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「こども時代の幸せな時間」を増やしたい [2021年05月29日(Sat)]

 誰もが選択肢を増やしたいと思います。
スポーツに力を入れている。音楽やダンスに力を入れている学校。たくさんの選択肢があることは、これからを生きる若者たちには、選択肢が多いことが喜びを支えている条件の一つにもなっています。どの選択肢を選んでも失敗なんてありません。
 失敗を怖がる若者は多いです。しかし、それは怖がらされているだけだと。私たちは思います。

どうして・・・・・?

これまでの教育は失敗をしないようなことを強調するために、たくさんの練習と準備をします。
果たして、多くの時間をかけて、準備を重ねることで、人は幸せになれますか?

たしかに、安心や安定。大きな失敗をしなくなるかもしれませんが、いつも満足できない。満足できない自分がいるのではないでしょうか?納得できない、つまらない。

選ばれる学びとは何か?

私たちは、いつも何を大事に学びをつくるべきか?

結論から言えば、こども時代の幸せな時間があまりにも少ないことの問題に気がつきます。

誰もが自分の才能も発揮したいのです。

準備をするよりも、機会と選択肢を増やすことがとても大事だと私たちは考えています。

自分で挑戦する力が大事だと・・。


こだわりは捨てられない、苦しむときもあるけれども、楽しみもある [2021年05月18日(Tue)]

僕らはみんな、自分でが認められないことを受け止めることが苦手です。
不登校も、学校の成績の急下落も、スポーツで活躍できないもいじめも
どれだって親は、受け止めたくはないです。

しかし、渋々受け止めるには甘いものの力を借りたり、アルコールを飲んだり、様々な力を借りて受け止めるわけです。

時に、肥満だけではなく体の痛みになったりもします。

でも、そのうち親は、生きてゆくモチベーションを子どもに依存しすぎてはないいないか問題に、ぶち当たります。そうです。子どもは親の言うことなんて、なんの頓着もないのです。いい学校も、きれいな彼女も、かっこいい車にも興味がなかったりします。

それでもいい。

少しづつ親は、「そうなんだ」という受け止めてください。
「そうなんです」
親は受け止める訓練をが必要なんだと思います。
親の受け止め力を高める!


子どもを手放したら、親はどうなる [2021年05月13日(Thu)]

 子どもが、ジブンで自由に生きたいと思った時に、親とは全く別の道を歩みます。それが、たまたま学校にゆかないという道だったら、あなたはどうしますか?とても認められないか、子どもであっても、他人なので自分の思い通りにならないと思うのか?
 どこかで子どもの判断に委ねなければなりません。
子どもの人生なので、子どもに返すだけです。しかし、子どものためを思うと、そうはいかないという親も多いです。子どものためを、親が決める。これは、異様にも映ります。

親は子どもを信用していないわけではありません。
でも、自分の判断をこ子どもが受け入れてくれないというジレンマを抱えています。

さて、どうするのか?

正しい答えは、親の中には見えているのではないか?と考えています。

 
 
「教育機会の確保法案」とJRと私鉄の相互乗り入れ [2021年05月09日(Sun)]

これまでの教育は、学校教育法の1条校とそれ以外。公立高校と私立高校。フリースクールは塾とも違うし、学校でもない。得体のしれないものでした。言葉は悪いですが、営業免許のないタクシーみたいなものでしょうか?
 田舎でタクシーがないところでは、隣の人に乗せてもらって、病院や買い物に行くのが必要なように、学校にゆかないこどもにとっては、必要なのがフリースクールなのです。昨日の夜、ふと考えていたら、JRと私鉄の相互乗り入れみたいなものかなあと考えました。要は目的地にゆきたい人の利便性が良くなれば、そのサービスの利用者は増えるのです。
 Uber もそうですよね。

教育の目的はそれぞれ違います。やり方も違っていいのです。しかし、接続が不便すぎて学校とフリースクールの関連も見えないし、費用もあまりにも違いすぎます。ここが問題になっているので、制度を柔軟に使って誰もが利用しやすくすれば、フリースクールの潜在的な力も、もっと発揮できると思います。

教育機会の確保法案は、理念法であって、「アクセスが良くなるように国家としても促進させてゆくよ」というメッセージをいただいたのだと思います。これを現場でどう使うか?私たちがのデザイン力が問われている気がします。

もっと、民間の知恵がたくさん増やせればいいなあ。
不登校という家庭内の家出 [2021年05月05日(Wed)]

橋川幸夫さんの著書に「不登校とか引きこもりは、家庭内への家出である」ということが書いてあり、思わず「そうだよなあ」とつぶやいていました。外が怖いのか?めんどうくさいのか?人が嫌いなのか?理由なんて、後から100個ぐらいついてきそうなくらいで、とても一言で表現もできません。
 家族に甘えたいから、家にいるわけでもありませrん。家族が好きだとも限りません。

全ては、今いる世界が外の社会よりましなだけなのです。


私が、言えることは外=社会は、理不尽で暴力的で、自分の都合しか言わない人に溢れている。

理不尽で、自分の都合しか言わない人は、なんでも受け入れてくれる人を探している。直感的に不登校になるような優しい子どもは、彼らにとって大好物なのです。だって、受け入れてほしいのだから。
 家族も含めて、この受け入れてほしいオーラ満載の人の理不尽さから逃げるには、家庭の奥深くに逃げるしかないのです。だって「私は、自分のやりたいことに集中したいのですから」


良いひとは、「断る」というという文字が自分の辞書に載っていないだけです。

そこに、つけこまないで欲しい。

私はつくづく思います。

理不尽だよねえ。