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フツーの家族なんてあるんですかねえ [2021年06月23日(Wed)]

不登校はどうすればいいのか?
こんな状態はフツーじゃない。家族も何もできない。
学校にゆかないなんて、誰にも恥ずかしくて言えない。
不登校であった自分は、言われ放題であった。

人間としてダメ出しを受けた私は、40年をすぎてもまだ生きています。
それなりに人さまとお付き合いをさせていただいています。

もちろん、私を嫌いな人もいます。でも、誰でもそんなもんだと思います。
誰からも好かれるわけでもないが、自分の人生を淡々と生きています。

フツーじゃない人生!!と言いますが、単純に反発してみるとふつーの家族や、人生なんてあるのでしょうか?ないんじゃないですか?正確に言えば、フツーを求める人生があるだけではないか?と思うのです。フツーを求めていても、フツーなんてもともとないとしたら、一体どんな理想を求めているのだろうと思います。

認めたくない人生を見ないようにしていることが、フツーであるとすれば、フツーであるということは、自分の心の何かに蓋をするという事なんだと気がつきます。

フツーであるという幻想を受け止めてみる。

なぜか。その人の孤独と向き合うことになる。みんなフツーであることを求めて、自分を殺しているんだろうなあと。

辛いのは、フツーという現像を追い求める人南アということです。

大事なのは、「今日を生きる自分」おそらくここからしか全ては始まらないと気がつくまで、「人々はフツーに憧れ続けると思います。それが、普通というものの怖さなんだと気がつきます。
ただ応援するのみ、自分の不安は子どもにぶつけない [2020年12月15日(Tue)]

親子のトラブルで大変よくあるのが、親が子ども自分の不安を直接ぶつけるということです。子ども思いで、自分に正直な親御さんであれば誰しも経験があります。親は、子どもにマイナスの感情をぶつけがちです。(自分がぶつけないと生きていられない。辛い、これってあなたのせいだと思う」

多くの人は失敗しないようにぶつけるのだと言います。子どもからすれば、「大学に入れないと不幸だ」とか「偏差値が低いと一生幸せになれない」というような呪いの言葉(笑)幸せになれるとは思えません。

親も実は、他人には嫌な言葉をぶつけません。

なぜか自分の子どもだけです!(愛情が深い)


応援する人は、どのレベルで応援するかにもよりますが、その人の最高の状態と効率化。最大の能力の発揮を望むので、不安に陥れることにほとんど意味がありません。「不登校でも、骨折でも解決できるよ」という思い込みでいいんです。

成し遂げたいことに、集中できれば、効率化やスピードアップが測れます。

人間の能力はほとんど差がありません。

IQも大した問題ではない。

どこで、最高の状態をつくるのか?

問題はここですよねえ。

大人は最高の状態をつくる応援だけすればいいので、不安を深掘りしても子どもは、後ろ向きな気持ちにしかなれません。
大人ってなんか自分が上から目線なのに気がつけない [2020年11月30日(Mon)]

子どもが宿題をやる時に手で隠してやる子がいます。
とても可愛い。


たぶん、あれやこれやと大人に言われるのが嫌なんだなあということがわかります。
大人であるだけで、上から目線を子どもは感じます。大人は上から目線の大人が嫌いなのに、自分は上から見下ろしたがる。不思議なもんです。
上から見ていると安心なんだと思います。


子どもの皆さんは、不安な大人ほど上から目線になっているとはあまり気がつきません。
無力な大人ほど力を振り回したがるということも知りません。

大人の無礼をただ謝りたい。


明日から12月です。ぜひ、今年の終わりを楽しめるように、ワクワクしながらやってくださいね。
子どもに迷惑をかけられている親? [2020年11月27日(Fri)]

子どもはいつもまっすぐ生きたいと思っています。損得もなく、ただ真直ぐに生きたいと。
私たちのフリースクールでは、こんな仮説を持っています。
1、自分のことを本当に嫌いな子どもはいない
2、生きることの困難は、大人が勝手につくっているハードルにすぎない
3、困難を乗り越えた子どもしか成長しないと大人は勝手に思い込んでいる
4、大人は、自分の子どもをどのように応援していいかわからない

この仮説を検証してゆくと、だいたいの大人は自分の思い込みで、子育てをしていることに気がつきます。恐ろしいことに、教育の専門家であるはずの学校の先生についても同じようなことが言えます。子どもに対して思い込みで判断するということを平気で行なっているのに、自分が勝手に被害意識を持って落ち込んでいる。

大人がつくった障害物を子どもに越えさせることが教育だと信じています。子どもにも無自覚にそれを強要している。この大人の自負は、始末が悪い。その人の公開やコンプレックスが固まったものでしかないから、相当の労力でも解きほぐせない。


不登校の課題解決への姿勢は明確です。

1、大人が考えているのは、あくまでその人の思いつきと仮説である。その実証責任は、子供にあるのではなく大人にある
2、大人の仮説の実証に付き合わなくともいい大人になれる


これだけなんです。

不登校で学ぶべきは大人であって、子どもに解決を依存するのは大人のわがままでしかない

この仮説も証明したい!


子どもへ怒るあなたは、自分を変える勇気がないだけ [2020年10月17日(Sat)]

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昨日も自分の中に怒りがどんどん出てきてきたのでこれはヤバイと思って、速攻で家に帰りました。食べる。寝る。

おおむねこれで私の怒りは解決します。

大変お騒がせしていますが、この程度です。

実は、これは私だけではないはずだと思っています。

多くの大人たちは、こんなことで怒っているに違いないと。自分は、拝察しています。

要は、自分を自分でわかっていないだけ?なんです。

怒りに任せて、自分の怒りを鎮めてくれーっと周りに言っているだけです。子どもからすれば、こんなに面倒臭い大人でも付き合うしかないというのが不幸です。

子どもは、相手を分析して、対応を決めてゆきます。

黙るか?無視するか?一緒に話をするか?

子どもの方が柔軟なので、自分を変えてゆきながら生き延びます。

大人は自分を変える勇気がないだけ。いろんな方法があるのに、怒りという簡単な方向に自分を追いやっているだけです。

いつかそれは、改善できると思ったら大間違いです。全く改善できません。

自分という存在は、厄介です。

全くもって。

人間は賢く生まれて、愚かに終えるかもしれません。
僕らはうまくやりたいけど、うまくゆくことだけが人生の目的ではない [2020年09月26日(Sat)]

不登校の子どもたちは、なんか関わりにくそうだと思われています。
なんか聞くのも悪いし。
かといって放っておいても良くないし。江川さんどうすればいいですかね?と良く聞かれます。
どうすればいいのか?悩みながら付き合うのであれば思い切って放っておいていただいた方がいいかもしれないと私は思います。

不登校の子どもたちも、みんなとうまくやりたいと思っています。
この場合のうまくやるのは、概ねトラブルなくということです。
しかし、うまくやれない時もたくさんあります。
うまくやろうと、思えば思うほど、人に嫌われることもあります。

要は、うまくやることを諦めればいいのかもしれません。肩の力も抜けるし、緊張もしなくなればいいんです。うまくなんてゆかないと、開き直ってもいいかもしれません。

ちなみに、私の人生の前半はひどいことの連続で、修行僧のように悩んでおりました。今は比較的、悩みません。悩むということをやめたからかもしれません。

とは言え、「うまくゆかせよう」という意欲を持たないわけでもありません。

ただ、焦る必要はないと心から思っています。
人は必ず死ぬのであって、生きる価値は人生の長さくらべにあるわけでもないからです。

不安・不満がたまると、怒りたくなります [2020年07月31日(Fri)]

よく怒る親。
コロナ下の中で家族の中でも、怒りの爆発がおきていると思います。怒りの根源は何か?多くの場合は、大人の不安や不満。自分自身の先行きが、見えないことです。学校に行っていても不安があれば、怒りは生まれます。どのように生活を進めていいのかわからない?誰に聞いても、参考の意見などはない。
自分で決めるしかない。
 自分で決めることに慣れていない人たちは、苦しさの中で行動をしようとします。大人たちは、怒るよりも先に不安の捨て方を学んで欲しいと思います。誰もが、うまくゆくかどうかなんてわからない。正解があるかどうかなんかわからない。だから、自分の中のベストを大事にしようと思えばいいのではないでしょうか?自分を大事にできることが、何よりも価値だと思います。
自分の中に他人を増やす=「気づく」 [2020年05月13日(Wed)]

 同じことを言っても、全く理解が違うことがあります。お互いのコミュニケーションで違いを埋められないと、結果的に、それは単純な対立になってしまいます。時には、非和解的なものになる。前提として、同じ日本語を話しても伝わらないことが、ごく普通にあるという事です。
 ところが、ここに経験値や年齢が加わると、自分の視点を絶対化してしまうという、さらなる困難に出会います。そろそろ、私たちの中である正しいか?間違っているか?という議論をやめましょう!今回のコロナ騒ぎの中で、予防、対処にはPCR検査を増やせばいいという議論があります。今回のウイルスの抗体が、まだ見つかっていないとすれば、われわれ人間との共存しかないというイギリス人の発想は、決して間違いとは言えません。違和感があるものや、免疫のないウイルスを、我々は拒否できれば、それでもいいのですが拒否し続けてだけいては、日常生活もいとなめません。
 検査しても、感染がわかっても対処する療法は特にはないのです。受け入れるという、という能力こそ私たちは必要なのです。相手を理解して、受け入れる。共存する。拒否することはできないのです。
 だから、共存の知恵がお互いに働きます。人間も同じですよね。職場でも、仕事上のパートナーでも、「拒否することができない」ということことが前提になります。共存しかないとすれば、あるのは、最適化をいかに行うかしかありません。まさに、ウイルスや、病原体に打ち勝つことだけを考えてきた人間にとっては「敗北」のように感じる人もいるかもしれません。しかし、ある意味すごく当たり前のことを問われています。共存という形です。
 不都合な相手でも対立せずに、いかに共存してゆくのか?気づきあいながら、修正を重ねてゆけるのか?この知恵を積み重ねることが、アフターコロナの時代にわれわれが問われることの一つだということです。
 
 
親は変われない、もとに戻りたがる(七転八倒) [2020年01月07日(Tue)]

子どもの変化を日々感じています。
 大人は、不安なの中でもとに戻りたがります。やはり学校に行った方がいいのではないか?不登校という特殊な状況が悪い?みんなと同じがいい。もとに戻りたがる力は非常に強いです。変化をどこかで押しとどめていないか。問題は自分です。誰かのせいではなく、自分が向き合えない。いいカッコしたがる。これは、私も同じことです。
 いいカッコすると、今度はまた、本当の自分はそれでいいのか?プレッシャーに襲われる。楽しくない。あ〜だめだ。ダメの連続のなかで日々葛藤しています。怖い、不安だ、怠けたい、何もしたくない。私は、こんな気持ちを学校で学んできました。
 でも、不安だから働く?
この大人たちが、将来の不安と向き合いながら日々ゲームに励む子どもたちに何を挑むのか?人生の心構えが少し違うので、容易に嘘を見透かされたります。七転八倒している大人?実はこの姿が過去良くないかなあと思うんですですよ。
 子どもの前で、もがき苦しんでいる姿を見せた方がいいと思っています。全くダメダメな姿こそ、子どもへの贈り物だと。
一流の応援され上手になろう! 1年間ありがとうございました! [2019年12月31日(Tue)]

前回も書いたように、人とは誰かを応援すると元気になれる。
でも世の中は、応援したい人に溢れていて、応援されたい人があまりに少ない。応援したがる人が多い。これはボランティアでも、同じ傾向があって、「ボランティアしてあげているのに、感謝が少ない」される側はいつまでも「ありがとう」と言い続けることに疲れてしまう。
 東日本大震災を経て、今、ボランティアや市民活動は多くの共感をえましたが、ここから先どうしようという課題にも向き合っています。もの言えない市民。辛ささえも言えない市民に溢れています。市民活動をするわれわれからすれば、「応援されやすい人になろう!」ということです。みんな、応援したがるけれど実は、応援するのも苦手な人が多いです。
 映画でいえば、切られ役がいて、切る側も引き立つ。一流の応援される側にまわってみようかなあ。その方が私が応援しているより、さらに多くの人を励ますことにつながりそうだから。こいつを応援して本当に良かったと思わせたい!ここだなあポイントは。と独り合点をした年末でした。来年こそ、こいつおもしろいやつだなあと唸らせたい。
 
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