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人を応援すると自分が元気になります [2019年12月25日(Wed)]

人間が元気になるの方法の一つは、人を応援することです。
相撲やサッカー、ラグビーになぜ夢中になれるのか?応援することで、自分が元気になれるからです。じゃあ、これは不登校やスポーツをしないどもに対しても応援できるのか!問題はここです。ハキハキ対応したり、見た目がスッキリ爽やかじゃないとなかなか応援されません。
 ダサかったり、朝寝坊している人。「俺は応援されるのが苦手だし!」なんていう子どもは、どうやってもわかりにくいので後回しにされるか、放っておかれます。スポーツの応援もいいのですが、この一件誰にも応援されそうにない、不器用な子どもほど、実は可愛いものです。たくさん応援もできます。
 私たちは、いろんな応援をすること!ボランティアや寄付も同じです。ぜひ、教育の現場に来て見てください。私たちは、子どもをいろんな手を使って応援しています。カラオケ、料理、旅行、なんでもありです。
学んだら行動する [2019年05月25日(Sat)]

 学んでも行動しなかったり、ずっと考えているにとどまったり。考えて行動できないのは、不安だから?行動する必要がないのか?もしくは、そもそも自分なんか目的を達成できるはずがないと思っているのか?
 自分だけがわかっている。自分はできる。と思ったことは思いの外できません。上手くもゆきません。だから、行動しながら考えるのだと思います。予定調和しないということを前提に考えると、予測不可能なことが楽しくなります。支援を前向きに支える人同士がつながりはじめます。
 学んだら行動する。幸せの実現のために学ぶ。これが大事だとつくづく思います。
 
大人も変わる喜びを身につけてみる [2019年05月10日(Fri)]

大人でも、子どもでも変化できる人は勇気がある人だと思う。
「変化は自分にとっての幸せを運ぶ」ということをあらためて感じている。自分を客観的に見ることに私たちは慣れていない。
怖がってしまう。実際に言えば私も怖い。どんなに醜いのだろう。どんなにつまらないのだろう。それを考えると夜も眠れない。実際、録音した自分の講演を聞くと夜はよく眠れる。恐ろしいほどにつまらない。これは申し訳ない。本当につくづく謝りたい。
 でも、それを知らずに一生を終えたらもっと大変なことになっているに違いない。要は、恥の上塗りをしているだけだと。だから、自分の講演をひたすら録音してひたすら聞く。認知症の老人のような話が、少しでもわかりやすくしたい。ただそれだけなのだ。
 「講演の後で聞きやすかったですよ。」と言われることがうれしい。だいたい
人のためになることなどは話せない。せめてできるのは人の邪魔をしないことぐらいなのだから。
子どもを肯定できない大人 [2019年04月17日(Wed)]

 子どもに優しくなれない大人の話です。これ抛本当に胸が痛みます。子どもも大人も悪意があるわけではないからです。むしろ、大人の方に辛さが潜んでいます。自分が自分で精一杯で何も変えられない。助けも呼べない。相談できない。
 苦しいです。精一杯頑張っているのにという思いだけが、空回りしています。精一杯に頑張れば頑張るほど、「助けを呼べなくなります」助けを呼んだ瞬間に自分が崩壊するようなショックに出会います。
 人間は弱い。本当に弱い。強がっている人ほど弱い。私も弱い。
問題は、自分が自分の弱さを見ないこと。それでやって行けると思い込むところにあります。春先は、子どもも忙しく、新しい環境に慣れるのに精一杯です。だから、大人がもっとこどもの考えているところに、関心を持って行く必要があると思います。 
東日本大震災から8年で価値観は戻っている? [2019年03月11日(Mon)]

 東日本大震災から8年がたった。今日は、温泉でまったりとしている。もはや、自分が頑張ればいい、誰かの追い風に乗って、誰かの目的実現に合わせるために、有頂天になるときは終わった。むしろ、これからが福島にとって本当の復興だと思う。製造業を中心とする業態から、サービス、医療・福祉、教育を中心とした被災地の産業構造に転換してゆく必要がある。医療・福祉は相変わらず人手不足という状態が続いている。人材育成も、経営モデルの転換もうまくゆかない。若い女性は福島を後にして、大学などの進学で県外に出た若者が帰ってきても地域に仕事はない。誰もが予想していた事態だが、まだまだ、復興補助金でなんとかなると思っていた人も多い。補助金は、問題の先送りであって解決ではない。これもあたり前の話だ。
 外から来る気まぐれな東北愛好者に合わせて行動しても、鯉のぼりほども上昇気流には乗れない。問われているのは自分だ。深く思う。雰囲気やムードだけでは、経営はできない、被災地と言わないでも買ってもらえるサービスや商品が必要だと思う。もはや、本気の時代で、被災地のハンディーキャップなどはどこにもないと思ったほうがいい。もっと関心を顧客に集めなければ、自分たちの打ち手はどんどん遅くなり、成果は遠くなる。
 かつて、独断の判断と犠牲を強いた私は、本気で顧客をの関心や目的と対話している。バカな独断は、何も産まない。私の顧客は子どもです。あなたの顧客は誰ですか?行政だったりしませんか?一人一人の顔は見えますか?まさに、そこをみない人は未来に目を閉ざしている。原発マネーが復興マネーに変わり、やがてオリンピックマネーになる。その人たちのように日本全国を旅するのか、自分自身の足元見るのか?岐路は、もう過ぎているのかもしれないとも思っている。
幸せをつくることができない教育とは [2019年02月28日(Thu)]

 いつ頃なのかはわかりませんが、学校にゆくと「〇〇大会スキー優勝〇〇さん」「東京大学合格〇〇さん」という横断幕や看板が掲げられています。現在、「不登校の子どもと〇〇を取り組んでいます」「ホームスクーリング◯名」過去の「いじめの経験を生かした取り組み」を行っているという表記はどこにもありません。
 学校の名誉は「生徒の評価」にあると考えている学校がほとんどです。いじめとか、不登校とか、の問題はとりあえずやっていますよ。という扱いをされているところが多いです。いじめ不登校対策でも、生徒とともに教師が学ぶ、いじめが起きないとはどんな条件か?生徒が自ら考える学びを行なっている学校は、ほとんどといってありません。
 ほぼ、生徒の脳に知識をインストールするような学びで終わってしまっています。つまり「いじめはダメ」という知識を覚えさせる学習が成果だと思っています。人権や人格や学校の役割、集団で学ぶいいところ、自分で考え表現する大事さを生かし切れていません。これでは、容易にいじめは再発します。
 学校が守るのは命、学校が輝かせるのも命。それを行うことが最低の要件なのに、それでは先生は評価されないから、せっせと子どもたちを焦らせて、走らせる。勉強させる。おそらくオリンピックに出るような人や東大に入る学生は、その学校からではなくとも東大に入り、オリンピックに出るのです。自分が指導したいと言いたいのは勝手ですが、本当に先生たちを必要としているのは、活躍できない子どもです。
 人から受けた「愛」によって、輝ける子どもです。先生は、一人の人間で不完全であってもいいですが、子どもと学びあうことだけは、忘れてはいけないと思います。そこが見えないとすれば、自分でスポーツクラブを経営されるのも一案ですね。
不登校ですが、息子は朝からデートへゆく [2018年11月24日(Sat)]

この3連休いかがお過ごしですか?
我が家は、それぞれがみんなばらばらな連休です。妻は里帰り、息子は朝からデート。そして私は、フリースクールのスタッフ養成講座で東京に来ています。
 息子は、彼女ができて3ヶ月ぐらいなので毎日がウキウキです。幸せ感がいっぱい。私と1週間口をきかないことはザラです。だけど私は、この子の内面から湧き出てくるような力を感じています。誰かに否定されても、それを受け流すことができる力でもあります。
 私にとって、3年ほど前息子がいじめられて、つらくて毎日夢を見てうなされるような時は、本当に苦しかったことを覚えています。親として、本当にこの子を支えられているのかいつも自問していました。
 今、息子は元気です。これでいいんだと私は思います。本当は何をしたい!、このこころの内面と息子はつながることができたのだと。親として、勝手に落ち込んで、勝手に喜んでいる自分にも気がつきました。
 学校に行かない間に、ひたすら子どもと話をしていて、内面が少し見えた時私は救いを感じました。「なんとかなるよ」という感覚が伝わったからです。同時に、この子は大丈夫だという安心でもあったと思います。息子が親に黙って朝からデートに行く。これでいいのだと、私は思っています。
なかった事にはできません [2018年08月06日(Mon)]

 いじめ、不登校、虐待
どの事例も教育や子どもの育ちにとって非常に大変な問題です。大人はなかなかこれを受け止めきれません。受け止め切れないという問題と、この問題を解決するために大人が動くという問題をどのように考えたらいいでしょう?
 先日、LGBTの問題への発言で議員辞職を求められた議員がいました。おそらく、数年前であれば、ここまで世論の批判にさらされることはなかったでしょう。社会がまだLGBTの問題に対して無関心であったからです。当事者の活動によってこの問題は、大きく社会的な認知を受けるようになりました。(かげながら、マツコデラックスやはるな愛の活躍も大きな要因だと思っています)
 不登校の割合の増加や、いじめ、子どもの自殺の問題は、国にとっても放置されることが許されない問題です。私たちはこれをなかった事にはできません。しっかり問題として捉えて議論してゆく事が必要だと思います。
 大人の中には「こどもの心が弱いから自殺や不登校になる」という人もいます」なぜか、この問題が制度の不備や時代遅れの問題ではなく、人間の内面の問題になってゆきます。人間の内面の問題なので政治や行政では解決できないと。本当にそうでしょうか?制度や仕組みの中で、こどもの自殺は防げますし、教育の選択肢を増やす事で不登校は問題なくなってゆきます。
 社会的な価値観として、いじめがおきる権力や不安としっかり向き合い、それを安心にかえるしくみを入れることです。こどもが自由に成長してゆくことを恐れてはいけません。子どもは自分の人生を取り戻すこと。内面から生きる力を出してゆくことで、その人生を全うしてゆきます。
私たち大人は、子供が自分の意見を持って生きることを恐れてはいけません。
考えが違っていつもつながり合う [2018年07月29日(Sun)]

 私にできることなどは限られている。人生の長さもある程度限られている。そうであれば、自分の人生を精一杯生きるために、多少の考えは違っていても、人とつながりながら仕事をすることが、必要であることは当たり前のこと。
 これまで私たち民間教育の側の人間は、学校の先生たちと一緒に学ぶ場をつくることができませんでした。単にお互いに、考えすぎて声かけできなかっただけだと私は思います。学校と民間教育の文化は違いますが、お互いにこどもの学びの場であることには変わりがありません。
 つながることでこども達に選択の幅が広がることはとても大事なことです。私たちは、これからも広くつながりあい、場を広げてゆきたいと思っています。
不登校の我が子の学校で給食をたべた [2018年07月14日(Sat)]

 2人の不登校の子どもの父でもあり、フリースクールを主宰している私です。しかし、最近学校の授業参観やまして、先生懇談する機会などはまったくといっていいほどありませんでした。先日、不登校をしている息子の学校を訪問して、給食を食べさせて頂いたり、先生方と懇談したりという贅沢な時間を過ごさせていただきました。
 「大丸1大丸1️くん(次男の名前)は、今何を頑張っているのですか?」という生徒さんの問いに、「今毎日料理をして、家族に貢献しているんだよ」というとキョトンとした顔をしていました。ここがおもしろい。この生徒さんは、家事をやったり、自分の好きなことに夢中になるのではなく、学校の中の学習や、競技会での順位にこだわっています。これを挑戦といっています。
 いろんな挑戦があっていいですし、関わりがあってそこで人の人生なんて柔軟に変更されてゆきます。ちなみに私の中学生時代は、新聞記者になりたいと言っていた気がします。教育なんて絶対にやらないと思っていました。それがいま教育にかかわっているから不思議です。
 給食を食べた時間は15分、その後後片付けの時間になりました。急がなければならないから大変と思いきや、生徒は余裕で歯磨きをしていました。
 先生方との懇談では、先生方の一生懸命の不登校の子どもへの関わりや思いが、しっかりと形になるようにしたいな〜。と思いました。将来を見据えた一貫した学習環境や本人支援がまだまだたりない。これは圧倒的な我々の力不足です。
 学校の努力のまえに、自分たちの活動を伝える努力をしなければと。思った1日でした。