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ただ黙って応援する人 [2021年08月31日(Tue)]

オリンピック、パラリンピックを観戦させたいという大人の多くは、
「感動を味わってほしい」
「頑張る姿を見てほしい」


この関心の裏側から見れば、

「子どもたちに感動をしてほしい」
「もっと子どもたちに、頑張ってほしい」

こんな意図が見えます。

子どもたちは、頑張って日々を生きています。中途半端に力を抜いて、活動しているわけではない。
誰もが一生懸命です。

それでも、もっと頑張らせたいと大人は思うらしいです。

もっといえば、結果を出すというところまで、大人たちは頑張らせたいのかもしれません。

結果なんか、いつ出るかわからないのが人間です。

もし、私が子どもだったら。ただ黙って応援する人が欲しいと思います。

自分は頑張っていると思っていても、周りからは頑張りが見えない。

それは、もっと頑張らせたいという欲かもしれません。

少なくとも、未完成の子どもの時に何を望むのか?

場合によっては、無駄な焦りを与えているだけのこともたくさんあります。









子どもは大人のいいなりになってはいけない [2021年08月07日(Sat)]

何かをしたからほめる。
何かをしないから叱る。
この場合の基準は、答えが一つであること。
これが教育だと、思われています。


大人になって出会うことは、正解のない問いです。

誰と学ぶのか?

何を仕事にするのか?どこに住むのか?

誰と暮らすのか?

どんな社会を創りたいのか?

どれも正解のない問いです。間違いもありません。

大人は、子どもにこうしてほしいと思います。

仮に「自分の家の仕事」をしてほしいと思ったとします。

大人の知恵で、上手に誘導もします。そんな時に「認める」ことを使います。

人の言うことを聞くとうまくゆくよと  と言う肯定かもしれません。

私は大人として言いたいのは、あまり「人の言うことを聞くな」と言うことです。

大人の言うことを聞いても、自分は幸せになれません。時代を変えてきたのは、時代に従わない人たちです。

大事なのは自分で考えるという行為です。

間違いがないのなら、自分で答えを出すことが大事です。

考えて、考えて納得してゆく。

大事なのは、自分の納得なのだと考えます。



不登校は「宇宙人」か? [2021年06月21日(Mon)]

不登校ってなかなか理解できないよねえ〜。
かつてよく大人たちに言われたことです。特別に何も悪いことをしているとか?
人に迷惑をおかけるわけでもないのですが、理解がされない。

要するに何を考えているかわからない人?社会に貢献しない人??と言われたりもします。

私たちは、目的や意図がわからない人を警戒します。時には「不審者と言います。

その意味で、私は不審者かもしれない。(笑)

お金をたくさん稼ぎたい。

いい車に乗りたい。

家を建てたい。

誰かと比べて、自分が優れていると満足したい。

わかりやすい欲望ですが、不登校の子どもたちは、概ねこのような欲望からは無縁です。

わかりやすい欲望や、願望がない人を理解するのが困難なのは、大人たちが欲望と煩悩にまみれているからだと思っています。大人が不登校の子どもを理解できないのは、「煩悩から解放されているから」ということもできます。

理解不明な不登校子どもたち。

しかし、ただの宇宙人ではありません。


私は、自分の生きかたを素直に見つめたい子どもを、未来への希望だと思っています。
生きやすく〜学びやすく〜 [2021年06月12日(Sat)]

不登校であっても、学校に行っていても

子どもたちは、学びやすく、生きやすい方がいいと思っています。
誰もが楽しく生きるを考えてサポートし合えば、問題はなくなるような気がします。問題がなくならない、もしくは深刻になるのは、本人の意思を何らかの理由で無視されるからだと思います。本人の意思を無視するときの常套句は、「お前のためを思って」というセリフです。
このセリフはありきたりですが、良くつかわれます。

自分が悪者にはなりたくないと、誰もが思いますが、いい人か?悪者かの前に。

自分以外の他人は、だいたい思い通りにならないものです。

思いどおりにならないから、あきらめるのではなく。

他者を受け入れることなのだと思います。人を変えることはできません。

受け入れることしかできません。

だから、誰もが理解して欲しいのです。学校にゆかないことを、そのままに。いいでもなく、悪いでもなく受け止めて欲しいのです。

生きやすさとは、受け止める人が増えることです。

誰もが心地よく生きる社会は、誰おも受け止め合う社会なのだと思います。

不都合なことは、たくさんあっても、それを受け止める力がないと誰も救われないのです。

学校にゆかないことを認めないという苦しさ、誰もが思いながらもこの苦しさを減らせないということ。この虚しさに意味はないのですがね。
正義は勝っても負けても、人の幸せとはあまり関係ないけれど [2021年06月05日(Sat)]

不登校の子どもたちは、「朝おきれない」病気なんだよ。と言われたことがあります。
「朝おきたくない」という方が正確かと思います。
これを病気と言われると自分では肯定も否定もできません。

全くあの人のパチンコが良いにも困ったものだ。病気みたいなものだ。

という表現に近いからです。

病気と言われれば病気かもしれない。でも、病名はつかないだろうと思っています。

ですから不登校の子どもが、朝起きれれなくとも病名はつきません。

学校にゆかない子どもの中によくあるのは「正論のジレンマ」だと思っています。
本当はこうした方がいいのに・・・・。
できれば、こうした方がいい・・・・・。大人が勝手な願望をぶつけます。それをしたから人格が良くなるわけでも、人から好かれるわけでもありません。

要は正義だと思い込んでいるだけなんです。

水戸黄門が印籠を出して、悪代官を懲らしめるとよく眠れる。という話に近いかもしれません。
うまくいってくれた方が、心地いいんです。

ただそれだけ。



子どもが学校にゆくと、機嫌がいいお母さんも、ほぼ同様に、お母さんにとっての当たり前をやってくれた方が心地いいだけなんです。なぜ、その当たり前に子どもは協力する必要があるのか?

協力しなくとも。幸せが少なくなり、不幸になるわけでもありません。

大人の機嫌が悪くなる程度です。ほんとに。
「こども時代の幸せな時間」を増やしたい [2021年05月29日(Sat)]

 誰もが選択肢を増やしたいと思います。
スポーツに力を入れている。音楽やダンスに力を入れている学校。たくさんの選択肢があることは、これからを生きる若者たちには、選択肢が多いことが喜びを支えている条件の一つにもなっています。どの選択肢を選んでも失敗なんてありません。
 失敗を怖がる若者は多いです。しかし、それは怖がらされているだけだと。私たちは思います。

どうして・・・・・?

これまでの教育は失敗をしないようなことを強調するために、たくさんの練習と準備をします。
果たして、多くの時間をかけて、準備を重ねることで、人は幸せになれますか?

たしかに、安心や安定。大きな失敗をしなくなるかもしれませんが、いつも満足できない。満足できない自分がいるのではないでしょうか?納得できない、つまらない。

選ばれる学びとは何か?

私たちは、いつも何を大事に学びをつくるべきか?

結論から言えば、こども時代の幸せな時間があまりにも少ないことの問題に気がつきます。

誰もが自分の才能も発揮したいのです。

準備をするよりも、機会と選択肢を増やすことがとても大事だと私たちは考えています。

自分で挑戦する力が大事だと・・。


「教育機会の確保法案」とJRと私鉄の相互乗り入れ [2021年05月09日(Sun)]

これまでの教育は、学校教育法の1条校とそれ以外。公立高校と私立高校。フリースクールは塾とも違うし、学校でもない。得体のしれないものでした。言葉は悪いですが、営業免許のないタクシーみたいなものでしょうか?
 田舎でタクシーがないところでは、隣の人に乗せてもらって、病院や買い物に行くのが必要なように、学校にゆかないこどもにとっては、必要なのがフリースクールなのです。昨日の夜、ふと考えていたら、JRと私鉄の相互乗り入れみたいなものかなあと考えました。要は目的地にゆきたい人の利便性が良くなれば、そのサービスの利用者は増えるのです。
 Uber もそうですよね。

教育の目的はそれぞれ違います。やり方も違っていいのです。しかし、接続が不便すぎて学校とフリースクールの関連も見えないし、費用もあまりにも違いすぎます。ここが問題になっているので、制度を柔軟に使って誰もが利用しやすくすれば、フリースクールの潜在的な力も、もっと発揮できると思います。

教育機会の確保法案は、理念法であって、「アクセスが良くなるように国家としても促進させてゆくよ」というメッセージをいただいたのだと思います。これを現場でどう使うか?私たちがのデザイン力が問われている気がします。

もっと、民間の知恵がたくさん増やせればいいなあ。
不登校という家庭内の家出 [2021年05月05日(Wed)]

橋川幸夫さんの著書に「不登校とか引きこもりは、家庭内への家出である」ということが書いてあり、思わず「そうだよなあ」とつぶやいていました。外が怖いのか?めんどうくさいのか?人が嫌いなのか?理由なんて、後から100個ぐらいついてきそうなくらいで、とても一言で表現もできません。
 家族に甘えたいから、家にいるわけでもありませrん。家族が好きだとも限りません。

全ては、今いる世界が外の社会よりましなだけなのです。


私が、言えることは外=社会は、理不尽で暴力的で、自分の都合しか言わない人に溢れている。

理不尽で、自分の都合しか言わない人は、なんでも受け入れてくれる人を探している。直感的に不登校になるような優しい子どもは、彼らにとって大好物なのです。だって、受け入れてほしいのだから。
 家族も含めて、この受け入れてほしいオーラ満載の人の理不尽さから逃げるには、家庭の奥深くに逃げるしかないのです。だって「私は、自分のやりたいことに集中したいのですから」


良いひとは、「断る」というという文字が自分の辞書に載っていないだけです。

そこに、つけこまないで欲しい。

私はつくづく思います。

理不尽だよねえ。
全ては信用につながる [2021年04月24日(Sat)]

「約束を守らない」というと心外だと思われる人も多くいるかもしれません。
私も、約束を守らない人にも、嘘(うそ)をつく人にも、たくさん出会ってきた。信用こそが大事なのに自分の都合を大事にする人はたくさんいます。
人間は、目の前の利益に弱い。大人も車を手に入れる。マイホームも手に入れたい。子どもを大学に入れたいと思う。どれも、手段でしかないのです。私たちは、目的よりもとりあえずの手段を手に入れながら、生きています。
「とりあえず」を重ねて、うまくごまかそうとする。誰もが本当に大事なことをやっていないんだから、とりあえずでいいんだと言います。ワークブックを学ぶこともや、英語の単語を学ぶことも、手段でしかありません。
 手段を重ねても成果にはなりません。

もし、これを成果というとすれば、本来の目的を失うことになります。行き先を手段のために見失っていいですか?大きな問いは、ここにあります。
修正してゆく力を高めよう! [2021年03月06日(Sat)]

「いきなりうまくゆくことはない。」私たちは、子どもに対して言います。本当に子どもの時は恐れなどは感じていないものです。「恐れ」は後から大人が植え付けてゆくものだと思います。子どもに慎重になってほしい。失敗しないでいてほしい。成功してほしい。
 さまざまな大人の欲が絡んでゆくからややこしいところです。「うまくゆくこと」にこだわりすぎた大人の我欲かもしれません。本当に、失敗が怖い人は何もしなくなります。傍観する。魂を抜いて他人事のように生きる。自分には関係ないと言う。
 これが一番人間の魂には悪いのではないかと、思います。でも、自分は修正しないと目標は達成できません。自分と話すしかないのです。意地でも他人に動かされない子どもに教えられます。それでいいんです。「お前が絶対間違っているのではなく」いま親である自分は、学校にゆくこと以外大人になることを知らないだけなんですから。
 
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