CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

« 2021年06月 | Main | 2021年08月»
可能性にフタをしないこと [2021年07月31日(Sat)]

不登校だったのに、高校に入学できてよかったね。
不登校を経験しても、立派に働いているのはすごい。

不登校であることは、可能性がないことと同義だと思われています。

学校にゆくかゆかないか?学校でいい成績をとるか取らないか?
子どもたちの可能性にフタをしているのは、誰なんでしょうか?

「学校にゆかないのは、子どもの可能性を奪うことだ」というフタをつくっているのは、大人の価値観です。そのフタを受け入れて、自分で締めているのは子どもです。自分でフタをしたものを、簡単に外すことはできません。
だから、子どもたちは深く苦しんでしまいます。

逃げることもできません。

大人は、その罪深さを自覚することもしません。

自分たちの知恵を、どんどん集めれば、どんどん成果も出せるのに、子どもたちはどんどん行動を制約されます。エネルギーを奪われた子どもたちは、出せる成果も出せなくなります。

フリースクールでは、お互いの力を集めて挑戦してゆきます。
子どもの可能性を開いてゆきます。

自分の可能性にフタをしないように。

夏休みという天国を大事にしよう [2021年07月29日(Thu)]

学校にゆかない子どもにとって、学校が休みなんて関係がないと思うかもしれません。
どうせ学校にゆかないのだから、休みだろうが、試験をやっていようが関係ないだろうと思うかもしれません。

でも、学校のことは気になるのです。
不登校の子どもは、学校を気にしている。
それくらい学校は、まだまだ不登校の子どもに影響力があると思います。

だって学校は、社会と同じだから。

子どもは日本の社会が怖いんです。

それは、異質なものを受け入れないという怖さです。

積極的に反対もしないけれど受け入れない。

なんと不気味なことか・・・・。

受けれ入れらないと、多くの人はめげます。
不登校の子どもだってめげます。

めげてもいいから、夏休みは思い切り楽しんでほしいなあと思います。

楽しみまで奪われることは、誰も望んでいませんから。
大人に従わなくてもいいんだよ [2021年07月25日(Sun)]

父親になって、意外なことに気がつく。
息子が自分に似ていると言われると、妙にうれしいのだ。この感覚は親になったから感じるのか?
種の保存という観点で言えば、自分に従う子どもがいるだけで安心するのか?

私自身もよくわからない。
要は、自分がこの世に生まれた証としての、子どもの存在を嬉しく感じている「だけ」の問題なのだろう?我が子から言わせれば、我が子というのもおこがましいくらいに、父親に似ていると言われることが気に入らないらしい。


これは、自分もそうだったので良くわかる。

幸いにして、私は父親に似ていない。

本題はここから。

大人に従う必要って本当にあるのですか?
子どもの頃からの悩みでもあります。
お父さん、お母さん、学校の先生のいうことを聞かないと幸せになれないのでしょうか?

結論から言えば、大人に従わない方が社会を変えられる可能性があります。現状の社会に、順応しすぎない方が疑問が生まれます。疑問をたくさん持つ子どもの方が、自分で考える力がつきます。社会への不平不満をいうことは、社会を変えることができない自分を慰めているだけであることに、気がつきます。

本気で社会を変えたかったら、大人に順応しない子どもになることです。

自分で考える、行動する変化をつくる。言語化することの繰り返しです。
間違いを探しと創意工夫 [2021年07月16日(Fri)]

最近誤字が多い。
書きたいことがたくさんあるので、勢い余ってどんどん書いてしまいます。
勢いで書いているので、間違うことも多くあります。
間違うことは悪いことかもしれませんが、人権侵害でもしない限りは多様の誤りは許してもらおうと思っている。私は、間違うことと、できないことと、勇気があるわけでもない。けれども創意工夫は大好きだ。
たくさん工夫をすれば、「それだけ楽しい」自分なりの挑戦がたくさん入っている。
私は、いつももっとたくさんの工夫ができるはずだと信じて疑わない

不登校をしていると、たくさんのことができる時間が山ほどある。

自分の思い通りにしようと、指導する人もいない。このことがとても大事だと思っている。

不登校は、たくさんの間違い探しにさらされながら。
その行為自体を、間違いだ。自殺行為だと否定されながら。

けれどもめげずに、創意工夫をしてゆくことが楽しいし、次につながってゆきます。




多くの人と関われないのは、無価値なのか? [2021年07月07日(Wed)]

子どもが不登校した時に、親が心配するのは人と一生関われないのではないか?

大雑把で、かつ大胆な宣告です。

人と関わって仕事ができないとすれば、仕事を一生できないのではないか?と思う大人は実に多いです。大勢が嫌い、合わせるが嫌い、全員で目的を達成できなくてもいい。

やりたい目標を、自分で達成するだけでもいい。

誰もが個人として、生きたいように生きればいい。

私は、逆に問いを出したいのですが・・・・・。


誰かと協調性があっても、やりたいことのない人はただ流されるだけではないか?

私は変な協調性で、仕事をやっても本当に、本人が誰が満足するのか??疑問です。

みんなが仲良く仕事をしている姿が、好きな人もいるのかもしれません。

仲いいのは大事誰でも、同じ目的があればこそだと私は思います。

ただ仲の良さを、強調されると私は断然少し引きたくなります。