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「こども時代の幸せな時間」を増やしたい [2021年05月29日(Sat)]

 誰もが選択肢を増やしたいと思います。
スポーツに力を入れている。音楽やダンスに力を入れている学校。たくさんの選択肢があることは、これからを生きる若者たちには、選択肢が多いことが喜びを支えている条件の一つにもなっています。どの選択肢を選んでも失敗なんてありません。
 失敗を怖がる若者は多いです。しかし、それは怖がらされているだけだと。私たちは思います。

どうして・・・・・?

これまでの教育は失敗をしないようなことを強調するために、たくさんの練習と準備をします。
果たして、多くの時間をかけて、準備を重ねることで、人は幸せになれますか?

たしかに、安心や安定。大きな失敗をしなくなるかもしれませんが、いつも満足できない。満足できない自分がいるのではないでしょうか?納得できない、つまらない。

選ばれる学びとは何か?

私たちは、いつも何を大事に学びをつくるべきか?

結論から言えば、こども時代の幸せな時間があまりにも少ないことの問題に気がつきます。

誰もが自分の才能も発揮したいのです。

準備をするよりも、機会と選択肢を増やすことがとても大事だと私たちは考えています。

自分で挑戦する力が大事だと・・。


「教育機会の確保法案」とJRと私鉄の相互乗り入れ [2021年05月09日(Sun)]

これまでの教育は、学校教育法の1条校とそれ以外。公立高校と私立高校。フリースクールは塾とも違うし、学校でもない。得体のしれないものでした。言葉は悪いですが、営業免許のないタクシーみたいなものでしょうか?
 田舎でタクシーがないところでは、隣の人に乗せてもらって、病院や買い物に行くのが必要なように、学校にゆかないこどもにとっては、必要なのがフリースクールなのです。昨日の夜、ふと考えていたら、JRと私鉄の相互乗り入れみたいなものかなあと考えました。要は目的地にゆきたい人の利便性が良くなれば、そのサービスの利用者は増えるのです。
 Uber もそうですよね。

教育の目的はそれぞれ違います。やり方も違っていいのです。しかし、接続が不便すぎて学校とフリースクールの関連も見えないし、費用もあまりにも違いすぎます。ここが問題になっているので、制度を柔軟に使って誰もが利用しやすくすれば、フリースクールの潜在的な力も、もっと発揮できると思います。

教育機会の確保法案は、理念法であって、「アクセスが良くなるように国家としても促進させてゆくよ」というメッセージをいただいたのだと思います。これを現場でどう使うか?私たちがのデザイン力が問われている気がします。

もっと、民間の知恵がたくさん増やせればいいなあ。
不登校という家庭内の家出 [2021年05月05日(Wed)]

橋川幸夫さんの著書に「不登校とか引きこもりは、家庭内への家出である」ということが書いてあり、思わず「そうだよなあ」とつぶやいていました。外が怖いのか?めんどうくさいのか?人が嫌いなのか?理由なんて、後から100個ぐらいついてきそうなくらいで、とても一言で表現もできません。
 家族に甘えたいから、家にいるわけでもありませrん。家族が好きだとも限りません。

全ては、今いる世界が外の社会よりましなだけなのです。


私が、言えることは外=社会は、理不尽で暴力的で、自分の都合しか言わない人に溢れている。

理不尽で、自分の都合しか言わない人は、なんでも受け入れてくれる人を探している。直感的に不登校になるような優しい子どもは、彼らにとって大好物なのです。だって、受け入れてほしいのだから。
 家族も含めて、この受け入れてほしいオーラ満載の人の理不尽さから逃げるには、家庭の奥深くに逃げるしかないのです。だって「私は、自分のやりたいことに集中したいのですから」


良いひとは、「断る」というという文字が自分の辞書に載っていないだけです。

そこに、つけこまないで欲しい。

私はつくづく思います。

理不尽だよねえ。
全ては信用につながる [2021年04月24日(Sat)]

「約束を守らない」というと心外だと思われる人も多くいるかもしれません。
私も、約束を守らない人にも、嘘(うそ)をつく人にも、たくさん出会ってきた。信用こそが大事なのに自分の都合を大事にする人はたくさんいます。
人間は、目の前の利益に弱い。大人も車を手に入れる。マイホームも手に入れたい。子どもを大学に入れたいと思う。どれも、手段でしかないのです。私たちは、目的よりもとりあえずの手段を手に入れながら、生きています。
「とりあえず」を重ねて、うまくごまかそうとする。誰もが本当に大事なことをやっていないんだから、とりあえずでいいんだと言います。ワークブックを学ぶこともや、英語の単語を学ぶことも、手段でしかありません。
 手段を重ねても成果にはなりません。

もし、これを成果というとすれば、本来の目的を失うことになります。行き先を手段のために見失っていいですか?大きな問いは、ここにあります。
修正してゆく力を高めよう! [2021年03月06日(Sat)]

「いきなりうまくゆくことはない。」私たちは、子どもに対して言います。本当に子どもの時は恐れなどは感じていないものです。「恐れ」は後から大人が植え付けてゆくものだと思います。子どもに慎重になってほしい。失敗しないでいてほしい。成功してほしい。
 さまざまな大人の欲が絡んでゆくからややこしいところです。「うまくゆくこと」にこだわりすぎた大人の我欲かもしれません。本当に、失敗が怖い人は何もしなくなります。傍観する。魂を抜いて他人事のように生きる。自分には関係ないと言う。
 これが一番人間の魂には悪いのではないかと、思います。でも、自分は修正しないと目標は達成できません。自分と話すしかないのです。意地でも他人に動かされない子どもに教えられます。それでいいんです。「お前が絶対間違っているのではなく」いま親である自分は、学校にゆくこと以外大人になることを知らないだけなんですから。
 
ビーンズふくしま若月さんとの対談 [2021年02月04日(Thu)]

ビーンズふくしまは当団体と同じ年に立ち上がりました。ともに福島での不登校の問題を一緒に考えてきた仲間です。若月ちよさん(理事長)は当団体の理事も務めていただきました。不登校の問題は、たくさん学べる問題があります。
忘れたいような、悲惨な現実でも、気づきや学びがあります。これをぜひ知っていただきたいと思います。

寺子屋方丈舎では2月、3月と入学説明会を重ねています。ぜひご参加ください。

氷と理想はどっちが溶けやすいのか? [2021年01月16日(Sat)]

生きていて、全てが思い通りになることはないけれど、念じて行動すれば思いは拓けて実現に向かってきます。
問題は自分の中に理想と夢を持つこと。とにかく。実現のために何ができるのかを考えるということを考えます。
 私たちの夢を持ち続けるのが困難なのは、自分の中の思い込みと常識が邪魔をするからです。おおむね常識というものは、つまらないものです。スーパーの安売りのように実利があるところの方が、人は誘導されやすいです。
 私たちは日夜常識という、炎に晒されているので夢は溶けやすいです。

大人は、本人が夢を言わなくなるとホッとしたりします。ようやく現実的になったと喜びます。現実的になったのは、何かを諦めたからかもしれません。早いうちに諦めを覚えさせると長い人生が、苦痛になります。他に喜びが見つけにくいからです。

氷と夢は溶けやすい。だからしっかりと大事に育てて欲しいなあ。「つらら」みたいに長くなるまで
今年も親も子も、自分の変化を伝えてゆく喜びを! [2021年01月10日(Sun)]

 新年の初ブログです。
子どもたちにとって、誰もが笑顔でいられるような1年になりますように、心より祈念申し上げます。そして、自分が幸せになるように。誰もが「支え合う」という幸せで、いっぱいになりますように!

誰もが他人と比べられるのは、あまり気持ちいいものではありません。ただ、過去の自分と比べて成長していることをほめられたり、自分の変化を確認できることは、うれしいものです。人生を誰かと比べてもしようがない。我が子の成長を、しっかり言葉として伝えてあげるのが、親にとっても幸せなはずです(本来は)。でも、自分自身が不安だったり、子どもが、少しでも直した方がもっと幸せになれると信じている大人が多いです。
 親自体も子育てをつうじて、自分自身を肯定して変化してゆきます。子どもが失敗したことに注目していた親が、子どもができたことに、注目するようになってゆくことで、子どもにも大人にもいい変化が生まれてゆきます。視点を変えるだけで、大人の意識も子どもの意識も変わります。
 「良いところ発見」の連鎖で、人はどんどん内面的に幸せに変化してゆきます。変化は自分の中からやってきて、他人も幸せにしてゆく。子どもも親も、幸せになってゆく。こんな循環が、私たちには必要です。新年から、習慣を変えてゆくキッカケがつくれれば良いですよね。良い習慣が身につく年でありますように。当団体でも、みなさんと一緒に場づくりを行ってまいります。
性の問題を考える [2020年12月23日(Wed)]

オンライン時代の性の教育は、難しいです。
良くも悪くも情報が早く伝わるので、性の理解よりも露骨なポルノ動画を子どもは目の当たりにしてしまいます。携帯電話を持つということは、ポルノ動画を見ているのと、ほぼ同じ意味なのです。単なる連絡ツールとして、安い契約料金であれば、大人は安易に子どもに携帯を提供してしまいます。
携帯電話を持って入れば、お店にゆかなくとも小学生もポルノ動画を簡単に見ることができます。

子どもたちはチャイルドロックの外し方まで研究している事を、大人は知りません。

大人は、そんなことは知らないで、便利な道具だと携帯電話のプラスの面だけ信じて使わせようとします。

オンライン時代に、性教育をするということは、子どもの興味関心を好奇心から、命を大事にする学びへといかに進めてゆくのか?その努力は、容易ではありません。オンラインへの接続しやすくなっているので、私たちは、性教育年齢をより早くから行う必要性があります。

私は、小学1年生ぐらいから、徐々に性教育は必要だと思っています。

学校での性教育は、いまだに生理がきそうな女子を中心に行っている程度で、男子は除外されています。生理のメカニズムさえも理解しないで、結婚まで至る男子もいます。性について、学ぶ機会さえないから自分は結婚できないと思う大人もいます。
 
性の問題は、生きるに直結します。

私たちが問われているものを、大人が恥ずかしがらずにどんどん一緒に考えてゆかないと、未熟な意識が性犯罪を助長させて、苦しむ人を増やすことにもつながっている事をもっと真剣に考える必要があります。
教育の双方向性をもっと高めてゆく [2020年10月07日(Wed)]

落合陽一とオードリー・タンの対談

日本の教育制度を語るときに、この制度は変わらないという前提から語る人が多い。
実際に、何もしなければ目に見えて変わらない。
オードリー・タンの凹む人をつくらないという視点。まさに教育は、良し悪しより、勝ち負けよりも試行錯誤が増える場でなければ、さまざまな挑戦がおきません。

4月中上旬に全国の学校が休校したときに、島根県は休校にしませんでした。
ここが大事なんです。自分の住んでいるところには危機がないとすれば、休む必要はない。この判断を各教育委員会や学校で判断することがが大事です。

お互いに自分の視点で、考えることがとても大事です。

あとは、あきらめないで教育にどんどん、アクセスしてゆくこと。どんどん挑戦してゆく、提案してゆく。教育を一方通行にしないことが、とても大事です。教育は明の側からアクセスする力が高まれば高まるほど、民主化され子どもにとって学びやすくなります。