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こどもはチェックされるのが、嫌いです [2018年10月31日(Wed)]

学校に行くときに「忘れ物ないか?」「お財布持ったの」と親はよく聞きます。どうして聞くのか?これは、大人が不安だからだと私は思います。こどもに不安などあまりない。お金忘れても、ハンカチ忘れても何とかなるものです。時には、大人の不安を押し付けているだけに終わってしまうこともあります。
 こどもは、むしろ自分でなんとかする力を身につけます。ここが大事なんだと私は考えています。仕事に就くにしてもそうだが、自分で自分や他者のために力を発揮することを誰かに言われないとできないのでは、心もとないのではないでしょうか。本人が心配する音も含めて学びだと思います。そのせっかくの学びの機会を奪ったり、こどもに別の不安を植え付ける事を行うだけでは何も意味はありません。
 大人がチェックすべきは、不安な自分の感情をこどもに転移させない事だと思います。
不登校やいじめは選択肢がないから増えて見える [2018年10月28日(Sun)]

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 2017年度の学校基本調査調査によれば不登校は中学校で33人に一人の発生割合になった。学校に行かないこどもの割合が増えている。学校を変えよう。スクールカウンセラーが、こどもの学校復帰を支えようという改善策は、なんら功を奏していない。もはやここ10数年使い古されたセリフにも聞こえる。

 不登校の苦しさは何か?問題なのは、大人になる過程で学校以外の選択肢が用意されていないことではないだろうか?学校に行かなくても、大人になれる道があれば、スクールソーシャルワーカーが学校に行きたくないこどもを無理に学校に戻す必要はない。
 学校に行かないことに、親が必要以上に心配する必要もない。大人になる上での第2の選択肢があればこどもたちは、もっと伸び伸びと生きる手段を考えてゆく。教育委員会も制度を支えているのは、自分たちしかないという責任から解放される。教師は、過度のストレスで苦しむこともない。
 私たちは、迷いながら生きている。この迷いが不登校であるとすれば、大人の多くは迷いの経験者である。問題なのは、答えのないところから答えを探し出す能力を高めてゆくことで、ある一定の過程で教育を行うことではない。
 いつしか私たちは、制度化されたものを更新して変えてゆく能力を失ってはいないだろうか?不登校が増えたことを問題視するまえに、制度の見直しができないことをもっと考えたほうがいいと思う。
不登校は5年間で考えましょう! [2018年10月17日(Wed)]

不登校の問題を考えていると、学校の制度(6.3.3.制)と不登校の問題が、非常に相性が悪いことに気がつく。つまり、不登校のこどもたちは、いつ不登校になるのかわからないのに、中学は3年間で終わりになって、進学問題が突きつけられてしまう。多くの親は、焦りますし、こどもの進路の為にできることを探します。
 問題はこの親や教師の焦りは、「本人の為」と称して、有形無形のプレッシャーになることです。本人でさせ学校という枠をでてどうなるのかわからないのに、どうするのか?と問い詰められたら、多くの場合混乱します。ジブンを責めます。これが本人の精神状態に良いのか、悪いのかはお構いなしにやってきます。
 不登校の多くは(8割ぐらい)5年以内に解決します。しかし、それを学校制度は待ってくれません。この中で、不登校のこどもたちは苦しみだけ増していきました。もしあなたのこどもが不登校だったら、5年の猶予をくださいと私は言います。その中で変容してゆくからです。
 こどもは簡単に希望を得ることはできません。時間をかけること、時間と共に解決してゆくこと。本人が少しづつ自分への認知を高めてゆくこと。これが大事なんだとずっと思っています。
フリースクーに通うこどもは何を学んでいる? [2018年10月13日(Sat)]



フリースクールは遊んでいるだけ?では、ありません。遊びも含めてこたえのない物語を自ら紡ぎ。さがし、つながり、学び合うばです。2018年9月15日、日本フリースクール大会(JDEC)のフリースクールに通うこどものシンポジウムを再録します。こどもは、こたえのない道を歩き始めました。始めはどうなることやら不安の連続ですが、やがて、自分たちの手で紡ぐ物語と確信を手に入れます。
 少し経験からでも、この学びの可能性を感じて欲しいです。