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注意されたり、叱られたり と 人間の気づき [2021年08月24日(Tue)]

昨日久しぶりに注意されました。しかも感情的に注意されたのでいろんなものが沸き起こって来ました。フィットネスクラブでメディアから取材の電話を受けておりました。
不注意にもリラックスするスペースで電話していたものですから「電話やめてくれないかなあ」とやや不機嫌な声で注意されました。

この歳(57歳)で注意されることも少ないので、私はたくさんの気づきをもらえました。
*率直にガマンしないで言っていただいたのはありがたい
 どこかで私は誰かにガマンを強いているかもしれない
*すぐに相手の行動を変えるために、感情的な注意をするのだと思う。ただよく知っている関係だとこれは関係を壊すかもしれないなあ
*自分が気付く(学ぶ)という視点からいえば、相手が気づけるような注意はあるかもしれません

いづれにしても、あっさりとあまり感情的にならずにできないのか?
これは自分の課題です。

子どもたちは、日々注意にさらされています。もっと気がつける注意はないのか?
ここは考えどころだと思います。

親父たちも日々学ぶ!

なんとなく、心がふわふわしている [2021年06月09日(Wed)]

自分の気持ちを、自分が見失うことはありませんか?
ふわふわしている。

毎日のように、私は見失うことがあります。

何をしたいのか?を見失っているだけではなく、なぜ今自分はここにいるのか?を見失っている場合が多くあります。

苦しいと感じることもあります。

気がつくと、何も感じないようにしている自分もいます。

子どもは、自己嫌悪なんかないだろう。
働いていないんだから、無理やりなんかをすることもないだろう!

それでもふわふわするんです。

心の底から、「不安」や「嫌な感情」が湧いてきます。

気がつかないようにしよう。


心の中に秘めておこう。


それでも、「ふわふわする」このふわふわが学校にゆけない予兆であるとは誰も思いません。

人間は、さほど柔軟に自分を変えることができないんです。
苦手意識と経験 [2021年02月01日(Mon)]

「なんとかなる〜」と思えるのはなんとかなるという経験をどこかで経験できているからです。
苦手なことを克服するというのは、とても困難だと思っている人も多いです。
できないというのは、本当にできないわけではなく、精神的な恐れや不安を持ってるからできないだけです。

ただ、どこで経験するのか?ということについて言えば、一方的に命令される場で経験を積むのではなく。自分で試行錯誤できる経験を積むのがいいと思います。本人と楽しみながら、否定せずに積み上げる経験です。

経験の積み上げが、自信の積み上げになるには、そこから学び続ければいいのです。


子どもから学ぶ大人はいつもチャンスを提供しつづける [2021年01月18日(Mon)]

「フリースクールでは、大人も子どもも学びあいます」
「それはなんとなくわかりました。それで、どんなテキストを使っているんですか?どんな教え方をしているんですか?」
「特別に学校に戻れる方法を教えてください」

なんかこんな問答を20数年続けていると、「大人のわかりました」ほど当てにならないものはないと思います。こどもの話を聞きもしない大人が、子どもの理解者にはなれない。方法論だけで腑に落ちても、人は動かない。
逆に、本当に何をすればいいのかわかっていればいいのかわかっていれば、誰もが動き出せます。

子どものモチベーションを上げるのは1日にしてならず、崩すのは1日もかからないことがわかります。残念ながらまだまだ、子どもを理解する力は稀有なのですよ。子どもから学べる大人は貴重なんです。

服従を強いられる理不尽 [2020年10月02日(Fri)]

https://blog.canpan.info/egawa/img/IMG_0433-thumbnail2.JPG


 私は英語で表現することができない。でも無謀にもアメリカに行って、東日本大震災の後のこどもの様子を、世界中のフリースクールの人たちに伝えた。もちろん伝えるときは通訳付きである。しかし、小学校6年生の息子を連れていった。全くもって子どもにとってみれば迷惑な話だと思う。
 しかし、世界の人たちは、なぜ日本人は福島から日本から逃げないのか?と思っています。当時、福島の人は、なぜ逃げなかったのか?逃げてもいいと思えなかったからだと思う。つまり、とりあえず服従してしまう。これが習い性になっていると、服従させられることが普通になってしまう。
 「学校にゆかないくていいよなあ」学校に行っている子どもがつぶやくセリフはいつもこんな感じで、学校にゆくことを、どこかで自分の意思ではないというように、あきらめた表現をする。彼らは服従を強いられている。自分は、ありのままの自分で学校で受け取ってもらえるとは思っていない。
  不登校の子どもたちは、どっかで服従を強いられることに対して、あきらめている。その多くは、結果的にいえば理不尽だからだと思うのです。
 
自分は、どのように「ありたい」のか? [2020年04月23日(Thu)]

学校が休校になってから、地域の風景や子どもの様子も一変してきました。スーパーには、マスクをする人の無言の列。誰も桜を見にゆこうとはしない。静かな朝。そしてこどもたちが、家にこもる。こんな時間が来るとは誰も思いもしませんでした。東日本大震災以降、最大の劇的な変化だと思います。
 しかし、不登校の子どもたちは不思議とフリースクールを休まないできます。毎日こなくてもいい場所なのにやってきます。私たちは、「大丈夫だ」と直接いうこともないですが、本人の安心をつくりだしています。
 こころの居場所なのかその人にとって必要な空気みたいなところなのか?と言われれば、まさにその人にとって必要な場所をつくりたいのです。何ができるのか?といえば、何もしなくとも安心できる場を作りたいと思っています。
 コロナがあっても、震災があっても、経済恐慌があっても変わらない場所をつくること。そこにいることで安心できることを大切にしています。風景が変わっても変わらない。私たちは、時代の風を受けても、煽られない場所でありたいと。
 大人にとって今大事なのは、肩の力を抜いて生きることかもしれません。力が入って当たり前ではなく、力を抜くことで周りを楽にすることもあります。私たちのありようは、ホッとできる場づくりであると思っています。
こどもの自立とこどもへの依存 [2018年07月03日(Tue)]

私たちは、自分の言葉を出すために時間をかけています。自分が仕事をする上でも、学ぶ上でも、自分の言葉を出している。自分ができないことに挑戦している。しかし、当然こどもなので、自分を出すにしても危なっかしいし、しょちゅう失敗やできごとにであって、くじけます。
この自分のこどもが「くじける」ということに耐えられない大人がいます。そこを責めたり、修正しようという大人がいます。「くじける」のが悪いことだと思っている人も多いです。本当は悪いことではなく、必要なことだと私は思います。
 自分が挑戦するということが、必要です、そこは未知の領域なので、失敗は不可欠です。いくら手堅く行こうとしてもうまく行かないこともある。ここをしっかり傍観できたら、こどもは成長するのにといつも思います。
 ぼうかんできる、見守れる大人を増やしたい。
誰のための何のための教育 [2018年04月28日(Sat)]

 いよいよ連休に入りました。かかってくる電話が少なくなり、誰もが休みになります。教育とビジネスは違いますよね。と言われます。うーん、この言葉だけでは何も言えませんね。教育は、個人が自分の自由と力を十分に発揮するために、その手法や考えを学ぶものですし、その実践の場こそがビジネスの世界です。仕事は、自分のためにだけやっていたら、誰も仕事を頼みませんし、もし頼んだとしても数回で終わってしまいます。
 教育も誰のためというより、誰かに貢献するものでなければ誰も喜ばないです。お前のためを思って、とか将来に備えてなどという使い古されたセリフは、誰にも貢献しません。仮に、教育は人への貢献の連鎖をつくりだすことと定義したら、この人に貢献したら何かが変わる。変化の連鎖をつくることに力をそそげます。
 不登校や、いじめなど、人のこころはように閉ざされます。そこからつながりを回復させてゆくことがとても面白いのだと思います。
 
先生も異動は、うれしい [2018年03月28日(Wed)]

学校の先生の異動のシーズン。
 先生方も自分の昇進が決まって、ウキウキしている人。異動が決まらずがっかりしている人もいると思う。先生も、子どものように、あるいは子ども以上に異動はうれしいものだ。学校は、先生も子どももある程度受け身で判断せざるをえない。唯一の変化の異動も、人事なので自分では決められない他人事(ひとごと)なのである。だから、先生方は、人事権がある人に弱かったりもするのだと思う。
 子どもも受け身で考えることが当たり前の学校生活で、クラス替えがうれしい。
いい出会いがあれば、学校も楽しさは増すかもしれない。先生方もいい出会いが欲しいように、子どもたちこそ、いい出会いが必要なのだと思う。

親は子どもによって育てられ、子どもとの対話によって成長できる [2018年03月14日(Wed)]

3月10日、日本冒険遊び場協会天野秀昭さんの講演会を開かせてもらって、とても心がひらかれた。自分自身の迷いも含めて、大人は子どもの純粋さに育てられているのだなーとつくづく感じた。
天野さんの活動は、プレイパーク、毎日のように不特定多数の子どもが来て遊んでいます。
1、遊びをつうじて、身体感覚を学んでいること。体ができている子どもは、ケガをしない
2、道具の使い方を覚える
3、いくら楽しいことでも、子どもの内面に動機がなければ子どもは楽しめない
  子どもの情動を伸ばすことが大事
4、挑戦し続けることに価値がある。できないことがあることにも価値がある。
5、今の子どものには、与えられたり、拘束される時間が多すぎて自分を取り戻す時間が少なすぎる

親はいつも他の子どもと自分の子どもでは、違う配慮が働いてしまうので見ないほうがいい。その配慮が子どもにとって、有益ではないから。子ども自身が自分の時間を過ごすのに邪魔になるから。この距離をとれないのが親の不幸であると。


言葉は優しいですが、十分に子どもの権利や社会的な成長過程に配慮された、プロの発言だと思いました。私たちは、子どもに価値を押し付けたりすることを教育であると思いすぎています。子どもは遊びながら育つ。むしろ、遊びのなかで育つという天野さんのご意見は秀逸でした。
遊ぶから生きていられるんだよ〜〜という子どもの叫びが聞こえそうです。
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