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対話は、不登校の子どもをツナグ [2019年08月30日(Fri)]

ここ数年「対話」をすることに力を注力しています。
子どもは、「理解された時に」動き出すからです。大人は、子どもの自ら動く力をあまり信用していません。人によれば、そんな力は無いと思っています。何かをさせたがることばかりなのは、その証だと私は感じています。
人はつながり、人に肯定されるだけで自分の関心が満たされます。修正されることばかりであれば、全くもって不安になります。学校教育は、修正が大好きなので、修正されればされるほど、子どもは元気を失います。自分を嫌いになります。
 人はツナガルことと、肯定されることで、「自分を取り戻します」「自分の可能性を信じます」この関心の持ち方や、思いの深さから人は自分のやる気をどんどん伸ばしてゆきます。実は、これは不登校の子どもだけではなく、大人たちも同じことなのです。しかし、自分がやられて嫌なことを無意識にやってしまう大人が非常に多いのは残念です。
 私たちは、日々この大人の無力感を、肯定感にかえる関わりも行なっています。子どもにとっての未来は、いつも開かれているのに、その道を閉ざさないでほしい。
議員立法は誰のため [2019年08月29日(Thu)]

最近教育関連法案「子ども貧困対策推進法」の一部改正を受けて市町村でも、具体的な計画策定を行わなう義務が生まれました。要は、国や県がいくら言っても地方では浸透しないし、具体的な行動にはいたらないケースが多いからです。
 自治体は予算不足。しかし、状況に応じた施策を行ってゆく必要がある。それにも関わらず、行政の計画策定、予算配分もこれからの状態にとどまっています。公務員の皆さんからすれば法案の改正も、新しい施策も対応しなければいけない問題ですが、特論現場では対応し切れていません。
 私たち、民間の側は対応できないことを責めてはいません。しかし、具体的な施策は必要になっている。こどもの問題は、放置できません。場合によっては虐待の問題に発展する場合もあります。待った無しの問題にどのように対応するのか?
 問題は切り口を変えると、全く問題ではなくなります。背景を理解しなければ、「これまでの施策、準要保護の制度運用や母子手当の支給でいいではないか?」という議論で止まってしまいます。見る人の視点が、問題解決しようという視点に至らない。「自分の思考を止めている」と言ったほうがいいかもしれません。私たちは、現場にサービスを届けてゆくことで一人でも多くの子どもの、育ちを支える責任を感じています。「公務員でもないのに、課題解決なんて生意気に」と言われ続けて30年あまり。公務員に嫌われることは、無数にあります。
 公務員だけで解決できるほど、子どもの貧困現場は人が足りているわけでもありません。課題は、どこいありますか? 公務員の皆さんと一緒に考えて、行動する必要があります。現場の担当者は見えているのでやる気の多い人も多い。残念ながら法案改正の意味を理解しない人もいる。私たちは両方の公務員に動いてもらう必要があります。
 自治体職員の心を動かす。心ある公務員が、孤立しないように応援したいところです。
学校を楽しい場所にできているのか? [2019年08月23日(Fri)]

夏休み明け、自殺予防キャンペーンを行っております。フリースクールの無料開放(9月13日まで)も行っています。子どものみなさん、1日学校をずる休みしてみませんか?そこで出会う自分の感情と向き合うことが大事です。
 さて、江川は学校を忌み嫌っていると思われていますが、私が考えているのは、学校を楽園にできないか?ということです。誰もが学校が楽しくなれば、学校にゆくことを問題にすることはありません。でも、学校を楽しくするということを、あまり考える人がいません。楽しいのが、学校ではないという前提があるからではないでしょうか?
 学ぶことは楽しいことでなければ、学校には通いません。だから、学校を楽しくするのは、学校に通ってほしい「大人たちの責任」じゃないですか?学校にはかよって欲しい。でも、学校はつまらなくてもいいというのは矛盾しています。大人は、子どもにばかり努力させようとしているからです。
 学校には、気づく喜びがある。つながる楽しみがある。ここですよね。
大人の疲労と、子どものあきらめ [2019年08月22日(Thu)]

大人は、疲れるとお酒を飲んで寝たりする。ちなみに、私も子どもの頃は何で、あんな風に眠れるんかなあ。疲れるって、どんなことなんだろうかなあと思っていました。
 大人になって、疲労を感じています。どんな時に感じるか?これはなんか絶対伝わらないなあ、という絶望を感じてしますのです。言語は同じ、日本語は伝わっていますのにねえ。「君の話を聞く気がないよ」というオーラをすごく感じます。自分が言いたいこと。説得したい気持ちが満載なので、聞くことに意味を感じていない。
 これは全くもって、時間の無駄です。同じ言語としても共通しない。共通体験はないのか?記憶の中の言葉を呼び起こしても、伝わらない。絶望と同時に疲労を感じます。疲労は、想像を壊す。未来を壊す。挑戦を壊す。