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大人ってなんか自分が上から目線なのに気がつけない [2020年11月30日(Mon)]

子どもが宿題をやる時に手で隠してやる子がいます。
とても可愛い。


たぶん、あれやこれやと大人に言われるのが嫌なんだなあということがわかります。
大人であるだけで、上から目線を子どもは感じます。大人は上から目線の大人が嫌いなのに、自分は上から見下ろしたがる。不思議なもんです。
上から見ていると安心なんだと思います。


子どもの皆さんは、不安な大人ほど上から目線になっているとはあまり気がつきません。
無力な大人ほど力を振り回したがるということも知りません。

大人の無礼をただ謝りたい。


明日から12月です。ぜひ、今年の終わりを楽しめるように、ワクワクしながらやってくださいね。
子どもに迷惑をかけられている親? [2020年11月27日(Fri)]

子どもはいつもまっすぐ生きたいと思っています。損得もなく、ただ真直ぐに生きたいと。
私たちのフリースクールでは、こんな仮説を持っています。
1、自分のことを本当に嫌いな子どもはいない
2、生きることの困難は、大人が勝手につくっているハードルにすぎない
3、困難を乗り越えた子どもしか成長しないと大人は勝手に思い込んでいる
4、大人は、自分の子どもをどのように応援していいかわからない

この仮説を検証してゆくと、だいたいの大人は自分の思い込みで、子育てをしていることに気がつきます。恐ろしいことに、教育の専門家であるはずの学校の先生についても同じようなことが言えます。子どもに対して思い込みで判断するということを平気で行なっているのに、自分が勝手に被害意識を持って落ち込んでいる。

大人がつくった障害物を子どもに越えさせることが教育だと信じています。子どもにも無自覚にそれを強要している。この大人の自負は、始末が悪い。その人の公開やコンプレックスが固まったものでしかないから、相当の労力でも解きほぐせない。


不登校の課題解決への姿勢は明確です。

1、大人が考えているのは、あくまでその人の思いつきと仮説である。その実証責任は、子供にあるのではなく大人にある
2、大人の仮説の実証に付き合わなくともいい大人になれる


これだけなんです。

不登校で学ぶべきは大人であって、子どもに解決を依存するのは大人のわがままでしかない

この仮説も証明したい!


学校にゆかない子どもの可能性がないのではなく、大人が見ていない [2020年11月24日(Tue)]

学校にゆかなくても、多くの子どもは社会人になっています。

 でも、多くの人は学校にゆかないと、「いろんな困ったことがあるよ」という方に注意が向けられます。東京から来る人はコロナウイルスに感染している確率が高い?という事と実際に感染している事とは違います。あくまでも一定の価値観で測ったリスクにすぎません。
 自分がいくら注意していても、院内感染など避けられないリスクもあります。

「不登校になったから可能性がない」のではなく
不登校が応援されたり、機会を与えられないと社会で活躍する可能性が減るという事です。

大人は、マイナスの注意を子どもに向けるのではなく、いかにプラスの注意を向けてゆくのか?
問題はここにあるような気がしています。
応援できるのに応援しない。逆に子どもをけなしてしまう。応援してくれる大人が珍しい。

こんな状況では子どもはどんどんめげてしまいます。

大人が、できる応援はたくさんあります。

応援する大人を増やすことが大事なんです。