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大人という限界 [2020年03月27日(Fri)]

子どもの頃はあんなにのびのびしていたのに。大人になると自由に物が言えなくなる?制約が多くなる?つまらなくなる?だんだん元気が無くなってゆく大人を見て、「子どもは楽しそうじゃないなあ」と大人を思いはじめる。
楽しそうかどうか?は子どもの判断次第です。「あれをやってはいけない」という禁止が多ければ多いほど、人生はつまらなくなると私は思っています。どんどんやって行こうよ!「失敗なんか地下に埋めちゃえ」というと人生は楽しくなります。
大人の限界は、大人がつくっています。その限界がありながらも、意識しないように努める大人はいますが、まさにえらくなればなるほど限界だらけで、何もできません。そのうち自由に何かをするという発想さえなくなります。通常が不自由なのです。
 「不自由」という産物をいとも容易く自分の中に取り入れることのできる大人。自由を制約されまいと思って逃げる子ども。この両者の闘いが、大人の物理的勝利で終わってしまっています。教育の限界はここにあります。子どもをダメにしないように制約を減らしたい。自分で考えるエネルギーを高めたい。大人という限界を、大人は壊せるのでしょうか?教育の課題はこちらにある気がします。
「テレビに出たい」人に認められたい [2020年03月26日(Thu)]

最近ブログを書く体力が夜まで残っていません。
ほとんど何もかけていない毎日です。気持ちはいたって元気です。
朝早くから出勤して、学童保育の子どもと指相撲したり、オセロをしたり。オセロの上達度はかなり高いので容易にこちらが負けます。将棋も負けます。ある程度人生は終えている(笑)私は、この程度ではびくともしませんが。ちょっと悔しい時もあります。
 子どもと話をしていると、勝負には負けたくない。有名になりたい。という言葉を聞くとホッとします。上昇志向というか、勝ち負けにこだわる。テレビに出たい。有名になりたい。ほめられたい。ごく自然に自分を認めて欲しいという気持ちは、わかります。
 勉強も運動も嫌いという子どもは、活躍の場がない。いつも光が当たらない。子どもは誰もが認められたい。大人たちはしっかりと子どもに活躍の場を与えているでしょうか?自らを誇れる場がどの子にも与えられているでしょうか?
 ちなみに、私は今日は本気でオセロをやって、敗北しました。彼らの自尊心につながればいいなあ。大人は、歳をとると自然に能力が衰え、負けるものなんだよ。
学校休校を子どもの側から考える [2020年03月10日(Tue)]

先週から、コロナ対策で学校は休校になっています。
突然の休校要請からはや10日あまり。日本社会はこの急激な変化を、おおむね静かに受け入れています。受け入れることが悪いとも思いません。
 問題は、ただ「言われたことを疑問もなく」受け入れるだけの受け身の社会になっているのではないだろうか?という危惧があります。私たちの社会は多様な価値で成り立っているとすれば、休校要請を受けない自治体があってもいいし。独自の学習ツールで学びを展開してゆく自治体や団体があってもいいと思います。
 もし、自分では、何も言わず「どうしていいのか教えてくれない」という対応をされている方もいると思います。今、問われているのは?「自分で考える」ということです。自分で考えない限り「どうすればいい」という道筋が見えません。自分で考えることもありません。このことが非常に危機的な問題になっていると思います。
 仕事を教えてくれない、与えてくれない。答えを教えてくれない。という社会になりつつあることを危機的に感じています。「自分で考える」を放棄したところに自由はありません。コロナウイルスは、結核やペストのように思われています。
 もちろんなくなる人もいますが、極端に恐れる事が不安に怯える人をつくりだしていると思います。オープンな議論が欲しいです。