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プログラミングを学ぶ、手に職をつける [2020年09月27日(Sun)]

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当団体を会場に「寺子屋Hana」というプログラミング教室が9月26日からはじまりました。
なぜ、プログラミング教育をするの?
フリースクールは、子どものと学びを創り出すところです。
私たちは、基本的に教えませんが一緒に考えます。プログラミンングは、機械が、仕組みが動くことをCODEに書きます。


私は、小学校の頃プラモデルをつくることが大好きでした。
モーターで動かすことも、リモコンで動かすこともとても大好きでした。夢中になったのを覚えています。プログラミングもまさに同じで、目的のためにどのように動いてもらうか?動きやすくするか?を考えることと同じだと思います。

徹底的に動きを考える。思うように動かない。

やがて、こうやったらもっと面白いのでは?とか。さまざまに考えます。
自分で考えてみて、なんか試行錯誤することが大事です。

これを続けることは、仕事につながります。
プログラミングは楽しいし、自分で試行錯誤をすることにつながります。

フリースクールでは、教えられず何でも学ぶ。

楽しいところなのですよ。

僕らはうまくやりたいけど、うまくゆくことだけが人生の目的ではない [2020年09月26日(Sat)]

不登校の子どもたちは、なんか関わりにくそうだと思われています。
なんか聞くのも悪いし。
かといって放っておいても良くないし。江川さんどうすればいいですかね?と良く聞かれます。
どうすればいいのか?悩みながら付き合うのであれば思い切って放っておいていただいた方がいいかもしれないと私は思います。

不登校の子どもたちも、みんなとうまくやりたいと思っています。
この場合のうまくやるのは、概ねトラブルなくということです。
しかし、うまくやれない時もたくさんあります。
うまくやろうと、思えば思うほど、人に嫌われることもあります。

要は、うまくやることを諦めればいいのかもしれません。肩の力も抜けるし、緊張もしなくなればいいんです。うまくなんてゆかないと、開き直ってもいいかもしれません。

ちなみに、私の人生の前半はひどいことの連続で、修行僧のように悩んでおりました。今は比較的、悩みません。悩むということをやめたからかもしれません。

とは言え、「うまくゆかせよう」という意欲を持たないわけでもありません。

ただ、焦る必要はないと心から思っています。
人は必ず死ぬのであって、生きる価値は人生の長さくらべにあるわけでもないからです。

学校という制度から見ると  [2020年09月24日(Thu)]

学校にゆかない子どもは怠けているように見えるかもしれません。

苦しいテスト勉強もしていない。偏差値も気にしていない。

学校という制度から見ると 学校にゆかない人はお気楽です。

学校にゆかない側から見ると。学校にゆかないで自分は一体どうなるのだろう?という不安にみまわれます。

大人になったら会社とかの制度に戻れるのかなあ?という不安にあえいでいます。

休んでいてもそんな不安が押し寄せてくるので気楽には過ごせません。

制度は、それぐらい影響力があるのですよ。






不登校の名前を変えると、もっと考えやすくなる [2020年09月22日(Tue)]

不登校という名前は、「登校できない子ども」という表現なので、登校できる子どもを基準見ている。
登校できるのは普通かどうか?という表現になるとどうも思考の枠が広がらなない。

不登校=かわいそう?になるか?

不登校=怠けになるのか?

不登校=解決すべき問題になるのか?


いづれも、登校からしかものを見ない限界を感じている。

不登校=これでもいいんだよ

ただし、学校教育システムの中で学ぶ時には応援するから。

という肯定的なまなざしが欲しいなあ。





短気であるということは、損ばかりではない! [2020年09月19日(Sat)]

私は短気である!

夏目漱石のようにいうと非常に気が楽になります。
なぜか?

短気な人間は、この社会の中であまり良く思われないからです。
「子どもの変化を一気につくりたい」
「社会の変化を一気につくりたい」

私は、この欲望にいつも かられています。

でも、人は思うように動かない。

若い頃ななんで動かないのか〜〜〜と心の中で絶叫していました。今でも絶叫しています。

変化をすると心地よくなるのに変化をしないのが耐えられません。

朝令暮改でもいいじゃないか?大人たちは、子どもから見れば、イライラしています。
子どもはこのイライラを見ていると、「だから大人は嫌いなんだ〜〜」とドン引きします。

大人は子どもが、どんどん引いていても イライラをやめません。

やめられないんだと思います。

結論から言えば、子どもはイライラする大人を見捨ててください(笑)

いいことは何もありません。

イライラがその人の凶暴性を、前面に引き出しています。
気がつけば3ヶ月・・・・ [2020年09月18日(Fri)]

あっという間に夏が終わり秋に・・・・
朝5時はセミの鳴き声から、薄暗い夜明けに変わる

季節はこのように、日々同じ日はない。

われわれに流れる時間も同様に、同じ日は1日たりとてない。

とても素敵なことだと思う。

苦しみも。悲しみも同じ日はない。


わたしは教育の専門家ではない。しかし、20年も同じ仕事をしていると、専門家になる。不登校への知識や法律も身につく。教員とも、そこそこわかったような話もできる。よほどの怠け者でも、20年やって何も学ばないのは、かなり至難の技だと思う。要は、その仕事をある程度積み重ねれば専門性を持って生きてゆけるということである。

不登校の子どもたちに、よく将来何をするのか?と聞く人がいるが、この子どもたちも大人になって20年も仕事をしていれば、そこそこの専門家になれる。

積み重ねをしない日など1日も存在しない。

私たちは、時間というものを甘くみている。

親子のわだかまりも、憎しみも時間によって変化するのだということを忘れている。