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不安・不満がたまると、怒りたくなります [2020年07月31日(Fri)]

よく怒る親。
コロナ下の中で家族の中でも、怒りの爆発がおきていると思います。怒りの根源は何か?多くの場合は、大人の不安や不満。自分自身の先行きが、見えないことです。学校に行っていても不安があれば、怒りは生まれます。どのように生活を進めていいのかわからない?誰に聞いても、参考の意見などはない。
自分で決めるしかない。
 自分で決めることに慣れていない人たちは、苦しさの中で行動をしようとします。大人たちは、怒るよりも先に不安の捨て方を学んで欲しいと思います。誰もが、うまくゆくかどうかなんてわからない。正解があるかどうかなんかわからない。だから、自分の中のベストを大事にしようと思えばいいのではないでしょうか?自分を大事にできることが、何よりも価値だと思います。
勉強はするものであって、させられるものではない [2020年07月24日(Fri)]

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恋愛は、「する」ものであって「させられる」ものではない
多くの人は同意いただけるのではないか?

その昔は、「見合い」という結婚のための出会い方もあったけれども・・・・。

同じように「勉強はするものであって、させられるものではない」

愛する人を選ぶように、勉強はするべきだと私は考えている。この人があっているのか?愛情は持てそうか?夢中になれそうか?持続できそうか?


もちろん、出会いが初めからうまくゆくはずはないので、途中でお別れしたり、場合によっては再度学び直すこともいい。恋愛を無理にさせられたりすると、人は「興ざめする」勉強もそうではないか?

では、「強制なしに勉強をするのか?」実はここに大人たちは不信感を持っている。実は自分が学びを好きではなかったりするからだ。人は考えることに貪欲であって、学ぶことは恋愛のように輝いているとしたら問題はない。恋愛をいかに魅力的なものにするのか?おそらく、そんなことを考えなくとも人は恋愛している。ただ、結婚に至るのかどうかは別の問題だ。

学びも同じだと思う。学者になる必要はないが、本を読んだり映画を見たり、旅行をしたり、語学を学んだり。学びは、恋愛のように魅力的だと、私は思っている。まさに、知識に対する大人の付き合い方を、こどもは見ていると思う。

災害と不登校、そして大事なご飯 [2020年07月22日(Wed)]

新型コロナウイルス感染症の拡大。九州での大規模水害。

 いづれもすぐには無くならない問題だから、厄介であると考える人もいる。無くならないのであれば、共存しようという発想も生まれる。貧困も同じこと。不登校も同じ問題ではないだろうか?無くしたいと思っても簡単にはなくならない。いかに共存しながら、子どもが追い詰められたり、苦しんだり、自分を責めずに楽しい時間を過ごせるか?という発想に転換した方が前向きに生きることができそうだと、私は考えている。
 人間には日常を続ける力がある。これが尊い。毎日が同じように見えるが決して同じではない毎日を過ごす力こそ、未来へのエネルギーを蓄える場であると思う。学校行ってもゆかなくても、ご飯をつくる。家族で食べる。

会話をする。連絡をする。情報交換をする。

この日常さえ欠かさなければ、子どもは以外と自分で考えるようになる。試行錯誤できるようにもなる。私たちは、困難なものとの共存を嫌がって距離をとりがちである。場合によっては見ないようにさえしている人もいる。一緒にいることは、どんな存在でも学びになる。どんな困難からも学ぶしたたかさこそ、日常の最大の効果だと考えている。
人ごとは、自分ごとにはなかなかなりにくい [2020年07月21日(Tue)]

「お昼何食べたい?」
「なんでもいいよ?」   「本当になんでもいいの?」  「何食べても変わらないから。」


本当はパスタを食べたかった子どもが、ピザトーストを食べる。ピザトーストを食べている時はどこか受け身になる。進学先や就職の問題は、こんな風にはなかなかゆかない。しかし、知識がない子どもは、知識がある大人に頼ろうとする。知識がある大人も自分のことではないので、本当にこの選択でいいのか?確信がない。
不登校の問題も、他人事と自分ごとの壁がある。物事の理解が、当事者家族とそれ以外でも違うし、家族の中でも分かれてしまう。不登校の問題をそれぞれに自分ごとにすると、それぞれの自分ごとが違うのだ。

不登校で困っている親は全国で、毎年16万人以上いる。「自分は学校に戻す」という結論を持っている親もいる。「学校にくればなんとでもしますから」という先生。「学校に行くことが正しい」と思い続けて苦しんでいる子ども。

 哲学者の國分功一郎さんは、スピノザの研究をとうして「人間の本質とはその人の潜在的な力であり、どうしたらそれを発揮できるかを考える自由の哲学」の必要性を言う。何か正しいのか?誰の責任なのか?突き詰めると苦しくなる。そのどれにも属さない、「言われてみればこうかもしれない」と中動的に動く自由さが、自分たちに新しい思考や気づきを提示してくれるという。

 子どもにはいつも潜在的に何かを考える力がある。これを大事にしたいと私は思う。そして大人は決めつけないで、中道的に動ける自由さをいつも子どもに対しても、仕事に対しても持っていたいと。

 学校にゆかないだけで、人生は多少変わるが、さほど不幸にはならない。大きな不幸は、学校という生きる手段にいつまでもこだわり続けることだと思う。そこから逃れられなくなる不幸である。
子どもへの信頼感 [2020年07月19日(Sun)]

子どもを信頼していますか?問われると多くの親は「はい」と答えます。
どれくらい信頼していますか?
多くの親にとって、考えたこともない問いです。自分の人生について子どもが100%決めているのか?親が関与しているのか?平たく言うとどれくらい親は口出しをしているのか?と言うことにもなります。ほとんどの親は口出しをします。私も例外ではありません。
 でも、口出しをすることは、親にとっては当たり前です。よくみているとどうしても歯がゆくなる。口出しをしたくなる。ダメ出しをしたくなる。どうすればいいですか?と問われたら。
よく見ないことです。検査の視点を持たないことです。常に前向きに考えることです。

前向きとは?悪く解釈しないと言うことでもあります。子どもが勉強しなくとも、昼夜逆転をしていても前向きに考えることです。私は、16歳で昼夜逆転をしておりましたが、今はよく飽きて多動のように動き回っています(あまり参考にはなりませんが)人には行動が楽しくなる時期にがあります。これは、だれかに与えられるものではありません、
信頼とは、時期を待つことでもあります。私は56歳にして今が時期だと思っています。
親は、子どもの信頼の上にいる [2020年07月15日(Wed)]

学校に通えないと子どもが言うときに、親は試されます。
学校を休ませるべきか?本人を厳しく指導するのか?なんでも受け入れることでいいのか?
最近、水辺でカヌーに乗っていて思うのは、泳げない自分がこうして水の上で楽しめるのは、自分が何かをしているからではなく、水に押されているからではないか?私たちは水は特別の感情やサービスを提供していないことをいいことに、水をないがしろにしがちです。しかし、薄いプラスチックの底には明らかに水面があります。
水の性質をよく理解しないと、人間は死ぬことさえあります。
このことを親子関係で、考えてみましょう。私たち親は、子どもが生まれながらに親を信頼してくれていることを当たり前の前提にしています。親には上から目線で子どもを見ます。子どもをコントロール可能な存在だと思いがちです。子どもは、親に与えられた条件や、環境を受け入れて生きています。それが素晴らしい環境なのか?最悪の状況なのか?子どもにはわかりません。しかし、親といい関係を築くことを大事に生きているのです。
一方、親はどうでしょう。子どもをしっかりとみているでしょうか?子どもとの信頼関係は当たり前だと思っていないでしょうか?
湖の水は、嵐の時、気温が下がった時。様々に表情を変えます。私たちは、条件が良い時に楽しく遊ばせてもらっているだけです。子どももいつも同じ状態にはありません。荒れる時。苦しい時。辛い、悲しい時があります。これを受け入れること。荒れているときは、無理をしないで見守りことも大事な親の役割だと思います。親子は、まずは子どもの信頼から成り立っていることを大事に考えたいです。
先生との会話なぜか一方通行 [2020年07月14日(Tue)]

 保護者の方は、学校の先生に電話をする時、話をする時いつの間にか、「お願いする態度」になっていませんか?〇〇して欲しいのですけど?本人が〇〇だと言っています。保護者が非常に気を使っていることはわかります。同時に、問題を先生になんとか解決して欲しいと思っています。
 先生は神様でもなんでもないです。教育に熱心な人なだけですので、物事を課題解決することも急にはできません。先生はプロですが、人を変えるプロではありません。問題をお願いするだけでは、何も変わりません。それでは、何をすればいいのでしょう??子どもにとって最善の環境や、対応を先生と一緒に考えて、立場に応じて行動することです。
 あくまで中心は子どもなので、子どもが望むことを一緒に考えるだけでもいいです。何もしないで見守ることも多いと思います。お互いに自分の教育観や生き方を理解する時間でもいいと思います。対話することが先生を変えてゆきます。会話の一方通行は、保護者が作っていることも多いです。相互に理解しあえる関係に、いかに変わるのか?対話には大きなヒントがあると思います。