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学校再開後不登校は増えるんですか?大人次第ですよ。 [2020年05月27日(Wed)]

 6月からほとんどの学校が再開します。3月から連続休校している学校もあります。学校のペースで学ぶこと、記憶する学びが苦手な子。よく周りの子どもにからかわれていて、ちょっと疲れを感じている子どもにとっては、学校再開後どうなるのか?という不安はあります。
 不登校は増えるのですか?といえば、いま日本中に不登校はいない(不登校の定義が年間30日以上の欠席)ので、学校再開すれば間違いなく増えます。ただ、増えるか減るかという問題よりも、子どもたちが自分のペースで生活することを学ぶ方が、はるかに大事なことだと思います。走れば、早い遅いがあるように、比べれば差は生まれます。問題は、くらべないことです。大人こそ目先のことに動かされがちであることをよく理解した方がいいです。
 早くても、遅くても、学ぶことを諦めずに続けてゆけば、なんらかのゴールにはたどり着きます。そこまでの伴奏をするのが、保護者、教師、私たちの役割です。目標は完走です。やりきることです。そのために、必要なことは何をやってもいいと私は思います。不登校は増えるのですか?「大人次第ですね。」と答えたいと私は思っています
過疎の地域だから活躍の可能性が増える [2020年05月24日(Sun)]

Tips中小企業機構が収録したスカスカになってゆくコミュニティーとフリースクールの動画をご覧ください。




コロナがさほど深刻な問題になる前に、収録した動画です。不登校も、発達障がいの子どもと同じように理解されたりするのは、理解する側の関心と能力に左右されていることなんだと思っております。
 不登校をいかにコントロールするのか?というような上からの目線の話には、私はいささかも興味はありません。不登校の子どもの、可能性はを考えましょう。不登校の子ども達にとって、田舎暮らしの可能性は広がっているという話です。
1、過疎地には仕事がたくさんあります。農業、林業、漁業など全てが担い手不足です。補助金を使ってでも新規で、この仕事についてくれる人を探しています。
2、人との関わりも、いい距離感で過ごすことが可能になっています。その昔は、地域で様々な問題があると、人にすぐ伝わりやすいとか、いろいろ干渉される事もありましたが、今はそんな事もありません。
3、通勤も楽だし、物価も安いです。オンラインさえあれば仕事ができる。自分のペースで仕事をしたい。子育てしながらでも仕事をしたいという人にとって、今や田舎は、可能性の宝庫です。

 ただ、問題がまるでないわけではありません。プレイヤーが少ないので、近くに相談ができる人がいなかったり、田舎の人は、思ったより協力的でなかったりする事もあります。
 良くも悪くも、このバランスの悪さが日本の田舎と都会の問題であって、どちらが自分にとってすみやすい場所なのかを選ぶ権利は私たちにあります。まずは、可能性から考えたいと、私は思います。




不登校の子どもの学びをどうつくる? [2020年05月22日(Fri)]

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新型コロナの影響による緊急事態宣言が解除され、一気に学校再開に向けて動き出しそうです。学校が再開されると、画稿に適応できない子どもの問題が課題になります。不登校の問題です。不登校の子どもたちは学校にもゆきます。フリースクールでも学べます。
今回は図のように通所型と在宅型。子ども中心と教師中心の学びとで4象限に分類してみました。子ども中心の学びをやったら、子どもは学ばない。遊ぶに決まっている。大人はそう言います。子どもには、自分で学ぶ力があります。それを大リーグの大谷選手のように、大きな目標を立てて、実現するまでセルフマネジメントしてゆけばいいのです。もちろん、トレーニングは必要ですが、諦めずくり返せば、必ず達成できます。
子どもを信じて何度も何度も、くり返す。諦めたら、そこで終わります。

不登校の学びも、学校に通う子どもの学びも本質的にはセルフマネ自慢と力をつけることです。学校がなければ学べない、会社がなければ働けないというのでは、組織に依存する人が増えるだけです。
反転学習を!予習を宿題で行う困難?(コロナと学び) [2020年05月17日(Sun)]

そろそろ学校が再開される状況になってきました。福島県内の小中学校、高校も6月から再開されます。ようやく終わるのか?もう終わるのか?子どもたちの感想は、ばらばらですが。
 子どもたちに聞くとこの間「宿題が多い」。「予習を宿題でやるのは難しい」(もっとも!)という感想がきます。量が多いという問題もあります。(どうも日本の学校は初めから勉強の質よりも量を重視する傾向があります)。事前に学ぶことを動画で配信すればいいのではないでしょうか?それも何度でもみれるように配慮してゆく。後で、それをふまえたオンラインでの教えあいを行う。
 宿題の目的は
1、自分自身の学習理解を深めてゆく
2、お互いに教え合うことで、気づきを深めてゆく
3、セルフマネジメントで、自分がどのように時間を使うのかを決める力をつけてゆく

ことであって、ガマンして大量の答えを出すことではないはずです。予習はオンラインでも可能!
学校の先生の力は、教え方よりも、学び方を体得するサポートにあると、私は考えています。
自分の中に他人を増やす=「気づく」 [2020年05月13日(Wed)]

 同じことを言っても、全く理解が違うことがあります。お互いのコミュニケーションで違いを埋められないと、結果的に、それは単純な対立になってしまいます。時には、非和解的なものになる。前提として、同じ日本語を話しても伝わらないことが、ごく普通にあるという事です。
 ところが、ここに経験値や年齢が加わると、自分の視点を絶対化してしまうという、さらなる困難に出会います。そろそろ、私たちの中である正しいか?間違っているか?という議論をやめましょう!今回のコロナ騒ぎの中で、予防、対処にはPCR検査を増やせばいいという議論があります。今回のウイルスの抗体が、まだ見つかっていないとすれば、われわれ人間との共存しかないというイギリス人の発想は、決して間違いとは言えません。違和感があるものや、免疫のないウイルスを、我々は拒否できれば、それでもいいのですが拒否し続けてだけいては、日常生活もいとなめません。
 検査しても、感染がわかっても対処する療法は特にはないのです。受け入れるという、という能力こそ私たちは必要なのです。相手を理解して、受け入れる。共存する。拒否することはできないのです。
 だから、共存の知恵がお互いに働きます。人間も同じですよね。職場でも、仕事上のパートナーでも、「拒否することができない」ということことが前提になります。共存しかないとすれば、あるのは、最適化をいかに行うかしかありません。まさに、ウイルスや、病原体に打ち勝つことだけを考えてきた人間にとっては「敗北」のように感じる人もいるかもしれません。しかし、ある意味すごく当たり前のことを問われています。共存という形です。
 不都合な相手でも対立せずに、いかに共存してゆくのか?気づきあいながら、修正を重ねてゆけるのか?この知恵を積み重ねることが、アフターコロナの時代にわれわれが問われることの一つだということです。
 
 
いま、生きるを考える休校中の皆さんへ-2- [2020年05月09日(Sat)]

2月からのコロナウイルス騒動の中で多くの方々は不安を感じていると思います。こんな私でさえも、これからの社会のドラスチックな変化は想像もできないくらいです。「この想像もできない」というのは不安の意味で言っているのではなく、希望として語っています。
 私がずーっと嫌だった。大人数でひたすら先生の話を聞く。質問をするのはわかっていない人=愚かな人。少しくらいわからなくても、わかったふりをする。相手に同調する能力が大事。など話をすればきりがないくらい嫌なことの羅列です。
 小学生の時にケネディーの自伝を読んで、「アメリカの大学では授業で討論をするらしい!!」これってすごいねえ。という希望を持ったことを覚えています。日本の大学でも討論は少ない。対話もない。このような関係が延々とつづくこと自体が非常に耐えらませんした。
 これからは、大人数のシアターのような場での教育はなくなり、小さな学びの場での、教育実践が行われます。できるかできないか?という結果ではなく、どのような思考経路をたどったのか??に多くの人の関心が向かいます。プロセスから最適の成果を見出す。これこそが学びだと思います。
 アフターコロナの時代では、時々全員で学びながら一人で考える時間も大事にされます。いや、個人こそが行動の単位になります。不登校を経験している皆さんにとってこの数カ月の時間はさほど苦しくなかったと思います。そう、すでに皆さんが経験していたの未来だったからです。
 
いま、生きるを考える休校中の皆さんへ-1- [2020年05月04日(Mon)]

国の緊急事態宣言を受けて、休校中のこどもの皆さん。お父さん。お母さんと仲良く暮らしていますか?小さなケンカやがあることは、むしろいいことなんです。お互いに興味がない人は、ケンカもしないから。親がイライラしているように見えませんか?もし、そう見えたら、それは、大人の不安症状だと思ってください。今回のコロナウイルス感染症によって仕事を失った人も、お休みの人もいます。
 いつ仕事が再開するかも分かりません。要は、大人も不安なのです。不安だから八つ当たりするんです。悲しむのです。自分の中の「子ども」を、大人が受け入れられなくて苦しんでいます。かくいう私もそうです。小さないらだちをいっぱい溜め込んでいます。でも、密かに大きな希望も感じています。コロナの後の社会は、元あった社会には戻らないでしょう。何より大勢の人が集まることがなくなりそうです。病院も学校も大企業も変わらざるを得ません。
 一人一人の行動が大事になります。自分で全部決めなければならないという素敵な時代がやってきます。誰も指示してくれないからといって、不安になることはありません。ようやく誰かの意見を気にしなくても、いい時代がやってきたのです。自分の意見に水をさされても、気にすることもありません。
 不登校の子どもだけではなく、子どもにとって希望の時代が来たのだと思います。同じように、合わせることが危険だからです。私たちは、期せずして「個人」=自分を手に入れたのです。(続きは、また次回に)