楽しんだ。


一方、この日は、教育省の視察があり、
役場関係者や学校、保健所、警察署の関係者などが
会議に出席した。
そこで、避難所の運営について、もっと細やかな支援をするように指摘されたようだ。
教育省・・・かなり高圧的な雰囲気を感じる人たちであった。


午後から、避難所の運営はかなり管理的に変化した。
まず、夜勤者が2名、そして、遅番(PM8時まで)が
1名の役場関係者がつくことになった。

入口には、警官2名が張り付き、出入りが厳しくチェックされるようになった。
また、日々の食事内容、量の記録がつけられ、
避難所管理者、炊事担当者のサインも記録につけるようになった。
それから、避難者ひとりひとりの状況調査も行った。


翌日、火曜日。

午前中は、子どもたちが用意した塗り絵をして、
その後、私から活動を提案。
それは、エルサルの男の子、女の子を詳しく知るための
私に必要なワークで、好物や好きな遊びやテレビ番組や
スポーツなどをどんどん挙げてもらい、書記の子に記録をしてもらい、
最後にみんなで絵を描いて、模造紙の表を完成させた。

午後は、日本の折り紙を紹介し、「うさぎ」と「かぶと」を作った。
いつものことだけれど、折り紙は、子どもにも大人にも大好評だった。



夕方、厨房で働くお母さんたちの手伝いをしながら、話を聞いていた。
私は、エルサルの主食トルティーヤ作りを、ほんの少し手伝ったりした。

厨房にいると、避難所運営に関する不備がよくわかる。
炊事担当のお母さんたち(避難者で構成されている)が、
役場の対応の不満など、いろいろ話が出てくる。

その中で、食器を洗う洗剤が切れていて、
いつからか水洗いで済ませていたらしい。
役場の人に言っても、未だ対応されていないということだった。

避難所の運営には、いろんな人が関わっているけれど、
責任者が明確になっていなかった。
これは今回明らかになった課題なんだけれど。

それで、私は同僚に相談し、同僚が役場に帰って話をして、
なんとか夜の買い物の際に、購入して対応することができた。





木曜日。

夕方、私の配属先(promocion social)の同僚が、
避難所の支援を続けたかったけれど、わけがあって
自分たちは撤収することになったと話された。

詳細は教えてくれなかったが、私のカウンターパートの一人である市議に対して
避難所運営に関しての意見を言ったことが、彼の怒りを買ってしまい、それが原因だと言う。
誰にも言うなと再三言われた。


その後のことになるけれど、私の配属先は事務所(JICAの支援を受けている備品が
多い部屋)から追い出されてしまい、役場の片隅に移動することになった。
これについては、改めて伝えたい。




金曜日。

私は変わらず避難所に通った。
私の役割は、子どもたちとの時間を大事にすること。
そして、私の視点で避難所運営で気になる点を
役場の関係者に伝えて、改善することだと勝手に認識していた。


避難所運営で気になることの一つは、「ゴミ」のことだった。

1日に何回も清掃を大勢でやっているにも関わらず、
すぐに教室も校庭も汚らしくなる。

理由は、ただひとつ
「ポイ捨て」のせい。

これはもう習慣になっているので、手ごわい。
解決まで時間のかかる課題だが、
今後、防災だけでなく、取り組みたい大きな課題だと感じた。



夕方。
ラリベルタ県の他の市にある、エバンヘリコ系教会の人達が来てくれた。
教室での礼拝のあと、夕飯、支援の品(古着など)を配ってくれた。
大人たちが熱心に賛美し、いつもより生き生きしていたのが印象に残った。

お母さんたちは、今日は夕食(50人分)の用意をしなくて済む
と言って、喜んでいた。

やはり、私もうれしかった。
政府やNGOなどの組織の人が仕事で来る支援と違うように感じられた。
なんだか嬉しかった。
もちろん、色んな団体からの寄付なども嬉しいのだけれど。

この気持ちについては、私なりにもう少し吟味する必要があると思う。
なんだろうなぁ。
ボランタリーな活動ならではの魅力なのだと思うが。。。



一方、この日、役場では各地域、および家庭のだいたいの視察を行い、
帰宅できるかどうかの確認を行った。






6/5(土)。 最終日。


朝からいい天気だった。
この日、避難所は午前中に大掃除を済ませ、
各家庭が持ち帰る支援物資を荷づくりした。

役場の車が用意され、午前10時には
皆、それぞれの家へ帰って行った。

笑顔だった。


私は、家族ぐるみで仲良くなったひとたちと
連絡先の交換をした。


彼女たちの通っている田舎の学校に
今度は、防災の活動で是非行きたいと思っている。



8日間の避難所は解散した。
これが、もっと長い期間であった阪神淡路の震災のことを
思うと、ぞっとする。



まだまだ台風シーズンに入ったばかり、
これから、カウンターパートに避難所運営の振り返りを提案したいと
考えている。





つづく
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コメント
人間関係は大変ですね。
市長が変わると職員が総入れ替えになる国だとなおさらです。
選挙時期に市職員全員が「あなたのアミーゴ、ダニー」というプリントTシャツを着てるのを見てびっくりした覚えがあります。

ゴミの問題は住民自身も意識しているはずです。昨年実施したDIGのWSでは解決すべき課題としてゴミ問題があり、まずは自分たちの家の周囲のゴミを収集しようとか、買物に行くときはマイバッグを持参しようとか非常に優等生の発言がありました。
言うだけは言って、行動に移らないのがもどかしいのですが。
ペットボトル回収でお金がもらえるように、ゴミ収集による地域の美化が収入や食べ物につながるようになるとモチベーションを上げやすくなるとは思います。
放置したゴミが詰まって洪水を引き起こすことについては、災害直後は何とかしたいと意識していても、日常生活でその意識を継続させることは難しいですから。
市が美しいまちづくり活動とか始めて、コミュニティ活動支援してくれるといいですけど。あとはNGOに提案でしょうか。
今は具体的な支援スキームを見つけられませんが、関係者に問い合わせてわかればまたコメントします。
Posted by:あらきだ  at 2010年07月07日(Wed) 12:46
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