本質的な教育とは?とりあえずではなく [2019年01月31日(Thu)]
子どもが努力したり、不得意を克服しているストーリー。記憶力を試すような受験。どれも本質的ではない。感動もしないし、そこで子どもたちが成長しているというストーリーもあまり期待できない。しかし、とりあえずずっと変えずに同じ教育を行っている。ストレスがたまる。いじめる。感動のためには、「いじめ」でも「不登校」でもあまり関心がない。どの子がどこの学校に行ったか?社会で活躍しているのか?部活の成績がいいとか悪いとか?どうでもいいことに関心を持ってしまう。
しかし、それを責めてもしようがない。それ以外の教育の方法を知らないのだから。大人が、学びに対して懐疑的であったり、挑戦できないというところに課題がある。大人は自分自身が、どう生きたいのか?何を求めて、どんな幸せを求めていきたいのか?ここが鍵なのだと改めて感じている。 受験に失敗しても、何ら生きる本質には関わりない。部活辞めても何ら生きる本質には関係ない。むしろ、誰かに与えられることではない未来をどう自分が考えるのか?そこからが、生きる本質だと思うなあ。 ちなみに、私は子供に自死されたが親として失格だとは思っていない。子育てが失敗したとも思っていない。生きるということを息子なりに真剣に考えた結果を黙って受け止めたい。彼は、なんらかの真実をつかんだのだと私は思う。 |