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本質的な教育とは?とりあえずではなく [2019年01月31日(Thu)]

 子どもが努力したり、不得意を克服しているストーリー。記憶力を試すような受験。どれも本質的ではない。感動もしないし、そこで子どもたちが成長しているというストーリーもあまり期待できない。しかし、とりあえずずっと変えずに同じ教育を行っている。ストレスがたまる。いじめる。感動のためには、「いじめ」でも「不登校」でもあまり関心がない。どの子がどこの学校に行ったか?社会で活躍しているのか?部活の成績がいいとか悪いとか?どうでもいいことに関心を持ってしまう。
 しかし、それを責めてもしようがない。それ以外の教育の方法を知らないのだから。大人が、学びに対して懐疑的であったり、挑戦できないというところに課題がある。大人は自分自身が、どう生きたいのか?何を求めて、どんな幸せを求めていきたいのか?ここが鍵なのだと改めて感じている。
 受験に失敗しても、何ら生きる本質には関わりない。部活辞めても何ら生きる本質には関係ない。むしろ、誰かに与えられることではない未来をどう自分が考えるのか?そこからが、生きる本質だと思うなあ。
 ちなみに、私は子供に自死されたが親として失格だとは思っていない。子育てが失敗したとも思っていない。生きるということを息子なりに真剣に考えた結果を黙って受け止めたい。彼は、なんらかの真実をつかんだのだと私は思う。
感動したい大人が、子どもの生き方を邪魔してないですか? [2019年01月24日(Thu)]

 ここ十年余り、子どものスポーツを追いかける親たちの出来事が話題になっている。「感動」を求めて毎週のように練習や大会の応援差し入れに出かける親たち。お揃いのTシャツや、ウエア。プロスポーツを彷彿とさせる。

 反面、学校の先生たちは、週末の残業に身を粉にして対応している。一番感動しているのは本人?いや、親だと思う。スポーツに一生懸命の子どもはよく育つ?と思っている保護者もいるとか?いないとか。親子がどんどん一体化してゆく様は滑稽(こっけい)だという人もいる。

駅伝や、テニス、バスケットボール、サッカー。どんなスポーツでも、夢中になる人はいる。ようは、自分がやらない、しかし、感動を手に入れることができるからだ。感動したい大人?自分の日常で、感動や思い出をつくることができない人?かもしれない。

 本気で怒られたり、無視されたり。監督やコーチ親から、罵声を浴びせられた理。こんなことを本当に子どもたちは望んでいるのでしょうかね?おそらく、望んでいないと思います。自分がスポーツを通じて楽しみたい。というのではダメなんでしょうか?

 素直に自分で自分のプレーをふり返ることさえ許されないのは、単純に辛いことだと思います。自分の感動のために子どもを追いつめないで欲しい。単純に私はあるがままの子ども時代を続けばいいなあと思います。
生きる  を実践する場づくり [2019年01月23日(Wed)]

生きるを実践してゆく場づくりも、フリースクールにとっては大きな役割です。
人は、大事なことを自分で考えていても言葉に出せないで悩んでいます。言葉に出したら何かが壊れるのではないかという恐れも持っています。
 生きる。を恐れる社会。生きるのが恐い側面。

これは、否定できない事実です。人は、自分を殺した方が生きることができると思っている人もいます。生きるは、人を生かす力に支えられないとつながらないと思っています。「私は、なんでもできる」人間でいたいと思ったこともあります。でもなんでもできません。だから助けを呼ぶ。なんでもできない人を助ける。


生きる  という学びはここからはじまるのであっていいと思います。

生きるを引き受けることから。
自死を語る、受け止める [2019年01月21日(Mon)]

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 「なんで綱弘の、体や骨ばかり大事にするんだ。もうそこには綱弘はいないのに。葬式なんて無駄だ」これは次男が私に言った言葉です。彼の言った言葉は、深く私に突き刺さりました。こんな形式的なことのために生きたり、死んだり人はしているわけではありません。むしろ、残された家族が受け入れやすいしくみや死者のおくり方を他に知らないから、今の葬儀の形になってしまっているだけです。
 私たちは、自分の中で死をいかに受け入れるのか?それも、自死を受け入れるのか?という知恵も広く語られていません。死を語ることで自死者を増やす事もあるという考え方もあります。
 私は、息子の自死について未だに考え、家族や弔問にきていただいた方と語ります。幸いにして私の周りには、自死について考えていただける方も多く、遠慮なく泣きなから語らせていただいています。
 自死は、本人さえも理由ははっきりしないのかもしれません。なんらかの強い意志がそこには働き、死をむかえてゆきます。誰かを恨んでいたのか?泣いていたのか?怒っていたのか?それもわかりません。
 ただ、綱弘の心、魂、言霊、思いは、未だに私の周りにいて、問いかけてくれます。「カリカリすんなよ」「自分を追い詰めてもしょうがないぞ」「モノなんかに固執しても何もあの世には持っていけないよ」とか。
 私は、自分の中の綱弘と対話しながら、この子は大切な姿を残してくれたと素直に感謝しています。学びも、休むことの大事さも。無理に走らない事も教えてくれています。私たちは、形を手に入れようと必死になっているのかもしれません。それは、いづれ消えるものです。人さえも、骨になり灰になります。
 思えば、話していた言葉、綴った文章は意外に残ります。彼は、たくさんの記憶を残してくれました。思いも残してくれました。学歴や賞状ではなく、残るの「思い」だと。
 この写真は、震災直後彼といった思い出の写真です。

 彼は私の心の中にしっかりと生きています。早く忘れた方がいいという言葉は、彼を2回殺す言葉だと私は思います。人は人の中に生きる。大人が、認められない行動でもそれをしっかりと受け止め、語り続ける。忘れないということは、自分の中に生かし続けることだと。
 今、10代の自殺が増える中で、死について語ることはとても大事なことだと考えています。なかったことになんてできません。しっかり語り、死と向き合うことが生きるを考えることだと思います。正しさの押し売りで、「生」への尊重は生まれるものではないと。
 彼の死後、まったくと言っていいほど夢を見ません



 
失敗できないのはなぜ、忌み嫌うのはなぜ [2019年01月20日(Sun)]

前例踏襲主義。という言葉があります。
過去に成功したことを、やるということです。背景にあるのは失敗が怖い!失敗はいけない!
うまくゆき続けなければならない!さまざな経験を蓄積するということで考えると、単純に「成功」とか「失敗」とか一喜一憂していることではないと思います。
 しかし、大きな組織、行政、大企業が変われないのは、この蓄積ができないからです。容易に変化されない。大きなミッション、方向性さえ変えなければどんな変化をつくり出してもいいのに、前のとおりになぞろうとします。何も考えないで、同じことを繰り返してしまう。
 私だけではないと思いますが、人生はうまくゆかないことに溢れています。全くもって思うようにゆかない。でも、私の強みは、うまくゆかないと誰にでも言えることです。多くの人は、うまくゆかないことを、隠そうとします。なぜ・・・・・。他人にそれ見たことかと笑われるから?それは、笑う人の側の問題で、事実を明らかにしている人の問題ではないと私は思います。
 あらゆる経験を、無駄にしないで生きるということがなければ、さまざな経験がもったいない遺物になってしまいます。失敗?ではなく経験です。どれだけ経験と向き合って生きたのか?自分の魂が成長できる鍵は、そこにあると信じています。さて、みなさんは、経験とどう向き合っていますか?
夢みたいな日々、つなぐの魂はつづく [2019年01月18日(Fri)]

1月9日午前2時
長男綱弘(つなぐ)が自死をしました。17歳の生涯でした。
なくなる何の前ぶれもない中で、親として途方にくれました。突然出会った事故のような感覚です。あれから1週間、10日が過ぎようとしています。ようやく自分の中にも彼の気持ちを想像できる余裕が生まれてきました。
 彼との時間は、私たちの喜びでした。小さな頃からダメな父親を見ているので、そんなに自分にも厳しくないのだと思っていましたが、おつきあいしていた彼女の証言によれば、綱弘は完璧主義で、できない自分を、許せない面があったようです。学校に行かなかった彼でさえ、自分を許せない価値観に縛られていたのかと思うと、暗澹たる気持ちになります。
 「生きにくさ」を語ることが、「弱さ」を語るようでこの社会では受け入れられていません。「人間は多様な価値観を、受け入れるところからはじまる。」ことにも合意の形成ができない社会です。つまり、強がらなければ誰も相手にしないという側面があります。
 私は、彼が自分を許せないという価値観と、本当にずるいやつは自分にこそ甘いのだという事実をなかなかうまく伝えられなかった事を悩んでいます。ようは、一見うまくやっている人のずるさを彼に伝えきれませんでした。自死をした子どもの親の責任という人もいますが、彼を否定したことはないし、学校に行かないことも積極的に受け入れてきました。
 しかし、自分に寛容ではない、子どもを「いい子」と言い、単純に誉めそやします。うーん、戦時中に死んでゆく若者を「神」になると崇めたように、自分を許さずに生きる子どもを美化します。親は、卑怯でもいいから生きて欲しかったです。親として卑怯に生きることを教えることができないできたことは、無念としか言いようがありません。
 今の社会の中で生きにくさを抱えた子どもはたくさんいます。おそらく、綱弘の気持ちを私以上に理解している人もたくさんいることでしょう。その人たちの、心の中に綱弘は生き続けます。そして、生きにくい子どもが、新しい選択を見出せるように、私も全力を尽くしたいと考えています。
 
変化は、人から見えるもの [2019年01月07日(Mon)]

 子どもは、大人を本当によくみています。私に対して一番辛辣な意見をいうのは子どもです。それは、ありがたくもあり、自分の分身を見せられているようでもあるので、子どもを通じて私自身が自分を理解することもあります。
 人が変化するというのは、知識の問題ではありません。道具の問題でもありません。行動の問題です。あのひとの変化わその人の発言や行為によってしか表せません。自分がいくらいいことを言っていても、行動が伴わない人、結果を出そうと工夫をしない人は、そこまでだと思われてしまいます。
 教育を通じて、行動が変化してゆくことが学びの成果です。たくさんの学び方がありますので、どれがベストかどうかはわかりません。ただ、教育実践の中で学び方の公開を意外とされていないこと、(これはフリースクールも同じです)は大きな反省です。私たちは日々何を気づいてどんな実践から行動を変えているのか?もっとオープンにしてゆくと、そこに議論が生まれます。
 公教育かフリースクールか?子どもへのアプローチを考えると、そこはあまり議論しなくてもいいところです。まずは、変化を見せることは、教育に携わる者の責任だとも思います。
フリースクールは「学校」である [2019年01月05日(Sat)]

2019年
明けましておめでとうございます。今年も全国の学校外で学ぶ子どもたち、不登校の子どもにとって幸せな1年であることを心から祈っております。
 *さて、さっそくですが、私はぼーっと正月のテレビを見ていたところすっごいことに気がつきました。それは、フリースクールを学校ではないと言っていたことの誤りです。なんでこんなにわかりやすい言葉を避けていたのか?理由は簡単で、自分が学校が嫌いだからです。学校じゃないと言った瞬間に、なんだこれはわかりにくい面倒臭いところだなあ、と思われたに違いありません。本当は、学校と重なる部分もあります。だからあえて学校ではないというよりは、学校であると言った方が大勢の人の共感を得ることができたのです。この20年間、もっと多くの子どもたちと出会えたかもしれないのに、なんてもったいないことをしてしまったのだろう。「つまらない、意地やこだわりを早く捨てないと」というのは私の口癖でもありました。危うく私も、昭和の博物館の中に収蔵されるところでした。(苦笑)
 *学校は、大勢の子どもに学びを提供しました。
 *学校は、貧しい子ども達を労働から解放し、学びの機会を与えました。
 *学校は、身分や出自の違いを超えて、学ぶことへの平等な機会を提供しました。
 *学校は、子どもたちに丈夫な体と栄養を与えてくれました。
 *学校は、好きなだけ本を読む空間や大勢の人と知り合う機会さえも提供しました

上に書いた学校を私は決して否定していません。むしろ、学校は必要な場所だったのです。問題は、学校に対する周囲の期待が高まりすぎた事と、先生方や行政が期待に応え過ぎようとしたことにあると思います。
 私は、学校を否定しません。むしろ、学校本来の姿をもう一度考えるために、フリースクールを20年前につくったのです。私がつくったのは、教育基本法にのっとった1条校ではないですが、学校なんです。
 さまざまな理由から、いままでの学校に通いたくない子どもが、自分にとって組み立てやすい学びのある学校です。ただこの学校は、学びさえも自分でつくることが出来るので、先生を選ぶ自由も、あえて先生につかない自由もあります。テストを増やして競争をしない代わりに、徹底的に話をします。憂さ晴らしにゲームもしますが、憂さがなければ、自分でギターを弾いてご機嫌な時間を創り出します。やりたくないことを無理にやりませんが、必要であればやりたくないことも行います。
 自分で考える時間をたくさんとっていいので、無理に他人に合わせたくないときは、家で自分で学んでもいいのです。倫理的に許されないことは、教師も生徒も守ります。個人情報も保護され、ジェンダーや性的マイノリティーへの配慮もされます。
 私たちは、そんな学校なんです。この事で少し、みなさんとの距離が近くなればいいなあと思います。